満天の星空 Ⅱ
真琴の言葉を受けて、古庄も星空を見上げる。
何の変哲もない山々に、この空。古庄にとっては、小さな頃から珍しいものでもなんでもなかった。
「今日は月が出てないから、特に星がよく見えるんだな」
古庄がそう言葉をかける間も、真琴はただ星々に魅入られている。
「これが本当の『天の川』なんですね…。私は生まれて今まで、それがどこにあるのかなんて知りませんでした…」
都会育ちの真琴の見上げる夜空はいつも明るくて、特等星や一等星くらいしか確認できない。
頭の上の天の川は、「ミルキーウェイ」といわれるのが頷けるほど、微細な星々が淡く放つ光が繋がって、本当に黒い墨汁の中に牛乳を垂らし込んだように見える。
いつまでも時を忘れたように、首を反らせて頭上を見上げる真琴に、古庄が言った。
「真琴、こうやって寝転がると見やすくなるよ」
古庄はウッドデッキの上に仰向けになって、星空を見上げた。
真琴は古庄の提案に嬉しそうに微笑み、古庄に倣って横になった。こんなに広いウッドデッキなのに、そっと寄り添うように側に来るのが、なんとも言えず可愛らしくて、古庄は顔が緩んでしまう。
もう星空などどうでもよくなって、思わず真琴を抱き寄せ、キスをしようとした時、再び真琴が口を開いた。
「この空を見せてくれるために、ここに連れて来てくれたんですね?」
「…………えっ?!」
古庄は口ごもってしまう。
こんなに感動している真琴を目の前にして、まさか先ほどの“お仕置き”の続きをするためにここに来たなど……、そんなスケベ心は到底打ち明けられない…。
「……ああ、…うん」
古庄が消極的な相づちを打つと、真琴は満天の星々を見上げたまま、深まった秋の夜の冷たく澄んだ空気を、満足そうに胸いっぱいに吸い込んだ。
「あなたは、こんなに素敵な夜空を毎日見上げながら、ここで育ったんですね。夜空だけじゃありません。山も川も田んぼも、この空気も。こんなに素晴らしいものに囲まれて育ったから…、あなたは大らかで優しくて……素敵な心の持ち主になったのでしょうね」
そう言ってくれた真琴の言葉が胸にじんわりと沁みて、古庄は相づちさえも返せなかった。
何の変哲もないと思っていた故郷の深い自然が、いきなりとても尊いもののように思えてくる。
初めて目を開いてこの星々を見たような気がして、その美しさに古庄の心も震えた。
その時、真琴の唇に温かく柔らかいものが触れ、気が付くと古庄がそっと唇を重ねていた。
真琴が数万光年のかなたから一番近くにある“大事なもの”に目を移すと、その大事なものは穏やかに微笑んでいた。
このキスは、欲求を満たす愛の行為と言うよりも、先ほど、大事なことに気付かせてくれた真琴の言葉に対する感謝の印だった。
二人は手を繋いでお互いのぬくもりを感じ合いながら、再び空を仰いだ。
そのまましばらく、山頂から望める広大な夜空を、時間を忘れて眺めていた。
焼肉小屋から戻って来た時には、家中は寝静まっていたが、真琴はあまりの疲労と残っていた酒気のせいで、“お仕置き”をする暇などなく深い眠りに就いてしまった。
真琴と枕を並べて、古庄は座敷の天井を眺めた。
――小さい時、あの天井の木目が、人の顔に見えて怖かったなぁ…。
そんなことを思いながら、昔のことを思い出す。
その木目が怖いと思うようになったのも、晶が「幽霊が木の中に閉じ込められて、あんな風に顔が浮いて出てくる…」などと古庄に吹き込んで、古庄がそれを信じたせいだ。
実家に帰省するたび、こんな忌まわしいことばかりを思い出して、ここは古庄にとって落ち着ける場所ではなかった。
でも今は、真琴が隣にいるだけで、こんなにも安らかな気持ちになれて、この家の空気を吸っている…。
古庄は寝返りを打って、安らかな寝息を立てる真琴を見つめた。
いつか、真琴との間に子どもも生まれるだろう…。
その子どもと共に、この溢れかえるほどの自然の中でいろんな体験が出来たら、どれほど素晴らしいだろう。
そんな楽しい空想をあれこれとしているうちに、古庄の意識も次第に遠のき、いつしか深い眠りに落ちていった。




