表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋はしょうがない。〜Side Storys〜  作者: 皆実 景葉
古庄の安らげない場所
23/39

岩風呂にて Ⅰ

 


 古庄の実家に戻ってきたのは、もう夕暮れ時になってしまっていた。

 奥の納屋の方には軽トラが停まっていたので、もう晶も農作業を終えて帰ってきているらしかった。



 古庄も、もう真琴のアパートへと帰り着いている頃だろうか。居間のテーブルの上に置いてきた手紙を見たら、どんなに驚くだろう…。



 ――…和彦さん、ごめんなさい…。



 真琴は心の中で古庄に詫びながら、大空を覆い尽くす、燃えるような夕焼けを見上げた。



 ――和彦さんも、こんな空を見上げながらここで育ったのかな……。


 そんなことを思うと、その美しさへの感動と相まって、真琴の胸がキュンと震えた。



「ああ、お帰りなさい。ついさっき、和彦から電話があったわ」



 屋敷の裏手、勝手口から出てきた古庄の母親が、そう声をかけてきた。


 それを聞いて、真琴の心臓がドキリと一つ大きく脈打った。

 ここは電波が届かず、真琴のスマホは使えない。だから、古庄は実家に連絡を取ったのだ。


 その電話で、古庄に何も言わずに来てしまったことが、母親にバレたに違いない。



「あの…、実は和彦さんには内緒でここに来てるんです。…何か言ってました?」



 それを聞いて、母親はニヤリと面白そうに口元を歪ませた。



「真琴ちゃん。それ、ナイス♡和彦は『そこに真琴が無事に着いているか?』ってわめいてたけど、『真琴ちゃんなんて誰?知らないわ』って言ってやった!」



「え……?」



 母親の意外な言動に、真琴の目が点になる。



「きっと、血相変えてここに飛んでくるわよ!あっはっは…!」



 母親は手を叩いて楽しげに笑っていたが、真琴は途端に不安になった。

 あわてて車を運転する古庄が、スピード違反で捕まったり、事故に遭ったりするのではないかと…。



「さあ、お風呂を沸かしておいたから、先に入っていらっしゃい」



 気を取り直すように母親からそう言ってもらって、真琴は肩をすくめた。



「…でも、お義母さんとお食事の準備をするお約束でしたから…」



「食事の準備は、あと自然薯をすりおろすくらいだし、それをしてもらうにしても、とにかくその土を落とさないとね」



 と言いながら母親は、真琴に歩み寄り、割烹着の裾を持ち上げて真琴の顔に着いた土をふき取ってくれた。


 懸命に自然薯を掘る最中に、土まみれになってしまっているらしい。さっきまで父親と対面してたのに、父親は何も言ってくれなかった…。


 真琴は恥ずかしさのあまり、何も言葉が返せず、代りに顔が真っ赤になった。



「うちのお風呂、お父さんの力作。岩風呂なのよ。温泉じゃないけど、山の湧き水を沸かしてるの」



「…えっ!岩風呂?」



 自分の家に岩風呂があるなんて、庶民の真琴の感覚からすると嘘みたいだった。



「と言っても、いつもは使わないんだけど、お客さんが来た時は特別なのよ。母屋に置いてるキャリーケースは持って来てあげとくから」



 母親はそう言って、真琴を岩風呂に案内してくれた。

 屋敷の裏手から景色が見渡せるところに、手作りらしい建物があり、脱衣所とその奥に、本物の岩風呂がある。



 その岩風呂の本格的な様に、真琴は目を見張る。

 こんなものまで作ってしまうなんて、古庄の父親は、本当に計り知れない人だった。


 母親が母屋に戻り、真琴は戸惑ったけれども、体中に被ってしまった土を落とさないことには、手伝いもできない。



 真琴は先に手早く頭と体を洗い、それから、岩でできた立派な浴槽に身を沈めた。


 朝から電車を乗り継いで、駅からは歩いて、そして山では大きな穴を掘って…疲れた体は優しいお湯の中でホッと息を吐いているのに、心はまだ奥底に固まる緊張で解放できない。


 そんな不思議な気分で、真琴は目の前に広がるのどかな田園風景を眺めた。


 先ほどまで大空を覆っていた真っ赤な夕焼けは、次第に紫を帯びて、遠く連なる丘陵がその中に浮かび上がる。



 ――こんな景色の中でのびのびと育った人だから、あんなに大らかで優しい人になったんだろうな…



 真琴は愛しい古庄に思いを馳せた。


 古庄を思い出すと、心がほっと温かくほぐれるのと同時に、募る想いで切なく疼いてくる。今朝会ったばかりなのに、会いたくてしょうがなくなってくる。


 この岩風呂だって、この前旅館に行った時のように、古庄と一緒に入れたなら、どんなに安らげるだろう…。



 古庄の優しい家族に囲まれて、どんなに親切にされていても、ただ一人、古庄が傍にいないだけでこんなにも寂しい。


 ジワリと真琴の目が潤んできた時、脱衣所への引き戸がガラリと開いた。



「………!!」



 瞬時に涙は引っ込み、真琴はとっさに胸元を押さえた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ