神々しい人 Ⅱ
でも、この若者は「古庄」という家の人間で、古庄のことも知っているらしい。もっと詳しく話を聞く必要がある。そう思った真琴は、思い切ってその背中に言葉を投げかけた。
「あの…!私は、和彦さんの妻です!古庄真琴って言います!!」
若者はそれを聞いて、弾かれたように立ち止まった。そして、ますます怪しそうな表情をして振り返る。
「……また、そんな願望を……。くだらない妄想に付き合ってる暇はないんだよ」
そんな冷たい返答に真琴はひるみそうになったが、勇気を振り絞った。
「…ほ、本当です!!…そ、そうだ。これ、保険証があります!」
と、財布の中から、自分の保険証を急いで取り出して、水戸黄門の印籠のように掲げて見せた。
そこには「古庄真琴」と、真琴の本名が記されてある。これは同僚たちには、決して見られてはならない物だった。
その若者はもう一度真琴の側までやって来ると、その保険証と真琴の顔を代わる代わる凝視した。
「…本当に?!和彦はあんたと結婚したのか…?」
「はい。9月に入籍しました」
若者は信じられないものを見るように真琴を改めて眺め回して、「チェッ…」と小さく舌打ちした。
「おめでとう」という言葉ではなく、この舌打ち。グサリと真琴の胸に突き刺さったが、それでも、ここでめげてはいられない。
真琴は気を取り直して、
「……それで…あの…あなたは…?」
と、尋ねてみる。
「ああ…、私は古庄晶。和彦は私の弟だ」
――…やっぱり…!
古庄のように完璧な相貌の人間は、この世に二人とはいないと思うけれど、兄弟だったのならば、その現象もあり得るだろう。
――お姉さんがいるって聞いてた気がするけど、…お兄さんもいたのね…
「改めまして、よろしくお願いいたします。今日は、和彦さんは部活の試合があって来れなかったので、私一人でご挨拶に上がりました」
真面目な真琴らしい、礼儀正しいお辞儀を深々とする。
「ふうん…」
という相づちが聞こえ、真琴が顔を上げると、晶の顔がほのかに笑っていた。
秋の優しい日射しを受けて、輝くような晶の絶妙な美しさに、真琴の心臓が跳ね上がる。自分の顔が熱を持って、赤くなっていくのが分かった。
別に、晶のことが異性として気になる…というのではなく、さすがに古庄の兄弟、一瞬で人を惹きつける魅力がある。
しかも晶のそれは、古庄のそれに加え、柔らかい物腰と何とも言えない“色気”があった。
「それじゃ、まだここの仕事は時間がかかるから、一旦君を私の家まで連れて行くよ」
晶からそう言ってもらえたが、真琴は首を横に振った。
「いいえ、お仕事のお邪魔をしては申し訳ないので、お家の場所を教えてくだされば、歩いて行きます」
「歩いて行くって…、まだずいぶんあるよ?駅からここまでの2倍くらいはある」
「……えっ!?」
それを聞いて、真琴は絶句した。
この先は山しかないように思われるのだが、そこをあと2時間歩くなんて、気が遠くなりそうだった。
「ここからは山道になって寂しくなるし、車で行った方がいい。…可愛い義妹に、何かあっちゃいけないし」
――…か、可愛い、『義妹』…!
真琴はもう沸点に達してしまって、顔から湯気が立ち上らんばかりに真っ赤になった。
わなわなと力が抜け、返す言葉も見つけられず、言われるがままに晶が運転する軽トラの助手席へと乗り込んだ。
そこから晶の言うように、木々の間を抜ける林道を通って車は進んだ。目に映る木々の緑は、とても優しく癒されるけれども、車…しかも軽トラという狭い空間の中で、晶と二人きりになるということは、真琴に多大な緊張を強いた。
その緊張もあって身構えてしまい、真琴の体だけでなく言葉の反応もぎこちなくなる。
これは、出会ったばかりの頃の古庄に対する感覚と似ている。
「さっきはあんな態度をとってしまって、悪かったね」
晶はそう言いながら、チラリと真琴へ視線をよこす。しかし、それに合わせられない真琴は、とっさに顔を背けた。
「いえ、気にしていませんから」
緊張のあまり、口早に気持ちのこもらない返答しかできない。
――ああ…、また…!私の悪い癖が……!!
古庄の家族に失礼な態度はとれないと思った真琴は、どうにかしようと思うけれども、自分では制御不能だった。
車内に沈黙が漂うと、真琴の緊張はいっそう高まって、固唾をのんで到着するまでの10分ちょっとをやり過ごすしかなかった。