冒険 Ⅱ
都会育ちの真琴には、信じられないことだったが、自分の認識が甘かったと、今更ながらに反省する。
見回すと、駅舎の中に公衆電話があり、そこにタクシー会社の広告が貼ってあった。
真琴はひとすじの光明が見えた気がして、駆け寄ってみる。すると、広告の端に手書きでこう書かれていた。
〈こちらの駅には、タクシーが到着するまで30分を要します〉
……真琴は目の前が真っ暗になった。
暇があったら動きたい性分の真琴には、30分もここで待ちぼうけなんて、絶対に嫌だった。
スマホで地図を確認してみると、古庄の実家まではそんなに遠くはないようだ。真琴は意を決して、古庄の実家まで歩いて行ってみることにした。
…念のため、この広告を出しているタクシー会社の電話番号は控えておいたので、もしもの時は、タクシーを呼べばいい…。
稲刈りが終わった田んぼの中の道を、真琴はキャリーケースを転がしながら歩き始める。
高く青い空に紅葉の山々は綺麗に映え、たくさんの木々により作られた空気も澄んでいて美味しい。
ここは古庄のホームグラウンドだ。
今は誰もが見とれてしまうような古庄も、自転車を乗り回しながらここでヤンチャな幼少時代を過ごしたのかと思うと、何だか嬉しくなってくる。
――子どもの頃もやっぱり、今みたいに傑出してたのかな…?
そんなことを思うと、思わす笑いが湧き出てきて顔が緩んでしまう。
――それとも、和彦さん…。もしかして知られたくないこととかあるのかな…?
真琴には秘密にしておきたい過去があるのかもしれない。
それでなくても、古庄は実家に行くことどころか、極力実家の話をしたがらない。実家に何か、特殊な事情などがあるのだろうか?
「結婚」したことは、両親にきちんと話をしなければならないと解っているはずなのに、古庄が行動を起こさない…というより、頑なに拒んでいる風なのは、何か理由があるのでは…?
そう思い始めて真琴は、古庄の秘密を勝手に覗き見してしまうような、とてもいけないことをしている気持ちになってきた。
そんな気持ちを反映して、その足取りも重くなってくる。
古庄に何も告げずこんな所へ来てしまって、古庄は怒るだろうか…。
それとも、信用を置けない奴だと、愛想を尽かされるかもしれない…。
それに何より、古庄がいないのに彼の実家に行くなんて、なんて心細いことだろう。
もしかして…、一人で乗り込んで「和彦さんと結婚しました」なんて言っても、それこそ信用されないのではないだろうか。
古庄のあの完璧な容貌だったら、これまでにもそんなストーカーまがいの勘違い女がいたっておかしくない。
悶々とした思考は、更に真琴の足を鈍らせて、とうとう前に一歩も踏み出せなくなってしまった。
駅から歩き始めて、もうかれこれ1時間が経とうとしていた。森と田んぼと小川に囲まれた、のどかな景色の中で、真琴はただ一人立ちすくむ。
周りには人どころか、人家さえ見えない…。
行く先には小高い山がそびえるばかりで、この先に本当に古庄の実家なんてあるのだろうか…。
違った意味で不安になってきた真琴は、地図を確認するために焦ってスマホを取り出す。
すると、駅では表示されていた地図さえ表示されず、「通信環境の良いところで、再度お試しください」と出てくるばかりだ。いろいろ試して、確かめてみると、電波のアンテナが「圏外」と出てしまっている。
――……ウソ……!
真琴は愕然として、力が抜け落ちてしまう。
そして、それを追いかけるように、胸の鼓動が不穏に乱れ始めた。
これでは、地図で現在地を確認することも、先ほど駅の広告にあったタクシーを呼ぶこともできない。
――……このまま、先に行く?それとも、駅に戻る…?
とてつもない不安が一気に押し寄せてきて、涙が真琴の目に滲んできた。
パソコンにスマホ、文明の利器に頼りすぎていると、こんな時にはなす術もない。
「……和彦さん……」
と、心細さのあまり、古庄の名前を呼んでみたけれども、当然古庄が来てくれるはずもない。
――和彦さんに内緒にしてたバチが当たっちゃった……
そう思って目を絞ると、ぽたぽたと涙が零れ落ちた。
今歩いているこの道が正しいのか確認できない以上、このまま前に進むわけにはいかない。そうすると選択肢は一つ、駅に戻るしかない。今来た道を、再び1時間歩いて。
情けなさに、涙がもっと溢れてくる。
真琴はもう古庄の実家などはどうでもよくなって、帰りたくなってきた。帰って、一刻でも早く古庄に会いたかった。