スクリューパス Ⅰ
いつも通り、朝早くに目を覚ました古庄は、腕の中にいる真琴を起こさないようにそっと体を離し、布団を抜け出した。
昨夜、あんなにも眠れなかったのに、触れ合った後はいきなり強烈な眠気に襲われた。「意識のあるうちに服を着なきゃ」との真琴の言葉に従って、辛うじてパジャマを着てはいるが、半分眠っていたのだろう…ボタンが掛け違えられている。
「もう少し一緒にいたら、自分の部屋へ戻る」と言っていた真琴も、結局ここで朝を迎えてしまったらしい。
古庄は真琴の安らかな寝顔を確認して、息を抜いて微笑む。それから、“今日も頑張ろう”と奮起して、着替えはじめた。
まだ静かな家の中を密やかに歩いて、秋の朝の爽やかな冷気の中に出てみる。
少し散歩でもしてみようと門を出かかったところで、門の外から入ってくる正志とバッタリと出会った。Tシャツと短パン姿で、ジョギングをして帰ってきたところみたいだ。
「おはよう」
古庄はとっさに声をかけてみたが、正志はじろりと視線をよこしただけで何も答えなかった。
相変わらずの態度に「やれやれ」と肩をすくめてから、古庄は公園の方へと足を向けた。
公園の緑の木々の合間に、1人2人体操をしている人が見える。
古庄も触発されて、公園の隅の方に設置されている背の高い鉄棒にぶら下がって、懸垂をしてみた。
――高校生の頃、こうやって、とにかく体を鍛えたよなぁ…
それは、ラグビーをするための体を作るために。この懸垂やベンチプレス、肺が潰れそうなほどのランニング…とにかく自分を苛めて、そしてよく食べていた。
自分の高校時代に思いを馳せて、ふと先ほどの正志を思い出す。正志もラグビーをする体作りのために、ランニングをして来たのではないか…。
と考えている内に、もう息が切れてきたので、古庄は地面に足を付けた。まだ懸垂を10回しかしていないことに、自分の体力の衰えを知る。
「…ねえ」
その時、背後から声をかけられた。
振り向くと、そこには正志が立っていて、手にはラグビーボールを持っている。
「スクリューパス、教えてよ」
正志からいきなり切り出されて戸惑ったが、古庄は笑顔で応えた。これは、正志なりの和解の仕方だと思った。
「うん、じゃあ。普通に放ってみて」
「普通に?」
「うん、平パスだよ。ストレートパス」
そう言われて、正志はボールを古庄に向かって普通に投げた。古庄も普通に投げ返して、しばらく普通のパスをする。
「よし、平パスは上手だから、次はスクリューパス。いつもやってる通りに投げてみようか」
と、何度か投げさせてみたけれど、本人が言うようにどれもうまく投げられていない。投げるたびに工夫はしているようだが、回転がかかっていなかったり、意識しすぎて手元が狂ったり。
「先輩はどういう風に教えてくれてる?」
都留山のラグビー部だったら、それは確実な技の伝授が行われているはずだ。
「クルッて回すとか、ピッて弾くとか…。とにかく練習しろ、とか」
すごく抽象的で感覚的だ。多分、身体で覚えてることを他人に教えるのは難しいことなのだろう。そして、身体で覚えるためには練習するしかないということだ。
「…うーん」
古庄は少し考え込んだ。ラグビーボールを持ち、パスを出す時の動作を手元で繰り返す。
「よし!右利きだよな?まず左に出すパスからだ。左手は下の方に添えるだけ。回転かけるのは右手だけど、回転させようとするんじゃなくて、投げ方で自然と回転させるんだ」
「……え?」
正志は、いっそう訳が解らないといった顔をする。
「いいかい?右の肘を投げたい方とは逆方向に一旦引く。それから投げたい方へ右腕を伸ばす。その時ボールを投げて」
古庄は説明しながら、その通りにボールを投げてみると、きれいな回転がかかったパスが正志のところに飛んできた。
正志は言われた通りに、やってみる。
何度も何度も、真面目にボールを投げ続けた。それは、「もうやめたい」なんて思っている顔ではなかった。
「投げるターゲットに、ちゃんと右手をフォローして。それと、投げる瞬間に左手の親指でボールをピッと弾いてごらん」
そのアドバイスをもらって、再び正志がボールを投げると…、
「…おっ!!」
パスを受けた古庄が驚くほど、きれいな回転がかかっていた。
「今、できたよね!?」
正志の顔が嬉しそうに輝いた。古庄も頷きながら、嬉しくて笑顔がこぼれた。
「あとは、先輩の言うように、練習するだけだよ。そのうち、逆方向も同じように投げられるようになるから」
「うん」
それからまた、何度も何度も二人はボールを投げ続けた。
正志の気の済むまで、古庄は自分からやめようとは言わなかった。