世界が眠る、時間帯
お久しぶりです。
やっと(この世界においての)半日が経ちました。
今回は、これからの行動指針を決める、そんなお話です(相も変わらず話の進み具合はびっくりするくらい遅いです)。
では、どうぞ。
────場所は戻って、《閑古鳥亭》。
アラト達が借りた205号室では、夕食を食べ終えたアラトがケモ耳娘3人に話をしているところだった。
「──というわけで、この世界の1日は元の世界の約12時間半。ご飯は朝晩で摂ってるみたいだから、俺達の感覚だと朝食、昼食、夕食、夜食を食べるっていうことになるのかな」
「へえ、なるほどなあ」
「暗くなるのが早いのにはそんな理由があったんですねぇ〜」
「わかりやすかったのです」
「さて、ここで相談なんだが。俺達の感覚では12時間もしないうちに寝るのは難しいことが多いよな? だから、俺達は夜の間も活動しようと思うんだ。そして、2日目の夜に長めに──とは言ってもここの人達に比べてって意味で──睡眠を取る。ここでの2日を1日として扱うんだ。もちろん、ここでのルールに従って1日毎に寝るのでも全然構わない。普段は2日活動して、例外的に昼寝代わりに寝るのでもいい。その辺の制限はしないから。さて、どっちがいい? 2日を1日扱いか、1日を1日として過ごすか」
皆、数秒考えて同じ結論を出す。
満場一致により、2日を1日として扱うことに決まった。
その後、細かいことを話し合って決めた。原則、2日を1日として扱うが、「今日は寝たい」などの理由で1日で寝るのも全く問題にはしない。むしろ、誰かが「今日は寝る」と言ったならその日は他の者も寝ることにする。寝ることによって行動不能になる日は極力1日にまとめる方が効率がいいからだ。
そんなことを取り決め、そのまま4人は《閑古鳥亭》を出る。
夜空に、星が煌めいていた。
「うわぁ〜〜! キラキラしているのです!」
クリリが感嘆の叫びを上げ、石畳みの道を軽やかに駆ける。満天の星空を見上げてはしゃぐクリリに、アラトの頬が自然と緩む。
ところで、クリリのパラメータで走ると石畳みを半ば捲ることになってしまうかといえば、そうではない。
自らの行動にパラメータを反映させるかはプレイヤー個人の意思で簡単に調整できる。極めて絶妙な加減もできるため、「プレイヤーのパラメータがぶっ飛びすぎていて困る」という話は聞いたことがない。つまり、パラメータを最大限反映させればアラトとクシュルの速度は雲泥の差だが、パラメータを一切反映させなければそこまで差はない。まあ、人間族と兎人族の基礎スペックには差があるのだが。
今のクリリは、パラメータをほとんど反映させていないだろう。
「む、建物が邪魔なのです! もっと広くいっぱい夜空を見たいのです!」
確かに、この国の建物は高い物が多い。これらがなければ、遠くの星空までを一望できるだろう。
アラトは苦笑しながらその背中に声をかける。
「クリリ、テンション上がるのもわかるけどちょっと待ってくれ。『中位中級闇魔法・闇の羽衣』」
アラトが魔法を使った瞬間、4人の頭上に薄い膜のような羽衣が舞い降りる。それは4人に覆い被さると、その姿を世界から匿うように周囲の闇に紛れ込ませて消した。
『中位中級闇魔法・闇の羽衣』は、夜にしか使えない魔法だ。隠れ蓑のように姿を隠すことができ、しかし『闇の羽衣』を纏っているお互いの姿は見えるという、時と場合によって良し悪しが大きく変わる魔法である。この羽衣はかなり大きいが、これに重量は存在しない。さすがファンタジー。
アラトは全員に魔法が掛かったことを確認すると、先ほどメニューを操作して変えておいた装備を弄ぶ。
アラトの両手に握られているのは、漆黒の短剣。どんな闇よりも闇らしいその刀身は、どんな物でも呑み込みそうな妖しい雰囲気を放っている。
《宵闇の双短剣》────それがアラトが両手の中で回している短剣の名称だ。陽が完全に沈んでから陽が昇り始める直前まで、攻撃力・耐久・切れ味・硬度など様々なパラメータ(隠しパラメータも含む)が1.5倍になる共通装備だ。基本的に、アラトの最強装備は、こういう条件付き共通装備が効力を発揮している状態の時、ということになる。
「皆、外門は飛び越えろ!」
アラトが全員に聞こえるように言うと、3人から了解の返事が返ってくる。アラトはそれを聞いて頷き、自分のために魔法を使う。
「『中位中級無魔法・跳躍力強化』」
アラトの身体を光り輝くが、羽衣のおかげで外から知覚することは不可能だった。
そのまま走ること十数秒。アラト達がこの街に入る時に使った外門が見えてきた。
「…………よし、行けっ!」
全員にギリギリ聞こえるくらいに声量を抑えた指示が飛び、闇夜を背景に4人の身体が宙を駆けた。
「あっ、すごいです………! すごいですっ!」
クリリが声量は抑えながらも興奮を隠しきれない声で歓声を上げる。
夜、外門に泊まり込み異変がないか見張る衛兵達に気付かれてしまう恐れのある行動だったが、今はアラトも注意する気は起きなかった。
────視界を覆い尽くさんばかりの、星、星、星。都会の明るすぎる人工灯と汚れた夜空しか見たことがないアラトから言葉を奪うには、その星空の美しさは十分すぎた。
「………………」
アラトは一言も発することなく、星空に見入っている。遮る物が何もない、空気の澄んだ夜空は、アラトの想像を遥かに超えるほど綺麗だった。
「これは……絶景だな」
「綺麗ですねぇ〜」
比較的田舎に住んでいて、綺麗な夜空というものを見たことがあるキララも、これほどの空は初めて見る。感嘆した呟きが漏れた。
あまり夜空になど興味がないクシュルでも、目を奪われてしまう光景だった。
4人は着地してからも暫く余韻に浸り、全員が満足したところで森の方へ向かって歩き始めた。
「あー、なんか楽しくなってきたのです! ピクニックなのです!」
クリリのテンションは止まるところを知らないのか、さっきからえらく楽しそうだ。これは探索の一環であって、ピクニックでは断じてないのだが。
アラトが苦笑して窘める。
「これはピクニックじゃあないんだけどな……。ってクリリ、1人で進みすぎだ。……まあ、テンション上がるのもわかるけどさ。クシュル、悪いけど」
「はぃ〜。あの子供は私が見てますねぇ〜。ししょーも楽しんでいてくださぃ〜」
ガキ、という言葉には僅かに棘があるものの、クシュルの表情はとても優しげだ。微笑ましい、くらいに思っているのかもしれない。
「……やっぱり、わかっちゃうか」
かく言うアラトも、正直言って浮かれていた。《マスパラ》内でも夜にしかできないクエストなんかもあったし、何もなくても夜にログインしていることもあった。だが、いくら精巧に作ってあったとしても、所詮は作り物。本物のインパクトに比べたら全然だった。絶景とは、人から言葉を奪うのだ。ということをアラトは初めて知った。
───だからアラトには、油断が生まれてしまっていたのだ───。
もう少し先に進んだところで、アラトは自分の右手にある森と自分達の中間くらいに位置する草原を飛び跳ねて進む生物がいることに気づいた。
「ん? あ、《角ウサギ》だ。夜行性じゃな────」
《角ウサギ》。《マスパラ》に出てくるモンスターで、昼に活動する。好戦的だが、種族単位で見てもあまり強くはないモンスターだ。当然、トッププレイヤーの相手など務まらない。1〜3本の角を持ち、角の数が増えるごとに強くなる。そんなモンスターを前に、「夜行性じゃないのになんでこんなところにいるんだろうな?」と言おうとしたアラトだったが、それは叶わなかった。
そもそも、そんな存在が夜に活動している時点で最大限に警戒すべきなのに。
────アラトの声に反応し振り向いた角ウサギ────その姿が、掻き消えた。
「────ッッッ!?」
その瞬間、アラトの身体中を悪寒が駆け巡り、アラトは何かを考えるより先に動いていた。右手に持っていた《宵闇の双短剣》の片割れを右ひ「ア──」何か聞こえたような気もするが無視! 右膝の前に全力で振り下ろすっ!!
ドズッ、と。鈍い音が響いた。
キララには、それが見えていた。
アラトを見た生物が、その脚で地を蹴るのを。それは、一直線にアラトに向かっている。アラトに伝えなきゃ。そう思い、キララは声を出す。「ア────」ダメだ。全く間に合わない。《アラト》という3文字のプレイヤーネームを呼ぶ時間すら、あの生物は与えてくれない。速い。必死に口を動かそうとするキララの視界の中で、生物の角がアラトの持つ《宵闇の双短剣》を貫通し、アラトの右太腿に突き刺さった。
「────ラトッ!?」
キララの絶叫が、夜の草原に響く。
「ア『ドズッ』トッ!?」
クシュルは、キララの声とそれに被さった妙な音が聞こえたので、振り向いた。視界に飛び込んで来たのは、右太腿を角ウサギの角に刺されて血を流すアラトの姿だった。
クシュルの心が冷える。
……あのクソウサギ。何の。何の権利があってアラトの脚に傷を付けているのか。権利? そんな物あるわけがない。ならどうする。アラトの弟子であるクシュル、お前は、どうする? そんなこと、決まっている。あのクソウサギを殺す。殺す。跡形もなく殺す。挽肉にして殺す。輪切りにして殺す。真っ二つにして殺す。何でもいい。殺す。殺す。必ず殺す。間違いなく殺す。絶対殺す、死ぬまで殺す殺しても殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺殺殺殺殺殺「クシュル!!」
思考が殺意一色に塗り潰されてしまう直前、アラトが自分を呼ぶ声が聞こえた。
「──GOッ!!」
それは、2人で旅をしていた時の合図。共に闘う時の合図。弟子クシュルが、師匠アラトの、役に立つための合図──────ッ!!
「────はいっ!」
クシュルは両手に《兎人の二双高剣》を握りしめ、あのクソウサギをぶち殺すために、アラトの期待に応えるために飛び出した。
ドズッ、と。自分の太腿に何かが突き刺さる音がした。キララの悲鳴も聞こえた。心配させてしまったかな、なんて少し思う。そして、突き刺さった物が何かなんて、見なくてもわかる。角ウサギの角だ。だが、直感ではあったもののガードは正確にできていたと思う。何故自分の太腿に直接突き刺さっている? 短剣を貫通しているとしか考えられない。だが、短剣が突き破られて軽くなった感覚はない。これはどういうことだ、とアラトが思い視線だけを下に移すと。
────角ウサギの角の、短剣の腹と重なっている部分だけが、透明になっていた。
(何だこれは? このモンスター特有の能力か? 角ウサギの外見をしている、別のモンスター? ……いや、今はそんなことよりも……)
0.1秒に満たない時間で思考していたアラトだったが、今はそんな場合ではないと考えを中断する。そして、自分達4人には間違いなく聞こえるような音量で声を張り上げた。
「クシュル!! GOッ!!」
「────はいっ!」
返事と共にクシュルが地面を蹴る気配が伝わってくる。クシュルがこちらに着くまでの数瞬で、こいつを引き剥がさなければ。
左手の《宵闇の双短剣》で頭をカチ割ろうとすると、攻撃を察知したのか角ウサギが大きく跳び退さる。角はあっさり引き抜かれた。角ウサギは僅かに地面を蹴っただけで、軽く5mは距離を取っていた。その能力の高さには驚かされるが、今は好都合。
アラトはバックステップで下がりながらキララの手を取り、クシュルに助言する。
「奴の角、条件はわからないが透明化して物体を透過する可能性がある! 気をつけて対処に当たれ!」
「了ォー解しましたァー! オルァこの腐れウサギがぁ!! ししょーに手ェ出した落とし前ェ、キッチリ付けさせてやるから覚悟しろォァ!! ぶち殺して焼いて食べてやんよぉっしゃぁっ!!」
ちょっと普段からは想像できない態度で角ウサギらしきモンスターに突っ込んでいくクシュル。
アレは別にクシュルの頭がおかしくなったわけではなく、クシュルが持つ受動技巧『憎悪値増加』の発動条件だ。まあ何でもいいから声を出すと、相手モンスターの注意が『憎悪値増加』持ちプレイヤーに向きやすくなるというものだ。なので、別に悪口を言う必要は全くない。つまりアレは、恐らくクシュルの本心だ。壁役が習得していることの多いこの受動技巧だが、アラトとクシュルはどちらも前衛タイプではない。というか、ポジションなどないようなものだ。敢えてどこかに決めるとするなら中衛だろう。そして2人は、昔2人で旅を始める際にどちらが壁役をやるか決めた。アラトが「どっちかやりたいのある?」と訊いたら、クシュルは物の数秒もせずに「壁役で!」と答えた。理由を訊くと、「ししょーにそんな役やらせられるわけないじゃないですか!」というクシュルらしい理由だったのだが。
────そして、戦闘時に、クシュルに『前に出て少なくとも時間を稼げ』という指示を与える言葉が、さっきの『GOッ!!』だ。
別に、サポートNPCだからとアラトが無碍に扱ったわけではないのである。これはクシュルの願いでもあるのだから。
逆に、アラトの持つ受動技巧『憎悪値減少』は、相手モンスターに背中を向けることなく無言で後退すれば、モンスターの注意が逸れやすくなるというものである。
そういえばクシュルが『憎悪値増加』を習得した時とほぼ同時に俺も習得したんだよな……などと、どうでもいいことを思い出す。
ところで、アラトが痛みを感じていないように見えるがそれは違う。我慢しているだけだ。何を思ったか《マスパラ》では、攻撃を受けた際の痛みをある程度再現していた。もちろんそれは設定で再現しないようにもできたが、多くのプレイヤー────特に廃人プレイヤーのほとんどは痛みを再現する設定でプレイしていた。そのためか、アラトやキララを初めとした廃人プレイヤーは軒並み痛みに強い。元の現実でも痛みに強くなっていたので、その点に関しては主に精神面についての良し悪しの議論が交わされた。まあ結論は「問題はないだろう」ということで収まったのだが。
閑話休題。
つまり今回で言えば、『脚を突き刺された痛み』なんて『筋肉質のモンスターに腕を引きちぎられる痛み』に比べればなんてことないというわけだ。この世界には『ダメージ削減』なんて機能はないだろうし、《マスパラ》で慣れておいてよかったと言えるかもしれない。
キララを引っ張るようにしてクリリの近くに連れてきたアラトは、手を離してすぐさま魔法を使う。
「『下位中級無魔法・痛覚遮断』、『上位下級回復魔法・止血』」
しかし、気が散るものは散る。
痛覚を遮断して止血を施し、短剣に何も異常がないことを確認する。異常はない。戦える。
アラトは駆け出しながら、後ろに向かって声を投げる。
「奴の実力は未知数だ! 念のため、キララが防護魔法を! クリリは、もし隙があったら魔法を頼む!」
「おう!」
「わかりましたです!」
敵がどの程度やれるのかわからない以上、まずは堅実に守りを固めるべきだ。魔法使いとしての腕は間違いなくキララの方が上なので、キララに任せるのが妥当だろう。2人のしっかりした返事を聞いて軽く頷くと、アラトは自分にさらに魔法を掛けながら戦場へと突撃する。
クシュルは、攻めあぐねていた。
「フッ! ハッ!」
鋭く呼気を吐き出しながら二本の剣を振るうが、その悉くを相手は回避して見せる。
負けそうなわけではないが勝てそうでもない────そんな膠着状態に陥っていた。
(こんのクソウサギ……完璧に躱してますねぇ〜。回避の合間に反撃を挟める程に余裕があるわけでもないようですが、回避に専念すれば私の攻撃は躱せないことはないというわけですかぁ〜)
クシュルの方にも攻撃しながら考察するくらいの余裕はある。というか、今でも全力で攻撃している。これ以上、思考を攻撃に割く意味がないのだ。
(それに、こいつ……あの2人が後衛だと理解しているようですねぇ〜。長時間、あの2人との間に遮る物が何もない状態が続かないように立ち回っています。私には直線を走る速度で敵わないことも理解しているのか、一目散に逃げ出そうともせずにジグザグに動いていますし。時折、キララさん達の方と向こうに見える森の方へ視線をやっていますね。攻撃と撤退、両方の手段をどちらでも取れるように算段を立てているのでしょうか。侮れませんね。なら、私はこのままこいつをここに縫い止めるように努力しましょうか。ししょーが何らかの解決策を見つけてくれるでしょう。それ頼みです)
途中から真面目モードに切り替わった頭での思考を一旦終え、相手の行動に注意しながらクシュルは両手を振るう。
──────と。
「クシュル、CHANGEだ!!」
一番信じ、愛しているアラトからの指示が飛んできた。瞬時に自分のすべきことを理解し、クシュルは元気良く返事をする。
「はいっ! 『内在魔法、展開』!」
いつまでも、アラトの隣で戦うんだ。
そんな決意を新たにしながら、クシュルは両手の剣を目の前の敵に叩きつけた。
クシュルの元を目指して駆けるアラトも、クシュルと似たようなことを考えていた。
(うーん、クシュルが攻めあぐねてるか……。あの戦闘は、このメンバー1だろうクシュルの素早を活かしきれてないよなぁ……と、なると)
「『下位上級無魔法・動体視力強化』」
既に『反応速度上昇』と『瞬発力強化』も『下位上級』で掛け終わっているアラトは、なおも思考を続けながら魔法を使う。
(あいつの相手は俺がして、クシュルを遊撃って形にする方がいいのかなぁ……多分強化すれば、俺もアレの相手はできるし)
「『下位上級無魔法・身体強化』」
(最大の懸念は、あいつが俺を相手にした時、直線での勝負なら勝てると理解されちゃった時のことだけど……それは、そもそも俺の立ち回りでそんな気を起こさせないか、牽制として魔法を見せるか、クシュルに行かせるかで対処できるだろう)
「『下位上級無魔法・脚力強化』」
(よし、掛けたい補助魔法も掛け終わったし────行くか!)
アラトは合わせて5つの補助魔法を自身に掛け終え、前を見据えて声を出す。
「クシュル、CHANGEだ!!」
「はいっ! 『内在魔法、展開』!」
『CHANGE』という指示。これは、『前衛が相手の動きにどうにかして隙を作り、その間に前後を交代して攻撃を続行する』という意味。クシュルはそれを即座に理解し、実行した。
『内在魔法、展開』。短剣に魔力を流し込むことで、短剣に仕込まれた魔法を発動させる。《兎人の二双高剣》以外にもそういう効果の武器はあるが、アラトは持っていない。
魔法を発動させた《兎人の二双高剣》の刀身が伸びる。────いや、伸びたわけではない。刀身の先に風が渦巻き、刃のようなものを形作っているのだ。
クシュルは両手に握りしめた《兎人の二双高剣》で角ウサギの身体をギロチンにかけるかのように、踏み込みながらの大きな横薙ぎで斬りつける。
野生の勘で危険だと感じたのか、角ウサギは斜め後ろに跳び上がるようにして回避した。
クシュル1人で攻めていた先程までは、この方法は取れなかった。この攻撃の仕方なら、確かに相手は左右に躱すことはできない。ある程度の高さを保持しながら後ろに跳び退る以外に躱す方法はないだろう。だが、それをクシュル1人の時にやってしまうと、稼いだ距離を有効活用してそのまま逃げられてしまう恐れがあった。クシュルは大振りにより、瞬時に体勢を立て直せる状況にないからだ。
────だが、他にもう1人追撃者がいるなら話は別だ。
アラトは深く深く踏み込み、《宵闇の双短剣》で斬りかかる。しかし、角ウサギも負けてはいない。空中という、動きが制限される中でもアラトの攻撃を身体を捻ることで2回躱して見せた。そして、2回回避できれば脚が地面に付く。アラトは自身に直線を走る速度で劣ると、本能的に理解したのか。地に脚が付くや否や、全力のバックダッシュから反転、少し遠くに見える森に向かって一目散に駆け出した。
──────だが、そんなことを許すアラトでもない。
「敵に背を向けると、対応が大変になるんじゃないか? 『上位中級風魔法・疾風の爆撃』」
自分でも走って角ウサギとの距離を詰めながら、左手を前に突き出し逃げる生物を照準する。
アラトの周囲に風が渦巻き、いくつもの弾を形成する。数十発の弾丸がほんの僅かな時間差を伴って、角ウサギ目掛けて飛んで行った。
背中で攻撃の気配を感じたのか、一瞬右に避けるような仕草を見せたモンスターだが、弾幕の厚さと広さを感じ取ったらしい。振り返って魔法の弾丸を見据えると、全力で回避し始めた。
(おいおい、アレを躱せるのか……?)
呆れ半分、感心半分と言った表情でアラト本人が突撃する。相手の身体が小さいのもあるんだろうが、それでも簡単に回避できるような弾幕ではない。
「シッ!」
『キュッ!』
角ウサギらしき生物がウサギみたいな鳴き声を上げ、仕掛けたアラトの短剣を躱す。どうやら、逃げ切れる相手ではないと悟ったらしい。先程クシュルにやっていたように、ジグザグに回避して周囲の様子を窺う。
────そして、大きく目を見開いた。
『キュキュウッ!?』
驚いたような声を出して、横合いから振り下ろされる剣を横っ跳びで躱す。アラトの攻めから、角ウサギの回避先を予測したクシュルの攻撃だ。アラトを巻き込むことも厭わない、思い切った一撃だった。アラトは巻き上がって自分に飛んでくる石礫を全て叩き落とす。
躱した先に追撃として放たれるクシュルの薙ぎ払いを斜め上に跳躍して回避、そのまま距離を取ろうとするも────。
「俺がそんなことさせるわけないだろ?」
穏やかに話しかけながら全然穏やかではない剣撃を繰り出すアラトに頬の筋肉を引き攣らせながら、角ウサギは身体を捻って短剣を躱しつつその腹を蹴って空中での移動を可能とする。角ウサギは、アラトの短剣の攻撃範囲からは脱した。何処となくホッとした表情を浮かべる角ウサギ。
そんな角ウサギの達人染みた動きに目を見張りながら、アラトは容赦なく追撃する。
(それで逃げられると思ったらダメだけどな)
「『中位中級蹴撃技巧・瞬脚』」
アラトが技巧を使うと、瞬きの間に角ウサギに接近していた。いや、角ウサギが気付けなかった様子だから、それよりもっと短い間だったのかもしれない。
接近したアラトの鋭い蹴りが、角ウサギの身体を打ち抜く。
『ギュウッ!?』
苦しそうな声を上げながら吹っ飛ぶ角ウサギ。なんか、意思疎通できそうだなーとか思いつつあるアラトだが、こいつは殺すと決めていた。
実際、使役魔法を使って『隷獣』にしてしまえば意思疎通は可能だ。多くの相手には漠然とした意思疎通しか取れないが、人の言葉を理解できる相手とは正確な意思疎通ができる場合もある。だが、こいつを使役したところで、角ウサギとの違いがわかるとは限らない。今知りたいのは、アラト達の知る《角ウサギ》とこの角ウサギの違いだ。ならば、殺して調べる方が楽だとアラトは考えた。
「これで殺す。『下位上級水魔法・圧縮狙撃水弾』」
アラトの右手人差し指にどんどん集まってくる水が一気に凝縮され、物凄い密度の弾丸となって角ウサギに襲いかかる。水弾は角ウサギの額を貫き、その命を一撃で狩り取った。
戦闘を終了したアラト達は、周囲を警戒しながら集まっていた。
「このモンスターは、何だったんでしょうかぁ〜? 角ウサギにしては強すぎましたよねぇ〜。私の攻撃を躱し続けられるモンスターって、結構すごいですよぅ〜」
《マスパラ》時代、クシュル1人では攻めあぐねる相手がいなかったわけではない。だがそれは、どちらかと言えば防御されてしまうという意味だ。純粋な回避能力だけでクシュルを梃子摺らせる相手は中々いなかった。
「確かにな。そいつ、アラトとクシュルの2人がかりでも少しは凌いでただろ。そんなの、魔法無しじゃあたしには無理だ」
キララが客観的に事実を告げる。4人の足下で息絶えているこのモンスターは、身体能力のみでアラト達を相手にしていた。そんな芸当、できるのはプレイヤーの中でも一握りだろう。それも、回避だけとなれば尚更。
「おにーちゃん、どうするのです?」
クリリがアラトを窺うと、アラトは1つ頷いて魔法を発動させた。
「取り敢えず、これは持ち帰ろう。『上位下級空間魔法・異次元作成』」
アラトはある考えの下、アイテムストレージではなく『異次元地域』を用いる。アラトは口を開けた『異次元地域』にモンスターの死体を放り込み、その空間を隔離する。これで、あの死体はアラトが何かするまであの状態を保ち続けることになる。
「俺は、今日は終わりにして宿に戻った方がいいと思う。さっきのが突然変異の角ウサギなのか、それとも別のモンスターなのか……ヴィンセンスさんが知ってるのかも含めて、冒険者ギルドで確認した方がいいだろう」
「あたしは異論ねーぜ」
「私もありません〜」
「わたしもないのです」
「なら、戻ろうか」
行きの浮かれた気分から一転、帰りは周囲を警戒しながら進む、探索らしい雰囲気になった。
とまあ久々の戦闘回でした。
初遭遇の魔物が、なんか想像していた以上に強かったというありがちといえばありがちな展開でしたがいかがだったでしょうか。
戦闘時、アラトが補助魔法を下位上級で唱えているのはミスではなく、相手の実力を測るためです。最初から最高の状態にしてしまうと、あっさり倒せてしまった場合脅威のレベルがわからなくなりますので。
アラトは基本的に敵は全力で叩き潰すべきという考えの持ち主ですが、この世界でのモンスターとの初戦闘ということで、多少様子見をした、ということになります。
ちなみに、どの階級で唱えるかの判断材料は先制でもらった一撃です。
誤字脱字等、何か気づいたことや感想があれば遠慮なくどうぞ。