閑古鳥亭
アラトが地図をセリシャが貸してくれた時の状態に戻し、全員がギルドを出て行ける準備を終えてから、キララが最初に口を開く。
「さて、アラトの異常さは嫌という程理解したところだが、全員準備はいいか? 忘れ物とかはないな?」
酷い言い草だな本当……などとアラトは考えて虚ろな目をしているが、当然の結果である。
全員がアラトのことを無視して話を進める。
「はい〜、私は大丈夫ですよぅ〜」
「わたしも大丈夫なのです!」
「よし、ならこの後はセリシャに地図を返して………どうしよう?」
「っておい。何も考えてなかったのかよ」
すかさずアラトがツッコむ。そしてため息を1つ吐くと、自分の意見を述べた。
「まず拠点を探して、その後散策で良いんじゃないか? 俺達はこの世界、この街のことを何も知らない。方針を決めようにも、情報がないとな」
「なるほどー」
「さすがししょーです〜」「さすがはおにーちゃんです!」
クシュルとクリリの発言がかぶり、2人が睨み合う。不毛なやり取りの一切をアラトは無視して、扉を開けた。
「ほら、早くしろー。置いてくぞー?」
「あっあっ、待ってくださいですぅ〜!」
「ああ、置いてっちゃやです、おにーちゃん!」
クシュルとクリリが慌てて廊下に出て行く。キララはため息を1つ吐いて、3人を追った。
「これ、ありがとな」
「あ、はい。お役に立てたのなら幸いです」
ギルドの受付を通る際、アラトがセリシャに声を掛けて地図を返す。セリシャは綺麗な礼を返して、それを受け取った。
ケモ耳3人娘もそれぞれのやり方で礼をする。
アラトがギルドの扉を開き、そのまま支えてケモ耳娘達を先に外に出す。アラトのさりげない優しさに3人は嬉しそうな顔をして、外に繰り出した。
「さて、まずは拠点の確保だな! どこがいいと思う?」
先を歩くキララが、振り向きながら3人に問いかける。3人は目配せをして、その結果アラトが返答する。
「この世界、ゲームと店の場所はほとんど変わらないみたいだよな……なら広さ的に考えても、あそこじゃないか? 《閑古鳥亭》」
「ああ、そう言えばそんな宿屋もあったな」
アラトが挙げた提案に、キララが納得の表情を見せる。
宿屋《閑古鳥亭》。ゲーム時代、まあプレイスタイルにもよるが、大抵のプレイヤーが序盤で立ち寄ることになったこの街の中で、最大の宿屋だ。見た目はオンボロで今にも倒壊するのではと心配になる程だが、中に入ってみると内装の綺麗さに驚かされる。以前アラトが現実で運営の知り合いに訊いてみたところ、『その方がギャップがあるじゃない? ギャップ萌えだよギャップ萌え!』という頭の悪い謎の答えが返ってきた。思わずイラッときて罵倒でそいつを泣かせてしまったアラトは悪くない。
「クシュル達も、それでいいか?」
「《閑古鳥亭》は利用したことがなかったんですよね〜。楽しみですぅ〜」
「《閑古鳥亭》なら文句なんてあるわけないです! またあのフカフカのベッドにダイブしたいです!」
クシュルは《閑古鳥亭》を利用したことはなかったらしい。あそこは本当に素晴らしい宿屋だった。綺麗で快適、なのに安いという駆け出しには嬉しい状態になっていたのだ。何故かはわからないが、全部屋ベッド完備だった。世界観をぶち壊している気がしないでもないが、あの運営相手にそんなこと気にしたら負けだろう。
しかし、それはあくまでも『ゲームでは』の話だ。
「あー、期待してるところ悪いけど、もしかしたらここではボロいかも知れないからな? 最悪の想定だけはしとけよ」
アラトがそう声を掛けた瞬間、喜んでいたクシュルとクリリの表情が凍る。
「まあ、最悪野宿でいいんじゃねーの? あたしらならどうとでもなるだろ?」
「え、キララ、お前風呂とか入りたくないの?」
「…………ごめん、さっきのなし。《閑古鳥亭》がゲーム通りでありますように!」
キララが男前なことを言ったが、アラトにツッコまれて即座に前言を撤回。まあ、気持ちはわかる。さすがに現実世界程の気持ちよさは得られなかったが、充分にくつろげるクオリティの風呂だったのだ。ゲームでさえそれである。現実のここでならどうなるのか。言うまでもない。
指定されたMPを注ぎ込むと適量の水を放出してくれる魔導具とその水を温める魔導具という2つの魔導具を使うので、MPさえあれば誰でも利用可能だった。しかも魔法を使えるなら、普通に水を出す魔法と温める魔法を使えばMPの消費も格段に減らすことができた。魔力とMPの正確な違いはアラトにもわかっていないが、ここでなら魔力を使えばいいのだろう。まあ、風呂完備の宿はそこそこ値が張る物が多かったのだが……何事にも例外はある。それが件の《閑古鳥亭》である。
要するに、《閑古鳥亭》は全プレイヤーの味方だったのだ。この世界でも似たような設備になっていてほしいと祈ってしまうのが普通だろう。
「ま、悩んでてもしょうがない。取り敢えず行ってみようぜ」
「そうだな」
「ですねぇ〜」
「はいです!」
ケモ耳3人娘が三者三様の返事で応える。
4人は足並みを揃えて、仲良く歩き始めた。
「ここだ」
「だな」
「懐かしい外観なのです!」
「…………えー、ししょー。何ですかこのボロ宿……」
アラト、キララ、クリリの3人が懐かしさを感じている横で、クシュルがマジトーンで抗議の声を上げた。それも仕方のないことだろう。なんせ《閑古鳥亭》は、今にも倒壊しそうな、『…………え、築何十……いや何百年ですか?』と素で言わせるようなとっても風通しの良さそうな建物なのである。何も知らなかったら余裕で早足になって通り過ぎると確信できるような風体をしていた。お化け屋敷と言われた方が納得できる。
しかし、これはギャップ萌えなのだそうだ。アラトの運営の知り合いに言わせれば。萌えることのできる次元を遥かに超えている気がしないでもないというかその気しかしないが、ギャップ萌えらしい。アラトには理解できない境地だった。
キララとクリリはただ懐かしさを感じているだけだが、アラトは同時に懸念も覚えていた。それは………。
「……ゲームの中なら、外観と内装に変化をつけることも可能だろうが……この世界で、そんなこと可能なのか?」
「言われてみれば……」
「確かにそうなのです……」
キララとクリリのテンションが一気にダウン。
余計なことを言ったか、とアラトが頭を掻きながら《閑古鳥亭》を再び見て────奇妙な感覚を覚える。しかしその感覚が微妙すぎて、アラトは確信が持てなかった。そのため、そういう部分では間違いなく自分より秀でているキララとクリリに助力を願う。
「なあ、キララ、クリリ。この建物、微妙に魔力を放ってないか……?」
「はあ?」「ほえ?」
アラトからいきなり訳のわからないことを言われて困惑する2人。
「魔力なんて、んなことあるわけ……」「わたしたちが気づかないなんて、あるわけないの……」
2人はそれぞれ否定の言葉を口にしながら視線を《閑古鳥亭》に戻し────。
「はあぁぁぁああああああ!?」「ですぅぅぅうううううう!?」
素っ頓狂な叫び声を上げることになった。
2人が注力して見れば、ハッキリと見えるではないか。この建物は、表面から僅かな魔力を放っていた。それも、魔力感知に長けた2人が集中してやっと気づくことのできるレベルで。底面積が縦30m横40mはある2階建ての建物の表面全てをカバーしているのにも関わらず、漏れ出ている魔力は極微量。恐ろしいまでの魔力操作だった。
「…………アラト、1つ訊いていいか?」
「なんだ、キララ?」
「アラトには……できるか? これ……」
「無理だな」
即答。この4人の中では一番魔力操作が得意であろうアラトをして即答させる程、この技術は難しいものだった。
「マジかよ……お前ほどのセンスを持ってても無理とか……どんだけすごいんだ……?」
途轍もなくすごいのはわかっていたが、アラトにもできないとなると驚きの段階が上がる。アラトは自分の中の魔力をいち早く操作し、パーティーチャットもどきや新しい魔力感知の方法などを実行してみせたほどのセンスを持つ。そんなアラトが即答って……。これがキララの今の思いである。
アラトはアラトで、少し考え込んでいた。
(…………俺なら、どのくらいまでならできるか……。多分、底面積がこれの半分なら何とかできる……。つまり、同じくらいの底面積で一階建ての建物でも恐らくできる……。屋根がある分、微妙だけど……。それが、俺が他のことをやりながらカバーできる限界かな……)
────そう。あくまでも、他のことをやりながらである。一応、これに全神経を集中させればできないことはないとアラトは考えている。だが、他のことは一切できなくなるだろうし、話しかけられたりすればすぐに集中が途切れ、魔法を維持できなくなってしまうことは容易に想像できた。自分なら食事も摂れないことは確定的だが、この魔法を行使している人がそんな状態に陥っているわけがない。つまりこの魔法の使用者はこの魔法を使いながらも余力を残しているということであり、そういう意味で無理なのだ。
アラトは、この魔法を使っている者に興味が湧いた。
この魔法は、幻惑魔法に分類される物だ。アラトが感じ取っている感覚が正しいのなら、これはアラトにも使える階級の魔法のはずである。要するに、飛び抜けて上位の魔法というわけでもないということだ。そんな魔法でこれ程までの結果を齎す存在に、アラトは激しい興味を覚えた。
それを知るために、行動を始める。
「まあ何にせよだ。幻惑魔法でこんなボロく見せてるってことは、実際は違うはず。本当にボロいなら魔法を使う必要がないからな。なら、入ってみようぜ? 俺が見る限り、幻惑魔法で見た目は誤魔化してるが、迎撃用のトラップが仕掛けられたりしている様子はない。入るだけなら問題はないはずだ」
アラトの言葉に、3人も納得を示す。入ることは決定事項になりそうでアラトとしても嬉しいが、アラトはうかれているわけではない。警戒も忘れない。
「でも、入ったら中にいる人から攻撃される可能性はある。物理攻撃や普通の攻撃魔法なら何とかできる自信はあるけど、問題は幻惑魔法だ。これ程の使い手がいるなら、入った瞬間に魔法を掛けられたら多分対抗魔法は間に合わない。それに、幻惑魔法の本領は『ある領域全体に予め魔法を掛けておき、そこに踏み込んできた者を幻惑に取り込む』ことだ。だから、念のためプロテクトを掛けておこう」
アラトの提案にキララとクリリは頷くが、クシュルは首を捻っていた。
「ししょー、さっきトラップは仕掛けられてないみたいって言ってませんでした〜? どういうことですか〜?」
クシュルはアラトを信用していないわけでも馬鹿にしているわけでもなく、本当に理解ができていないのだろう。クシュルは魔法や魔力感知が得意なわけではないし、中々どうして堅実な性格だ。恐らく行商をしている時にも、建物や物体に仕掛けられた魔法型トラップを見たことがなかったのだろう。怪しげな所には一切近寄らなかったのだろうし、それも頷ける。
アラトは、クシュルにもわかりやすいように説明する。
「魔法型のトラップは単純な攻撃魔法のことが多いんだ。火魔法とか風魔法とか。今回、そういう直接的な魔法は仕掛けられてない。それは断言できる」
クシュルはふんふん頷きながらアラトの話を聞いている。
「なんで断言できるかって言うと、魔法が発する魔力には微妙に違いがあるんだ。クシュルにはよくわからない感覚かもしれないけど……」
アラトが訊ねるようにクシュルを見ると、クシュルは頷いた。
「ですねぇ〜。そんなこと言われても、よくわからないっていうのが本音ですぅ〜」
アラトは苦笑して頷き、説明を続ける。
「まあ、クシュルはそんな魔力感知に秀でてないからな。仕方ないと思う。それで話を戻すけど、今回気をつけなきゃいけないのは幻惑魔法のトラップ。何故かと言うと、この建物が幻惑魔法で覆われているから」
「…………えっと、木を隠すなら森の中、みたいな感じですか〜?」
「そう、紛れちゃうんだよ。見た目を誤魔化す幻惑魔法は建物の表面に掛けられてたから何とか気づけたけど、建物の中に幻惑魔法を設置されてたら俺にはわからない。多分、キララとクリリにもわからないと思う。相手がこれ程の使い手だからな……」
入ってきた者に対して反応する魔法を建物の中に仕掛けられていたら。その上もしも、そっちの魔法も魔力の放出が抑えられていたら。悔しいがアラトの感知では、建物の方に紛れてしまって判別できない。それがアラト自身よくわかっていた。キララとクリリも頷いていた。建物内部の魔力は感知できていないらしい。
そもそも、建物の内部で発生した魔力は外に漏れ出しにくいのだ。その逆で、外で発生した魔力は建物の内部に伝わりやすい。しかもよく見ると、この建物自体に何やら細工がしてあるようだ。幻惑魔法のフィルターを頭の中でできるだけ外して見てみると、建物にも魔力が宿っている。ように見える。ちょっと自信がないので、アラトも断言はできないが。
「まあそんなわけで、幻惑魔法に対する準備はしておこうってこと。2人とも、魔法は使える?」
大分省略した訊き方だったが、キララとクリリには正確に伝わった。
『幻惑魔法に対抗できる魔法、使える?』という意味だ。
その上で、2人は首を横に振る。
「わりー、アラト。あたしらは幻惑耐性が他の種族より高いからさ。必要としねーんだよ」
「今までも、魔法を使われた後に軽い対処をするだけで無効化できたのです……」
キララとクリリが申し訳なさそうにアラトに告げる。確かに『狐人族』、とりわけ『妖狐族』ともなれば精神に作用する魔法に対する耐性はかなり高いだろう。
幻惑魔法は発動から効果が出るまでに少々時間がかかる。これは、戦闘中に一瞬で最上位の幻惑魔法を掛けられてしまっては勝負が見えているからだ。《マスパラ》のシステム上、対象を取って発動する幻惑魔法は基本的に必ず掛かる。耐性が高ければ高いほど、幻惑魔法が掛かるまでの時間が伸びるだけだ。しかし、相手に幻惑魔法の行使を中断させることで対処は可能である。
よってキララとクリリは、戦闘中に最上位の幻惑魔法を掛けられそうになっても、効力が発揮する前に倒すか、最低でも意識を逸らせればいい。しかし幻惑魔法に対する耐性が低いと、そうは行かないのだ。
また、《マスパラ》の魔法・技巧に関する話だが、全ての魔法・技巧において習得クエストが存在する。ここで言う全てとは、文字通りの意味だ。火魔法や風魔法を習得するためのクエストがあるのはもちろん、『火の連弾』や『炎の絨毯』1つ1つにも習得クエストが存在する。要約するのなら、火魔法習得クエをクリアしただけでは火魔法は使えない。魔法・技巧を使える土台というものを形成した上で、個々の魔法・技巧を覚える必要があるという鬼畜設定だった。言うまでもないことだが、適性のない魔法・技巧はそもそも土台を作ることができない。
魔法・技巧には隠しパラメータ的な扱いで熟練度が設定されていて、何度も使うことでその効果を引き上げることができた。
話を戻すが、アラトは種族・職業的な観点から見れば、全プレイヤーの中でもトップクラスに耐性がない部類だ。
まず、『無職』。ニートに耐性など存在するわけがない。
次に、『人間族』。『人間族』には3種類存在し、アラトはその内の『黄色』。要するに黄色人種だ。他のは予想できると思うが、『黒色』と『白色』がある。中でも黄色は優れた耐性が特になく、かと言って何か秀でているところがあるかと言えばそんなことはない。あるのは中途半端なありきたりな耐性だけ。
不人気職トップが『無職』であるのに対し、不人気種族トップは『人間族(黄色)』というわけだ。
残るはクシュルだが、彼女も種族的な幻惑耐性はない。『兎人族』はスピードに特化した肉体強化が主な補正だ。
『獣人族』は、何かに特化した肉体強化の補正を持っているものがほとんどだ。もちろん、上位種族にもなれば全体的にかなりの強化が為されるし、クリリの種族である『狐人族』のように例外もあるが。
ともかく、クシュルに種族面での幻惑耐性はない。
だが、職業は違う。
クシュルの基本職は、『旅人』だ。旅人とは本来、目的地を決めたり決めなかったりしつつ様々な物を見て回る自由気ままな存在。同じ目的を持つ者や仲間と共に行動したり、1ヶ所に長く留まったりすることもあるが、基本的には1人でさすらう者達のことだ。
そんな存在が、幻惑に弱くていいのだろうか?
────否。断じて否。
そんなコンセプトの下に設計された『旅人』とその上級職には、幻惑魔法に対する耐性は相応にある。流石に、職業面から見ても耐性の高いキララとクリリには敵わないだろうが、クシュルの幻惑耐性もそれなり以上にはあるのだ。
ちなみに、この耐性は受動技巧としてステータスに現れるものではなく、職業に付属している副産物のようなものだ。なので、相手の職業を見誤ると手痛いしっぺ返しを食らうことがある。
閑話休題。
まあそんなわけで、今この瞬間に幻惑魔法への耐性を強化しなければならないのはアラトだけなわけだが……。
「そっか、了解。でもま、手間は変わらないから皆にもまとめて魔法を掛けるよ」
そう言って、アラトは魔法を使うことにする。唱えるのは、『上位初級無魔法・魔法拡散』だ。『魔法拡散』は階級が決まっている補助魔法の1つで、次に使う補助魔法の消費MPを倍にする代わりに仲間にもまとめて魔法を掛けるという効力を持つ。これを使って、皆にも同時に──と、そこまで考えてアラトは思い至る。
「あ、でも……パーティーが組めないから、『魔法拡散』は使えないのか?」
アラトの呟きを聞きつけたキララが、思案顔になって唸る。
「あー、確かに……そうかもしれねーな。あの魔法は、パーティーメンバーを効果範囲に含めるっていう物だったし……」
しかし、自身が上げた懸念を、アラト本人が否定する。
「いや、違う。向こうでは運営が俺達プレイヤーを繋げていただけだ。条件は『パーティーを組むこと』ではなく『繋がりを作ること』じゃないかな。ここで言うなら魔力の繋がりなのかな? ……まあ取り敢えず、俺が繋げればいいのか」
アラトは1人で納得するや否や、目にも留まらぬ速さで魔力の線を伸ばし、3人に繋げた。一応頭の中で話しかけ、繋がっていることを確認する。
3人から返事が返ってきたのを受けて、今度こそアラトが魔法を行使する。
「『上位初級無魔法・魔法拡散』」
アラトが言葉を紡ぎ終わった瞬間、言葉が意味を持ち結果を形作る。アラト自身を対象にして発動した魔法は、アラトの魔力の線を通って3人のケモ耳娘に届いた。
それを体感で認知したアラトは、続けざまに魔法を使う。
「『上位特級防護魔法・精神保護』」
その瞬間、膨大な量の透明な魔力がアラトを包み、その半分が魔力の道を辿って3人に等しく分配される。そしてそのまま3人の身体の表面に滲み出てきたかと思うと一気に膨張し、アラトの物とほぼ同じ大きさまで膨らんだ。無色透明な魔力は4人の身体に染み込み、外からは見えなくなる。
時間にして1秒にも満たなかった。
「おっ。久々に見たな、アラトの特級魔法。使うのっていつぶりなんだ?」
「そうだなぁ……ちょっと前のアプデでさ、グランドクエストの裏ボスみたいなのが実装されたじゃん?」
「うんうん。てことは、そいつと戦った時に?」
「俺の記憶が正しければ、そうだな。あいつをソロで倒した時が最後だったと思う」
「なるほど、そっかそっかー。…………って、ソロぉ!?」
「え? うん」
「うん、じゃねーよ!? あのボスに、あいつらのギルドがフルレイドで負けたの知ってんだろ!?」
「ああ、《星屑の世界》だろ? 知ってるよ」
「…………あいつらでさえ一度は敗北せしめられたボスを、ソロでやっちゃうか……そっかぁ……」
キララは呆れて物も言えない様子だ。
《星屑の世界》は、最強ギルドの名をほしいままにしている実力派ギルドだ。様々な種族・職業のプレイヤーが所属し、日々互いに力を高め合っていた。全ての所属プレイヤーのレベルは600を超えていて、《マスパラチャンピオンシップ》の優勝者を何人も抱えていた。最強ギルドというのも頷ける。
そんなギルドのフルレイド(6人パーティー10個分である60人)を全滅させたボスを──しかも後に、彼らがトッププレイヤーだけで挑んでリベンジを果たした時のメンツは12人という6人パーティー2つ分だったのだが、その激戦のあとに《星屑》のギルマスが『激しい戦いだった。俺達12人の中で生き残ったのは4人だけ。アレは、10人以下で攻略するのは不可能だ』というコメントを残したほどのボスを──ソロで倒すなんて。本当にアラトはおかしいよなぁ。ま、そこがカッコいいんだけど。なんて、ズレたことをキララはしみじみと思った。
ちなみにグランドクエストだが、最初に選んだ『種族』────『人間族』、『獣人族』、『妖精族』の大別の方────に応じて、ストーリーの進み方が違う。順番が違うだけで結局やることに変わりはないのだが、順番が違うためにボスの強さも違うし、細かい攻略法にも差があった。最終的には合流し、ラスボスを打ち倒す時には他種族との協力も可能──ということになっていて、この辺も《マスパラ》が大人気だった理由だ。
「あのボス、超広範囲攻撃が多かったからな。大人数で行くより、5人くらいまでの方がやりやすいと思うぞ? 話が逸れたけど、そういうわけだから多分それが最後に特級使った時かな」
アラトが、彼らの努力を完全に潰すようなコメントを残す。キララはこの発言を胸の内にしまっておこうと強く決意した。
そしてアラトが特級を使えるカラクリだが、何ということはない。ゲーム時代も勘違いしているプレイヤーが多かったのだが、正確に言えばアラトの職業である『無職』は『特級魔法・技巧を使えない』のではなく、『特級魔法・技巧を覚えられない』だけなのだ。よって、階級が存在しない補助魔法であれば、上位特級の段階で使うことは可能なのである。流石に、下位上級までしか使えない状況でキララの上位特級魔法を貫通できる威力の攻撃を放てるほど、《マスパラ》は甘くない。
何はともあれ、これで全員に強固な精神攻撃耐性が付いた。種族・職業のおかげで元から幻惑耐性が高い女子3人は言うまでもなく、装備と受動技巧で幻惑耐性を底上げしているアラトも全く問題ないレベルにはなったはずだ。
「よし、これなら多分大丈夫だろ。入ってみようぜ?」
「ああ」
「了解ですぅ〜」
「はいなのです!」
アラトが3人に声をかけ、頷きをもらう。
アラトは前を向き、見た目はボロッボロの宿屋の扉を開けた。