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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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Rail Days

作者:
掲載日:2013/11/06

 通勤通学ラッシュの時間を過ぎて、なんとなくのんびりした空気が流れる電車の中、僕はイヤホンから流れる音楽を聴いていた。

過剰ともいえる暖房のせいでコートの下が汗ばんでくる。車窓から見える景色は雪の白一色で、その寒々しさに惹かれて窓を開けたい誘惑に駆られるが、周りの目が気になるのでやめておく。この一か月は家庭学習期間だったので、電車に乗って出かけるのは久しぶりだ。明日は大学入試の二次試験、今日はこれからその下見に行くのだ。

 別に強い動機があってその大学に決めたわけじゃない。周りの友達も受けるし、とりあえず近くの大学の中ではそこそこのレベルだし、なんとなくここにすればいいかなって程度の理由。でも、ここまで来てしまったからにはそんなことも言ってられない。すべり止めの私立には行きたくないし、浪人するのも嫌だ。

 そんな風になんとなく荒んだ気持ちだからか、一カ月前まで普通に通学に使っていた電車なのに、なんだか懐かしく感じてしまう。こうして席に座ってぼんやりしているだけで、色んなことを思い出す。

 毎日、同じ時間、同じ車両で過ごしたあの時間。入学したての頃は、同じ地元の友達と一緒に行ったり、駅から学校までの時間がわからなかったりで、電車の時間も乗る車両もそのときそのときで違った。けど、高校の生活に慣れてくるとそれらもだいたい決まってくるもので。僕の地元の駅は路線の一番端っこだったので、まだ誰も乗ってない車両の中で好きな席に座ることができた。

 先頭車両の一番前、対面の二人掛け席――田舎特有のボックス席がたくさん並んだ旧式の車両だった――に進行方向と同じ向きで座る。その場所を選んだことに特に深い理由はない。端の方が空いている気がするとかそんなもんだった気がする。田舎から都心の高校に通っていたので、電車に乗っている時間は片道で五十分ほど。高校三年間で通算すると、かなりの時間をその硬いシートの上で過ごしたことになる。


◇◇◇


 電車通学にも慣れてきた五月の半ば頃、僕はあることに気づいた。

 向いの席に座っているのが毎回同じ人だということに。

 僕は電車に乗っているときは本を読むか目を閉じるかしていたので、向いの席の人物を注意して見ることはなかった。ただなんとなくいつも同じ高校生が座っているなと思ってるくらいだった。僕の駅の次の次の駅、幌里公園駅から乗ってきて、六軒駅で降りる。いつも乗り降り口から真っ先に入ってきて、僕の向かいの席に座る。そして座るや否やすぐに参考書か文庫本を取り出して読んでいた。

 文庫本は学校の図書室で借りてきたものらしく、カバーもつけずにそのままで彼は読んでいたので、本の背表紙が向かいの席の僕には見えた。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だった。宮沢賢治は僕も好きな作家だったし、『銀河鉄道の夜』はその中でも一番好きな話だった。いつ読んでもそのキラキラした文章に心躍るし、読み終わった時にはなんだか胸が締め付けられるような気持ちになる。

 何日かおきに読んでる本は代わっていたけど、『注文の多い料理店』、『風の又三郎』など宮沢賢治のものが多かった。一言も話したことはないし、顔もまともに見たことがなかったけど、そういう理由もあって、いつの頃からか僕は向かいの席の彼のことを意識するようになった。

 あんまりじろじろ見てると怪しまれるかもと思い、窓の外を眺めるふりをして横目で彼のことを見たりしていた。短く整えられた髪、切れ長の瞳、学生服のボタンはいつも一個だけ開けている。鞄は黒のメッセンジャーバッグ。毎日顔を合わせているとなんとなく覚えてしまうものだ。年は、学ランを着ているから高校生ということくらいしかわからない。その落ち着いた雰囲気から、なんとなく同い年ではなさそうな感じで、高二か高三だろうか。中学校を卒業したばかりで、まだ子供っぽさが抜けない自分と比べると、とても大人っぽいように感じたのを覚えている。




 夏休み明けの八月、向かいの彼の朝の読書に変化が現れた。それまでは月曜から金曜までいつも文庫本を読んでいたのが、時おり授業の参考書のようなものを読むようになった。何週間か見てる内に、どうやら火曜は英語、金曜は古文の参考書を見ていることがわかった。

 おそらくそれぞれの曜日に単語の小テストでもあるのだろう。赤シートをあてたり、指を動かしたりして単語を覚えているようだった。そして、十分ほど眺めたら、参考書を文庫本に持ち替えていつものように読書を始めるのだった。本を持ち替えるタイミングがちょうど電車が駅に停まるのといっしょだったので、彼が参考書を鞄にしまうのを見た他の客が、降りるものと勘違いして次に席に座ろうと身構えるときもあった。一瞬座れると思った他の客が、彼が当然のように文庫本を鞄から取り出すのを見てがっかりしているのを見るのは、少しおもしろかった。

 



 ただ向かいに座っているというだけの人間に対して、あそこまで意識していたのは不思議でもある。学校では特に部活もやっておらず、先輩というものに対するあこがれもあったのかもしれない。自分の好きな作家の本を読んでいるというだけで、あたかも共通の知り合いがいるかのような親しみも持っていたのだろうか。いつも同じ空間を共有していることの仲間意識というか。寝坊していつもの時間の電車に乗れなかった時などは、次の日に彼と会ったときになんとなく申し訳ないような気持ちになったりもした。

 そんなある日、クラスの友達と教室で話しているとき、友達の一人が相談を持ちかけてきた。そいつが言うには、毎日電車で隣に立っている女子高生がいる、毎日見ている内になんとその子のことを好きになってしまったらしい。

「好きになったって、何お前その子と話したことはあんの」友人の一人がそいつに聞く。

「いや、話したことはないけど……。でも、今度勇気を出して話しかけてみようと思うんだ」

「いやいややめとけって、ストーカー扱いされんぞ。いきなり知らん男に話しかけられてもキモいだけだって」

 友達の恋心が「キモい」で一蹴されるのを聞きながら、僕は朝の電車の彼のことを考えていた。

 ……そうか、キモいのか。そうだよな、別に知り合いでもなんでもない男が自分のことやたら見てて、しかも勝手に好きになられても気持ち悪いよな。

 いや、でもこっちは男同士だし。好きとか、全然そういうのじゃないし。見てるといってもちら見するくらいだし、今日は何読んでんのかなあとか、あ、何気に本読むときだけ眼鏡かけるんだなあとか。まあ、話しかけるつもりもないし、別に僕に興味持たれてることを彼は知りようがないんだから、キモがられることはないよな、うん。

 そんな風に自分の中で勝手にぐるぐるして、勝手に結論づけていた。




 いつもただ黙って向かい合っているだけだった僕と彼だが、一度だけ話したことがある。もっとも話したと言っても、あれを会話と言えるかどうかは微妙だが。

 その日僕は、数学の問題に必死で取り組んでいた。前の授業の時に解いてくるように言われた問題を、まだ解いていなかったのだ。ノートに計算式を書きなぐっては、消しゴムで消したりを繰り返していた僕の向かいで、彼はいつも通り文庫本を読んでいた。その日は宮沢賢治じゃなくて、太宰治の『桜桃』。

 電車の中で書き物をするのは難しい。ノートは左手で支えてるだけだし、車内はたまに揺れるし。案の定、電車が停まった時の揺れで手がすべってシャープペンを落としてしまった。床に落ちたそれは、そのままころころ転がって彼の足下へ。あわてて僕が足で踏んでこちらに摺り寄せようとすると、彼の左手に制された。彼は、ゆっくりと、丁寧な動作で僕のシャープペンを拾うと、

「汚れちゃうよ」

 僕の右手にしっかりと握らせた。そして、僕のぎこちない礼を気にとめる風もなく、再び文庫本に目を落とした。

 高すぎもせず、低すぎもせず、別に特徴のある声ではなかった。あまり抑揚のない、落ち着いた喋り方だった。それが、僕の彼に対する「大人っぽい」イメージと合致して、足で無理やり引き寄せようとした自分の行為がひどく幼稚に思えた。もごもごするばかりで、まともに「ありがとう」も言えなかった自分が恥ずかしくなった。

 思い返してみるとやはり会話と言えるほどのものでもないのだけど、あのシーンは妙に記憶に残っている。




 月日は流れ、僕は二年生になった。そして、年度が替わっても彼は相変わらず僕の向かいの席にいた。どうやら彼は僕の一つ上の学年だったらしい。

いつもの座席、いつもの電車、いつもの通学風景。その中に彼は確実に同化していた。幌里公園に電車が停まる。ドアが開いて、彼が一番に乗ってくる。僕の前に座って文庫本を開く。田園を走る電車の中、僕は本を読みながらたまに彼の方をちらっと見る。六軒駅への到着を告げるアナウンスで彼は本をしまい、立ち上がって出口へ向かう。

 いつの間にか彼が僕の向かいに座ることが、自分の中でとても自然なことになっていた。

 そんないつもの状況は唐突に終わりを告げた。

 二年の七月のある日、いつものようにホームに降りた僕は、目の前の車両がいつもと違うものであることに気づいた。なんでも、電車の路線が完全に電化したとかで(それまでは「電車」と言いつつも半分はディーゼルで動いていたらしい)、車両も新しいものになったらしい。それまでのボックス席がぎっしりと並んだ車両から、窓際に横一列の席があって真ん中は立つ人のために空けてあるタイプのものに。

 いきなり車両が変わったことには少し驚いたけど、僕はいつものように電車の先端に向かった。一番端っこの壁際の席に座ったあと、少し考えて一人分のスペースを空けて横にずれる。冷房が効きすぎているようで、鞄の中からカーデイガンを引っ張り出して羽織る。

 さすが完全電化しただけあって、いつもより五分ほど早く電車は幌里公園駅に着いた。たくさんの人が乗ってくる気配、その先頭にはいつもと同じに彼がいる。外は暑かったのかワイシャツのボタンは二つ開けて、袖をまくっている。彼はいつもと違う車両に特に驚いた風でもなく、空いている席を目で確認すると、僕の隣には座らずに、向かいの側の空いていた席にさっさと座ってしまった。

 あ、あっちに座ったんだ、と思っている内に他の席も埋まり、彼が文庫本を取り出したのを最後に、真ん中に立つ乗客に遮られて彼の方は見えなくなった。

 確かに、別に友達でもなんでもないし、彼にとっては僕の隣に座らなくてはいけない理由も無い。他にも空いている席はあるのだし。

 それでも、彼が他の席に座ってしまったことに少しがっかりしたということは、僕は心のどこかで彼が隣に座ることを期待していたのだろう。この一年間いつも顔を合わせていて、彼に対して好意というか憧れというか親近感というか、よくわからないけど、何らかのプラスの感情を抱いていたのだろう。

 次の日も、その次の日も、僕は隣のスペースを空けていたけど、彼は他の空いている席の方に行ってしまった。僕は、フラれるってこういう気持ちなのかな、と思った。全然違うけど。 

 そんな頃、同じクラスの友達が実は同じ電車で通学していたことがわかって、一緒に行こうよって話になった。それからは友達に合わせて違う車両に乗ることになったので、彼の顔を見ることはなくなった。


◇◇◇


 始発駅の時点ではガラガラだった車両内も、終着が近づくと結構混んでくる。駅への到着を告げるアナウンスが流れ、僕は外の寒さに備えてコートの前をしっかり閉めて、出口に向かう。電車が駅に着き、他の乗客と一緒にホームに吐き出される。高校に行くときは地下鉄に乗り換えるのだけれど、今日はそのまま駅の外へ。五分ほど歩いたところで、大学の大きな門が見えてきた。「道案内します」という看板をぶら下げた大学生らしき人たちが、下見に来た受験生に話しかけたりしている。人見知りの僕はその人たちの横を足早に通り抜ける。

 入試会場は理学部、正門からは五分ほどで着くらしいのだが……、それらしい建物が見つからない。結局端っこの獣医学部まで来てしまった。ああ、ここが『動物のお医者さん』の舞台になったところかあとちょっと感動したけど、そんな場合ではなく僕は慌てて来た道を戻る。

 ……最初の場所まで戻ってきてしまった。なんで見つからないのだろう。僕がにぶいのか、会場自体がわかりづらい場所にあるのか。地図とにらめっこしながらきょろきょろする僕を見かねたのか、一人の学生が話しかけてきた。

「あの、もしよかったら案内しようか」

 紺のダッフルコートに眼鏡をかけた、親切そうな男の人だった。内心途方に暮れていたけど、自分から道を聞く勇気はなかった僕は、すぐにお願いした。

「理学部かあ、微妙に奥まったところにあるから初めての人にはわかりづらいかもね」

 案内のお兄さんと二人で並んで構内を歩く。「出身はどこなの」とか「地元の人なんだ、高校はこの辺?」とか、お兄さんの振る当たり障りのない会話に、僕は「はあ」とか「そうなんですか」とかなんとなく相槌を打つ。

「志望はどこの学部なの」

「えっと……文学部です」

「文学部かあ、友達に一人いるよ、文学部の人。あ、僕は経済学部なんだけどね」

「はあ、そうなんですか」

 知らない人の知り合いの話をされてもどう反応していいかわからない。けど、この人は気を遣って色々話しかけてくれているようなので、一応の相槌を打つ。と、お兄さんが何かを見つけたようだ。

「あ、話をしてたら……おーい、真川!」

 道の反対側を歩いていた黒いダウンの男の人が、声に気づいてこちらに歩いてくる。遠くてよくわからないが、見たことがある人のような気がする。

 あ。

 あの人だ。久しぶりだし、私服だし、よくわからなかったけど。少し髪が伸びて、雰囲気も大学生っぽくなっていてびっくりした。というか真川って名前だったのか。

「よ、真川。何してんの、春休みの大学で」ダッフルのお兄さんは嬉しそうに真川さんに話しかける。結構親しい仲のようだ。

「何って、暇だから図書館行ってたんだよ。お前はあれか、案内のやつか」

「うん、部活の友達に誘われてね。そうそう、こっちの彼、文学部志望だって」

 話題が僕に移り、真川さんの視線もこちらを向く。彼はにやっと笑うと、

「へえ、文学部。うちの学部はいいよー、毎日好きなことだけ勉強してられる」

「え、お前こないだ『興味ない小説についてのレポートなんて書く気がしない』とか言ってなかったっけ――」

「ばか、明日試験だっていう受験生のモチベーション下げるようなこと言うんじゃねーよ」

 ダッフルのお兄さんがにやにやしながら真川さんにヘッドロックをかけられている。僕は二人のやりとりがなんだかおかしくて、つい吹き出してしまった。それを見た二人は少しきまりが悪そうに顔を見合わせる。

「あ、ごめん、案内の途中だったね。もうすぐそこだからさ。それじゃ真川、またな」

「ああ、またな。君、試験がんばってね」

 真川さんが僕の肩をぽんぽん叩く。

 やっぱり、覚えてないよな。

 と、気落ちしそうになったその瞬間、

「――また電車で会えるといいね」

 擦れ違い際に僕の耳元に残していった、言葉。

 えっ、と思って振り向くと、彼は悪戯っぽく笑っている。

「がんばってねー」と、手をひらひら振りながら遠ざかっていく後ろ姿。

「おーい、こっちこっち。ほんとすぐそこだからさ」

 ダッフルのお兄さんが手招きしている。

 あれ。ていうか「文学部入試会場」って看板あるじゃん。なんでさっきは気付かなかったんだろう。小走りでお兄さんの方に向かいながら僕は、心の中に生まれたほんのりとした暖かさを感じていた

 同じ学部に入ったからといって、通学の電車が一緒になるとは限らないし、大学の中でも特に交流ができるとかそういうことはないと思う。

ただ、あの一言が、僕の中のこの大学に通いたいという気持ちを、少しだけ後押ししたのは確かだ。

 明日は受験、願わくは電車が遅れたりしないことを。

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