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 所員が自殺したというだけあって、所内は騒然としており、第一発見者である私ももまた質問責めにあうこととなった。なぜ、彼女は自殺したのか。何か思い悩んでいることはなかったのか、どうしてこんなことになってしまったのか、等々。疑念や嘆き、中には私を責める声もあったが、それは本当に少数で、多くは私には同情の声が集まった。

 気を落とすな。気に病むことはない。あのタイミングでは、誰だって見落とす。自分を責めることはない、などと。私自身、気に病むことなどなかったのだが、所内での私の位置づけは不幸にも同僚の自殺を止めることができず、血を見てしまって精神的に落ち込んでいる可哀想な奴だと、そのように伝えられているのだから私も特に訂正することなくその地位に甘んじる。

 もちろん、そのような同情ばかりしている訳にもゆかず、私は出勤してから三時間後には所長室に呼び出されていた。部屋に入ったとき、シェン・リーと、なぜかソフィーヤも呼び出されたらしく、ストラウスの横にたっている。

「都市警によれば」

 ストラウスは大柄な体をゆすって、私に向き直った。

「検死した結果、自殺が認められたそうだ」

「私への疑いは晴れたのですね」

 バイオロイドは決して人を殺すことが出来ない。そう分かっている上での確認だった。ストラウスは薄い眉をしかめて、

「力の掛け方も出血量も、一人の力で切り裂くには不自然な切れ方だったそうだ。普通の人間はいきなり自分の首を切るなんてことは出来ないから殺人が疑われたが、傷に対する破片の角度がどう見ても自分で突いたとしか言えない角度だということだ」

 ということは、通常誰かを刺し殺すぐらいの力で、メイニー・ジェーンは自らの首を突き刺したということになる。それはそれでかなりの力が必要と思えた。

「自殺者の心理を思えば、ためらい傷が出来てもおかしくないんですが」

 ソフィーヤが疑問を口にする。

「何者かに脳の侵入を許したかもしれません。神経回路を一時的にでもハックすれば、そのぐらいのことは出来るかも」

「侵入の痕跡は見受けられないそうだ。ただ」

 ストラウスは珍しく、言いよどんだ。これから話すことがどれだけの影響をうけるのか、計りかねているような口調で、

「ただ、本当にあの所員の意志であるのか、ということは分からない。何かしらのイデオロギーに毒されていたということは考えられる」

「と、言いますと」

「例の本だ」

 私が訊くのに、ストラウスは掌を空中にかざした。右手の中心部に、ナノボットの光源体が集中して、青白い光が生まれた。無数の粒子がより集まり、やがてそれは立体映像へと形を変える。青い色が、くすんだ茶色に代わり、長方形の形を成したそれは、一冊の本となる。デッドメディアとなって久しい紙媒体の記憶装置に像を結んだ。

「これが、自殺した所員の自宅から発見された。何か分かるか」

「ナツィオへの帰還」

 とソフィーヤが、英字文体のタイトルを読み上げた。

「今をときめく、イデオロギー書ってやつか」 

 シェン・リーは、ことの深刻さなどまるで意に介さないというような軽口を叩く。

「都市から脱走する自殺志願者が読んでいたっていう。本当に自殺してりゃ世話ねえな」

「あまりなめた口聞くんじゃないよ、シェン・リー」

 とソフィーヤ。少し厳しい口調で、それ以上言ったらただでは済まさないという気迫を込めている。

「でもこれではっきりしたじゃないですか、ドクター」

 シェン・リーは肩をすくめて言う。

「この書が、つまりはそういうものだってこと。脱走者は自殺者と違うっても、この本を持っている人間というのはやはり自殺願望があって、現に自殺しているって」

「そういうことになる」

 ストラウスは画像を消して、私たち一人一人の顔を見て言った。

「こいつにどういう仕掛けがあるか分からないが、都市政府は既にこの本の出版差し止めと回収を決めた。地下出版であるから、出所を突き止めるのは難しいだろうが」

「実物はあるのでしょうか」

 私の質問に、ストラウスは怪訝な顔をした。

「そんなこと聞いてどうする」

「いえ。この本にどのような仕掛けがあるのか、調べた方が良いと思いまして」

「それはお前の仕事ではない、12(トゥエルヴ)。人権委員会は、この本についての閲覧を一部までと限定している」

「ではこれは」 

 どうみても原本をスキャンしたとしか思えない仮想立体を指で弾いてみる。紙の感触は得られず、ただ指を圧迫するような感覚がある。神経と連動しているときの電気刺激にも似た。

「現物をコピーはしているものの、すべてを読むことは出来ない。当然、一部には規制がかかっている」

「読んだら死んじゃいたくなるから?」 

 シェン・リーはどうすれば規制を解除できるのかとたくらんでいるような目で仮想立体の本を見つめていた。規制プログラムがあれば攻性のプログラムを使って、ナノボットの群知性をだますことが出来るが、私の見る限り成功率はかなり低い。

「読めばすぐに自殺衝動に駆られるということはないだろうが、そういうことだろう。何かある、その何かが知れるまでは迂闊には動けないということだろう」

「こんな本でなあ」

 シェン・リーはプロテクトを破るのを諦めたらしく、肩をすくめてみせた。私はというと、本の画像に触れ、表紙をめくってみる。一般的に本と呼ばれるものは手にしたことはないが、昔の映像などで本を読む人物は見たことがある。脳に直接情報をアップロードするのではなく、印字された文字を自分で見て、理解するという無駄な作業。そんな印象しか抱かなかったが、それを好んでする人間がいる。

 だが、私が無駄だと思ったように、普通に都市の生活を享受していれば誰もが本というメディアは非効率である、と思うはずだ。私の考えが市民の考えから逸脱しているならばその限りではないが、そうではない。効率的で快適、皆が皆そのような生活を望んだのだから今日の都市があり、フリーサイドがある。わざわざ古いメディアを持ち出して、それに影響されて自殺する、という人間は少ないのえはないか。

「でも実際に出ている」

 と、ソフィーヤ。診察室に戻り、スクリーンを広げながら言う。ルカ・オベールの電子カルテと対面して、神経接続で情報を共有している。ルカの容態は安定しており、どうやらその後の経過に問題がないことを確認したらしく、彼女はスクリーンを閉じた。

「来週の木曜からまた始めましょう。あまり時間を置くと彼女に理解を示してもらう前に法案が可決しちゃう」

「法案、というと例の」

 非合法の手段でフリーサイドに行き、その結果取り残された子供たちを救済する。そのような名目で特別法の是非が議会でなされている。そのことを言っているのだろう。

「人権委員会でも今回のことで、フリーサイドの規制緩和に大きく動いているみたいね」

「それは、どのように関係あるのですか」

「都市から自殺者を出すってことは、すなわち都市機構がそれだけ完璧ではないってことだから。フリーサイドのような新たなライフスタイルに対し行政は保守的な態度であり続けるから、そのせいで犠牲が出たっという立場なんだって。確かにフリーサイドならば、そもそもが死ぬということがないからね。自殺を防ぐにはいいかもしれない」

「では、彼女は――ルカはフリーサイドに」

「それは彼女の意志一つ。ただ、これ以上自殺衝動を繰り返すようならば、対応も変わってくる」

 ソフィーヤは言葉を濁した。それ以上の議論は避けたいところなのか、ともかくソフィーヤらしくない誤魔化し方だ。

「ルカのカウンセリング、あまり時間はかけていられないかもしれないね。委員会の決定が下る前に、終着点を見つけてやらなければ」

 私は黙って、立体映像を呼び出した。凝着した粒子が配列し、古ぼけた外観と、洋紙の質感と、本のタイトルを現出させた。相変わらずの博物館に陳列されていそうな死んだ媒体。ナツィオへの帰還と題された表紙をめくると、印字されたページはなく、ただ白い紙面が続くだけだった。

「内容は閲覧不可、というのも少し不可解ではありますね。どんな作用があるにしても、中身が分からないのでは」

「検閲って、本当ならば表現の自由を侵すことになるけど、明らかに公共の福祉を乱すようならば差し止めの理由になるってそういうことでしょう。この検閲と出版停止には、都市行政第四十九条が適用されている」

 ページをめくっても、やはり白紙ばかりが続いた。だが時折、思い出したように活字の頁に差し掛かる。その部分は閲覧しても問題ないと判断されたのだろうが、その基準は定かではない。十頁飛ばし位の速度でめくり、巻末にたどり着くまでに時間はかからなかった。

「その出版社、わりと有名みたいね。わざわざ紙に印字して本を読むということを求めるニッチな市場を築き、わずかばかりの顧客のために本を売っている。北半球の都市には大体展開しているみたい」

「メイニー・ジェーンは普段から本を読むのですか」

 巻末の部分は検閲がかかっていなかった。出版元と著者のデータが刻まれている。本の中身は英語だったが、著者の名前だけ私の知らない言語で綴られていた。

「さあね。普段から読んでいたのなら、誰かに目撃されているでしょうし、部屋にも何冊かありそうなものだけどそんな痕跡は無いみたいで……どうかした?」

 私が巻末部分だけを凝視しているのに、さすがに気になったらしくソフィーヤが訊いた。私は本から目を離し、著者の名前を指さした。

「いえ、この名前が」

「名前がどうしたの」

「何か見覚えあるんです。言語の知識はあまりありませんが、この表記には」

 ソフィーヤがのぞき込んだ。奇妙な、記号めいた象形文字を見つめると、文字の上を軽く指でなぞった。すぐさまスクリーンを呼び出し、表面に指を重ね置いた。

 果たして神経回路が読みとった文字列が、粒子の膜上に転写され、刻み込まれた。幾分大きめの文字を描き出す。

「漢語表記ね」

 スクリーン上にある「阿宮圭」という文字列。ネットの翻訳が読み方を拾い上げ、文字の横に「AMIYA KEI」とアルファベットが浮かび上がった。

「アミヤ・ケイ、と読むのね。アミヤというのが名字ね」

「そういえば、ルカの前の名前もアミヤでしたね」

 表記を見て、私もようやく思い出した。ルカがゲリラ村にいたときに与えられたパーソナルネーム。シェン・リーに教えられた漢語名が、「阿宮瑠香」だった。

「ルカと、何か関係があるのでしょうか」

 ソフィーヤは文字を見つめ、何か意外なものでも見たように目をみはった。

「どうかな。ファミリーネームが同じって言っても、偶然ということもあるし」

「それこそありふれた名字ならばそうですが、この名字は東アジア圏でも珍しいということですが」

 私が言うのに、ソフィーヤは考え込むように腕を組み、スクリーンの文字を見つめた。

「このこと、人権委員会は気づいているのかしら」

 ややあってから、ソフィーヤが口を開く。私は仮想立体の本を閉じた。

「分かりませんが、気づいていないということは考えにくいです。検閲している以上、些細な情報も見逃すことはないかと」

「まあ、気づいているなら何か言ってくるでしょうけど。何も言わないってのは結構不気味ね」

「ルカに、何かしらの調べは入るのでしょうか」

「それは無いでしょ。彼女の心的外傷を鑑みれば、過去のことに触れるってことがどれだけ危険か分かるはず。それに、もし何か関係あるとしても彼女はゲリラじゃないんだから。何も訊かれることなんてない」

「しかし、それでも何かしらの背後関係を調べられるということはあるのでは。彼女がゲリラ村にいたということは明らかなのですから」

「じゃああなたが調べてみるといいわ。都市行政のデータアーカイブになら、ゲリラの情報があるかもしれない」

「あなたは調べないのですか」

「調べてもいいけど、私はちょっとやることがあるからね。これからすぐ北京に飛ばなければならない」

「北京に、なぜ」

「なに、私用だよ。北京で医療倫理の学会があるから、それでね」

「倫理院の、ですか」

「よりによって北京だって。皮肉にもほどがある」

 かつて人権抑圧の代名詞であるかのように言われた北京が、現在では倫理院の本拠であり、人権社会のモデルケースとなっている。世界のどの都市よりも犯罪率が少なく、どの都市よりも犯罪予備思考の持ち主が少ない。それが、ソフィーヤにとっては「皮肉」であるらしい。歴史の教科書を紐解けば、過去に北京に存在した国家がどれほどの振る舞いをしたのかを思えば――ということなのだろうが、その過去も既に一世紀以上遡ることであり、それを今更言及するのもフェアでない気がした。

「何かいいたそうだね」

 ソフィーヤは、納得の行かぬ顔をしていた。

「何もありません」

「何でもため込むのは、ストレスになるよ」

「私にはそのようなことはありませんから」

 それは疑うことのないことだった。人間関係の軋轢に押しつぶされ、プログラムの恩恵に預からざるを得ない、都市住人とは違う。非合理的な解釈がそのまま個人の苦しみとなることがストレスならば、非合理的解釈を生み出さなければ良い。

「そうだね。あんたには必要ないことか」

 ソフィーヤは何か、分かったような分からないようなことをいい、

「ルカのこと、しばらくはあんたに任せるよ。けど私が来るまで面接は再開しないように」

「隔離したままで、ということでしょうか」

「見舞いぐらいならばいいけど、あまりつっこんだことは言わない方がいい」

「分かりました。ただ、私の方から何か言うということは無いでしょう」

「いや、何言ってもいいけど」

 と彼女は笑い、

「ただ、あの子を刺激しなければいい。例の本のことも、彼女の耳に入ることだけは避けて」

「承知しました、ドクター」

 それが可能であれば、の話だが。これだけの騒ぎになっておいて、今さら情報を耳に入れるなとは、少し都合が良すぎる気がした。

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