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「これからどうするのですか」

 私が訊くのに、ソフィーヤは恥じるような笑みを見せ、涙を拭いながら、

「しかるべき、処置をするよ」

「自首するということですか」

「それもいいけど」

 ふと、ソフィーヤの後ろの棚にある、黒光りする物体を目にした。旧型の回転式拳銃は、阿宮が手にしていたものと同じものだった。

「それは――」

「ユーリ、これだけは言っておく」

 ソフィーヤが私の手を握った。不意打ちを食らって狼狽するのに、彼女はさらに言う。

「あなたの体は、都市の中にいてこそ保てるようなもの。外に出れば、たぶん苦労すると思う。それを承知で行くんだね?」

 おそらく、私は今までになく動揺していた。反射的に頷くのに、ソフィーヤはさらに強く握る。

「あなたたちは、普通の人間よりは長く生きられるけど、それでも都市の外に適応出来るだけの抵抗力はない。ナノボットが常に散布されているわけでもなく、倫理ネットもないから危険を予測することも出来ない。何よりあなた自身を管理するものは何もない。完全に一人で、何もかもやっていかなきゃならない。それを知ってもなお、行くの?」

「決めたことですから」 

 私は、自分の心音が訊かれやしないかと少し心配になりながらも、

「彼女の気持ちを、私は理解出来ず、このまま教育プログラムを受ければおそらく近づくとなんて永遠に出来ないと」

 私はルカを分かろうとした。しかしそれは本当にそう思ったわけではなく、分かろうとしている自分を見せることで、自分自身を納得させていたのかもしれない。私は君のことを分かろうとしているのだという姿勢を見せただけで、本当に分かろうとはしなかったかもしれない。

「分かろうとするならば、今までと同じには出来ません。どのみちプログラムを受ければ、倫理社会に、もう懐疑すら抱くこともないでしょうから」

「そう」

 と、ソフィーヤは手を離し、

「それならいいんだ。そこまでの覚悟があるなら」

「そんな大層なものではありませんよ」

 こんな時でも、気の利いたこと一ついえない自分が、なにやら情けない。彼女とのやりとりも、それが最後だと知っても、それ以上言うべきことが何一つ思い浮かばず、いつものようなつまらないことしか言えないのだから。

「最後にもう一つだけ」

 ソフィーヤは真剣な様子で言った。

「この部屋を出たら、あんたは何があってももう振り向いちゃいけないよ」

 意味を理解しかねていると、ソフィーヤは私の思いを知ってから知らずか、かみ砕くような口調で説いた。

「もしここを離れるというなら、都市のことは全て忘れなさい。振り向いて、そんな無駄なことをするぐらいなら、初めから都市を出るなんて言ってはいけない。あの子たちの気持ちを知りたいならば、今あるものは置いてゆくぐらいでなければ」

 おそらく、彼女は自分のすべきことを実行しようとして、そしてそれを全て飲み込んだ上で、私には示そうとはせず背中だけ押す。彼女は、自分のことで多くを語らない。語らず、私に助言めいたことを言って送り出そうとしてる。

 最後の最後でも、呆れるほどに彼女は自分の流儀を貫こうとしていた。それも普段通りで、もう二度と会うことがないと知っていても尚、そうすることが二人の間には必要であるのだというように。

「了解、ドクター」

 だから私もまた、いつも通りに行う。彼女と交わす会話の一つ一つが、何も特別な意味などなかった時のように。

「名前でいいって」

 彼女は笑い、

「本当、クソ真面目だねあんたは」

「慣れていないので」

「頑固者」

 彼女もそれをまた望んでいた。だからそのように応えた。

 部屋を出てしばらくして、中で乾いた破裂音が響いた。砂袋を投げこんだ時のような、重い何かが崩れ落ち、ガラスの砕ける音が、立て続けに鳴った。

 その音を背にして、私は立ち去った。何度も部屋に駆けつけそうになる衝動を、こらえた。彼女がそれを望まぬことを、私の望んだことの対価を。すでに都市の倫理に背いた私に、その選択はもはや残されていないことを。嫌になるぐらいに噛み締めながら。

 彼女の脳波が潰えてゆくのを感じながら、私は歩いた。


 郊外まで車を走らせる。聖堂が過ぎ去るのを横目で見て、もう二度と目にすることのないドーム建築を網膜に焼き付けた。

 そこで行われたことの全ては、外縁では関係のないことなのかもしれないが、都市の中ではそうも行かない。これから先、規制緩和により、今よりも数倍に膨れ上がった希望者が、あの建物に詰めかけるだろう。そうなれば、フリーサイド自体も倍以上に膨れ上がるだろう、完全な自由と永久的な生命を求めるものたちによって。

 そのことを想像しようとしたが、先のソフィーヤの言葉を思い出し、やめる。都市のことは、今ここで私は捨ててゆくのだ。だからそんなことに想像力を働かせても、意味がないのだと。

 工場群を抜けた先が、都市と外縁との境目、ゲートと呼ばれる関門だった。かつての中世における城壁よりは高く聳えるものではないが、それでも外縁からの進入を拒むかのような、鉄の壁がそこにはあった。

 私は車を降りた。ソフィーヤから預かった、倫理院のパスコードを、管理システムに認証させる間、私は背後から視線を感じていた。

「腕はもういいのか、マクガイン」

 私が振り向いた先に、壁によりかかった姿を認める。阿宮に斬られた腕は、まだ複合手術をしたままなのか、包帯を巻いて固めてあった。

「お前が見送りにくるとは、以外だったな。都市警から見たら、私なんて一番許せない存在じゃないのか」

「同期のよしみだ」

 まるで似合わないことを言って、マクガインは懐から銃を取り出した。阿宮が持っていた、回転式の火薬銃を、銃把の側を私に向けて差し出す。

「初めて見たぜ、外縁に丸腰で出向く奴なんぞ」

「ゲリラの銃なんて、そんなもの持ち出しても良いのか」

「まあどうせ処分されるものだ。誰も気にしない」

 受け取れ、というように突き出すのに、私はそれを手に取った。鉄の、冷たい感触が手のひらを包んだ。

「気休めみたいなものだが、そんなものでも無いよりはましだろう。弾薬は、そこに入っているのが全てだが、外縁じゃまだ火薬の実弾も現役だ。あとは何とかして自分で手に入れろ」

「礼を言っておけば、良いのか」

 城壁が、静かに上がっていく。外からの、砂混じりの風が吹き付けてくるのに、私は顔を背けた。

「別にいらねえよ。ベータグループに有り難がられても、何の得にもならん」

「じゃあ言わない」

 私は、ゲートの外に目を向けた。環境工学に基づいて生み出された都市とは、正反対の景色が広がっていた。見渡す限りの砂漠地帯が、私の未来などまるで歓迎する風でもなく出迎えてくれる。

「ユーリ」

 と彼が呼んだ。私は振り向き、

「お前がその名を口にするとは、驚いたな」

「前にも一度呼んでいるが」

 マクガインはちょっと納得行かないという顔をして、

「それよりも、どうしても行くのか。危険な外縁に赴くよりは、おとなしくプログラムを受けた方が身のためだと思うが」

「何だ、心配してくれているのか?」

「一応な。ベータグループはそんなに丈夫にできてはいないだろうから」

 マクガインは肩を竦めて言った。

「まあ、お前がそうしたいと言うならば、俺は止めないが。そうしなければ、答えが見つからないと言うのであれば」

「そういうものでも無いがね」

 私の答えがよほど不可解だったようで、マクガインは怪訝そうに顔をしかめた。

「何だよそれは」

「ただ彼らの故郷を見てみたいと思ったんだよ。阿宮圭と、阿宮瑠香が生まれた場所はどんなところかと。そこも今では都市化の波が押し寄せているとは言うが、彼らがそこまで渇望したものがどんなところかって、興味があってね」

「まさか、それだけの理由ではあるまい」

「ほとんどそれだけの理由だ。彼女を知る手段は、それぐらいしか今は思い浮かばない。私は結局、彼女のことには鈍感で、最後の最後にあっても分かろうとはしなかったから。そこがどれほど良い所か、あるいはそうではなく非人道的な地なのか、いずれにしてもそこを見なければ分からない」

 心底呆れたと、マクガインはそういう顔でため息をついた。

「どうせ俺が何を言っても、実行するんだろうよ、お前は」

 そう言って、マクガインは頭をかいて、

「せいぜい気をつけて行け。この先は、都市のようには行かない。どこかでくたばっても、それはもう自己責任ってことになる。それを覚悟の上なんだろう」

「お前に心配されると、なんだか気味が悪いな」

「馬ぁ鹿、人がそう言ってんだからそういう時はありがたく受け取っとくもんだ」

 マクガインは背を向けた。動く方の左手を、最後に高く掲げた。

「じゃあな、気張れよ」

 まるで明日また顔を合わせるのだと、いうように。それが自分の流儀なのだと主張するかのような、気軽さを以て。



 砂の上を歩く。

 端末を覗き込み、気象情報を読みとりながら、砂嵐が過ぎ去るのを待った。シリコンのCPUは、いよいよバッテリーと回路の耐久度の都合で、画面がかすれていた。こんな砂嵐では望むべくもないが、今更ながらナノボットの固着スクリーンの有り難みを、否応なしに味あわされる。

 膚の表面を、砂粒がちくちく刺激してくる。どこまでが自分の膚で、どこからが外界であるか。その境界を教えてくれる。目を開けていられないほど吹き付ける風の、その渦中から、砂の大地を臨む。

 私は目を開けた。風に吹き飛ばされそうになるのを、どうにか持ちこたえた。まだ先は長いと知っても、そこで倒れるわけにはゆかない。

 あの日、フリーサイドを目指した人々が、この光景を目にすれば何と言うだろうかと想像してみる。私の今の姿を見て、笑うだろうか。蔑むだろうか。それとも哀れむだろうか。

 およそ彼らには理解できないことだろうと思われた。それでも一向に構わないという気がしていた。砂に足を取られ、何度も何度も倒れそうになっても、その先に待ち受けることが確実ではないにしても、一歩でも多く、歩いている。徐々にでも、近づく気配を得ている、それだけでも良いという気がしていた。

 あの日、命を投げ出した彼らは、きっと在るべき場所へ戻るのだろう。彼が自らの存在を見いだした、その場所へ。彼女が渇望したその地へと。私もそこで何かを見つける。そのために、一歩ずつ歩を進める。


 赤茶けた大地が、唸りを上げた。私の進行を拒むように、風が吠えた。

 目を向けた。この先にあるはずの、彼らの故郷を見た。私もきっとそこにたどり着く。そこでもう一度、答えを見出す。

 そこはルカが夢見た場所。私もそこへ、彼らの望んだものの、すべてのために。


 彼らの居場所へ。いつか還る、生誕の地へ。


参考文献


『自殺論』 エミール・デュルケーム著 宮島喬訳 中公文庫

『生成文法の企て』 ノーム・チョムスキー著 福井直樹 辻子美保子訳 岩波書店

『カウンセリングの技法』 國分康孝著 誠信書房

『論理療法の理論と実際』 國分康孝著 誠信書房

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