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所内では、私は一種のトラブルメーカーとして認知され始めているようで、さすがにゲリラの死を目の当たりにしたことで、もしかしたら私はゲリラと通じているのではないか、などと噂するものも現れた。シェン・リーが、そんな噂をする奴は許さない、などと息まいていた、もはやそれすらも関心がなかった。
ソフィーヤに、話をしたかった。阿宮が論じたこと、それが正しいのかどうか。そして私や、この社会は正しくて、阿宮が間違っているのかと、訊こうと思っていた。あるいは肯定してもらいたかったのかもしれない。
だがこういうときに限って、彼女は研究所にはいなかったりする。倫理院に呼び出されたと、わざわざどこかへ赴いた彼女から、最後にルカと面接をするようにと通信が入る。今となれば、もうルカへのカウンセリングなど意味がないように思えたが、それ以上に私はルカに会うことをためらっていた。
君の兄さんが死んだ。そう告げたところで、何を話せば良いのかわからなかった。君の兄さんは、倫理社会から目をそらし、その結果命を落としてしまった。外の非合理な教義を貫いたばかりに、自分の首を絞める羽目になった。彼もまた、外の不合理さに縛られた犠牲者だった。だからルカ、お兄さんの死は悲しいけど、外の間違った教えは忘れ、この倫理社会に身を委ねよう――などと、アードニーなら原稿も無しに演説するだろうが。私にはかける言葉が見つからない。その言葉を尽くすことができないならば、カウンセラーとしては失格かもしれない。
何故か可笑くなった。私の本業はカウンセリングではないのだ。他人の脳に介入して、脳波を測って、それに見合うプログラムを提供するプログラマーだ。これが終われば、またプログラミングに追われる日々が待っている、ただそれだけだ。さっさと終わらせて、ルカを送ってしまえば良いのだと――何度も何度も、そう自分に言い聞かせる。
診察室の扉を開けた。もう誰もいないだろうと思われた部屋の中に、ルカがいた。
「聖堂に行くまでは」
私は、なるべく意識をしないよう、努めた。
「まだ時間があるのか」
「委員会だか、ってのが迎えにくるって」
ルカは手元の紙を、丸めたり、広げたりを繰り返している。手のひらよりも小さな紙片だった。
「何だい、それは。キャンディーの包み紙?」
「なんだか折りにくくって、これ。やけに薄いし、大きさも合わない。すぐ破けるし」
確かにルカの紙細工には適さないだろう。バイオ素材の紙は、役目を終えた後効率的に分解できるよう、ごく薄くできている。あの、紙細工に用いたような、木々を伐採して作ったものではなく、環境に配慮したものだ。パルプ素材の紙は、今では殆ど存在しない。
「これから五時間のうちに」
私は、なるべく声質を変えぬようにしながら、
「君の意識はフリーサイドに転写されることとなる」
「そう」
ルカは包み紙を、指先で丸めた。
「意識はその後、君の両親の意識と合流することになるだろう。そして」
「いいよ、大体分かるし」
ルカは、紙細工を作ることをあきらめたようだった。包み紙を放り投げ、椅子の背もたれによりかかり、
「何千回って聞いたかもしれない。私の意識がそこで生き続けるっていうんでしょ」
捨て鉢な言い方。そう答えることばお前の望みだろう、と言い含めるかのような。ルカは、とっくに諦めたのだというような風情すらあった。
「それと」
私はそれを告げるべきかどうか、迷っていると、ルカが顔を上げて言った。
「兄貴が死んだんでしょ」
私は頷く。ルカは鼻先で笑い飛ばすようにして、
「私に気を使ってるつもりなら、そういうのいらないよ。兄貴が戦士として生きるって決めたときから、いずれはそうなるって分かっていたことだし。それに兄貴が何をしようと、いずれ私の故郷も消滅することは目に見えていた」
「君の兄さんは」
私は、その先をどう言えば良いのかを考えた。
「君の兄さんは、故郷を守ると言っていた」
「理想に偏りすぎたんだよ。故郷の姿だって今はどんどん変わっているし、都市の価値観が入ってきている。昔ながらのやり方が良い、なんてのも少なくなっているしね」
ルカは自分の手首の傷を、みていた。自ら刻みつけたものを、冷めた目で眺めて、
「でも、やっぱり都市は都市だった。私が引き取られて、皆が私を気遣って。都市の、オベール家の一人娘として、学校の先生も、友達も、そうやって接していた。私の、外での生活を知る人なんて誰もいなくて」
「君は、そこでは幸せではなかったと」
「そうでもないよ。最初はわりと良かったし。でも違うんだよね、私は外の世界で育って、どこか考え方も、立ち居振る舞いもそのときのことが抜けなくて。皆が皆、都市のエレガントなやり方を教えようとしていた。言葉遣いも、お洒落のやり方も、そうすることで私が一番喜ぶ顔が見たいって、母さんは言ってたね」
ルカが、これほど喋ることは、もしかすれば初めてではないか。今までに無いぐらいの言葉だった。
「私の目と、髪と、膚と。由来を聞いてくる人もいた。そう言うときは、別に隠す必要もないから、実は外縁の出身だって言うんだ。そうすると、大抵の人間は同情的になる。苦労したね、かわいそうにね、って。私の故郷は、そんなに哀れまれなきゃいけないような所なのか、って思って」
それとも、ルカは語りたかったのかもしれない。今までだれも、耳を傾けようとしなかったから。最後の最後に、それをぶつけようとしているのだろうか。自棄気味に、もうどうでもいいや、という心境で。
私は、白衣の下に隠したものを、握りしめた。防刃布で覆った金属片が、今白衣のポケットに入っている。本来ならば回収されるはずのない、どこかに捨てられるはずのもの。
「同情とかいらないんだ。勝手に私のこと、分かったつもりになられても戸惑うだけなんだ。でもそれが都市では普通。確かに、ゲリラの中じゃ私ぐらいの子供を虐待して、殺してしまう、なんて話もあるから、そういう子供にとっちゃ都市は天国みたいなものなんだろうけど」
「君には違ったのかい?」
「ううん、私も私で結構良いなって、思ったこともある。村じゃ、幼い子供も戦士にされることもあったし。でも、それでも、そういうこと含めて全部私だと思っていたんだ。でも都市の人たちは、都市にいる私を、ルカ・オベールを見て、外縁の阿宮瑠香は哀れむものだったらしい。そのどちらも私だとは、考えなかった」
ルカは、自嘲気味に笑った。
「こんなこと、話してもあんたは分からないだろうけどね」
「戻りたいと、思う? 君は」
私が訊くのに、ルカは驚いたように顔を上げる。
「君と、君の兄さんが生まれた場所に」
「どうだか。多分、そんなことは許されないだろうけど、でもそうだね」
一瞬、遠くを見つめるように、ルカは目をすがめた。
「生まれたところは、山の奥。秋には稲穂が実って、毎年収穫祭をするんだよ。そのときには村中の人間が集まる。あれ、まだやっているのかな」
「カーニバルか」
「そんな感じだね。一応、建前じゃ神に祈りを捧げるってことになっているけど」
ルカはため息混じりに言う。
「今そんなこと言っても、しょうがないけどさ。あと数時間もすりゃ、多分そんなことも考えなくなるだろうし」
私には、かける言葉がなかった。
ただ自問していた。これから先、することを。
ポケットに手をやった。防刃布に包んだそれを、握った。
私は今からしようとしていることが、どういうことなのか、自覚していた。良心なのか、それとも別の何かか。それをすることを、引き留めようとしていた。本来ならば、こんなものを持ち出すことだけでも倫理に反していることだった。
私はそれを取り出した。紫色めいた防刃布は、チタン繊維とエナメル質分子で編み込まれている。それでも、それを難なく切り裂くほどの刃が、布の中に収まっている。
「何、これ」
私が差し出すのに、ルカは不審そうな目で見る。
「君の、兄さんの形見だ」
「形見?」
ルカが受け取る。私は、言葉を選んで言う。
「どうするべきか、ということを私は口にできない」
私の言葉を、ルカは怪訝そうな顔をしながら聞いた。
「だから、その先は君がそうしたいという選択、それに委ねる。もし、本当に君の望みを叶えたいならば、そうすれば良い。でも少しでも戸惑ったら」
ルカは、包みを解くことなく、それをテーブルに置いた。すでに、彼女の中ではどうするべきかを決めているかのように。
通信が入る。迎えが来たことを、報せるものだった。私が告げるに、ルカは椅子から立ち上がった。
「最後に、聞かせてくれるか」
私は、ルカを見ることはなかった。
「君の、義理の両親、オベール夫妻のことはどう思っているんだ」
「感謝しているよ、そりゃ」
だから私は、ルカがどんな顔でそれを言ったのか、分からない。
「すごく、感謝している」
どんな思いから発したのか、またその言葉の真偽すらも、不明なまま。