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 通信が入ったのは、翌日のことだった。

 プライベート回線からであったので、最初はシェン・リーかマクガイン辺りだろうと思った。ソフィーヤということも考えられたが、彼女ならば施設にいるときに直接呼び出すだろうと考えられた。

 すでに、回線を遮断しようなどという気は失せていた。私はもはや、選ぶことも面倒になってしまっていたようだ。スクリーンを開き、暗号化されたその通信を受ける。差出人不明。普段ならば破棄してしまうそれを、私はこのときだけは画面を開いて見る。何の意図も、誰からの差し金かも分からないこの通信を、しかし私は何の抵抗もなく受け入れている。そのことを不思議に思うと同時に、私は画面に書かれている場所を探そうとしていた。

 車に乗り込み、市街地へと走らせた。工業地帯を抜け、高速ハイウェイに乗る。研究所と聖堂を過ぎ去り、さらに都市の中心部へと。あんな通信一つで、ここまでのことをする必要などないのだが、それでも私はひたすら車を走らせた。

 確かめたいことがあった。フリーサイドの片鱗を見、その後で、ルカについて聞いておく必要があった。私一人で答えを出すには、あまりにも大きすぎることを抱え、その思いを抱えたままルカを見送ることが出来ない。そんな予感があった。

 中心街。最初にメイニー・ジェーンの遺体と遭遇したビルを通り過ぎ、中央の広告塔へ赴いた。

 屋上は展望台にもなっている。かつてこの都市が出来たとき、ランドマークと認知されていた広告塔だが、開発が進むにつれてより高いビルや塔に追い抜かれ、都市のシンボルとしての役目は終えていた。それでも最上階まで行けば、都市全体一望出来る。

 最後の最後に、都市を抱いて死ぬ。質の悪い冗談のようだった。彼なりの皮肉なのだろうが、そこに私を立ち会わせるという辺りが、なにやら当てつけじみている。もっとも、それに乗っかる私も、傍から見れば相当なものだろう。あれほど被害を受けた相手からの呼び出しに、応じているのだから。

 展望台には誰もいなかった。週末には珍しい光景だが、はっきり言えば今はそう珍しいことではない。自殺者たちの追悼式典以来、都市は喪に服したように静まり返り、市民たちは自粛のつもりか、仕事以外での外出を控えている。聞かれたくない話をするには、好都合だ。

 それだからこそ、彼はここに呼び出したのだろう。この都市で、ルカを知る者の一人として。あるいは因縁を終わらせるつもりだったのだろうか。

 街の灯を背にして、男は立っている。私が声をかけると振り向く――ネイサン・ジョーンズの容姿を借りた、最後のゲリラ。

「久しぶりだな」

 てっきり腰の刀を抜くのかと思いきや、阿宮は銃を向けた。すでに都市では廃れて等しい、火薬式の拳銃。回転式の旧型は、やはり博物館の展示品以外の何ものでもない。

「こんなところに」

 銃口の先が、私の心臓を向いている。阿宮が、本気で撃とうと思えば易々と貫ける、そういう距離にあった。

「呼び出すとはどういうつもりいなんだ」

「わざわざ出向いておいて、今更だな」

 阿宮は、銃の激鉄を引き戻した。

「私の回線に介入すれば、お前の居場所も明らかになると思うが」

「人の心配か? ゲリラに同情するのは都市のならわしか」

「同情とは」

「あの式典、見ていた」

 阿宮は銃口を下げた。

「俺の仲間を犠牲者呼ばわりしていたから、見てらんなかったがな」

「その通りだろう。イデオロギーの犠牲になって、しなくてもよい自死をさせられたのだから。お前の勝手な都合で」

 阿宮の指が動いた。引き金に指をかけるが、また戻す。いつでも殺せるのだという、無言の警告かのように。

「都市の人間は、皆そういう。誰も望まないことを、社会規範で縛って、個人の意志を無視してやらせるのだと」

「そうでなければ、なぜ自ら命を絶たなければならない」

「誰彼に命令されてのことではない。皆、自分で選んだことだ」

「個人を埋没させることを、自我を殺すことを選んだというのか」

 かちゃり、と阿宮は刀の鍔を鳴らした。

「そうやってお前たちは、否定することしかしない。自分たちが正しいと言い、それに従わなければ野蛮であると決めつける。そうやって俺たちの故郷も、消えていった。今までの習慣も、文化も、そうやって全て呑み込まれてしまった」

 そう言って、ゲリラの文化そのものであるかのような刀を打ち鳴らす。今では古びた、誰一人使うことのない刀。かつてのような美術的価値も、今では殆ど残っていない。

「俺や、俺らの前の世代で失われたものはずいぶんとあった。都市からすれば、何の意味のない形式的な儀式や習俗は批判されなければならぬものとなり、人権を理由に廃れていった」

 かちゃり。

 鍔元を鳴らす。

「たとえばそういう、お前たちから見て意味のないものであっても、俺たちにとっては必要だと主張しても。倫理にかなわなければ、否定される。事実、そうやって都市のルールに従って消えていった部族も多い」

「だから、抵抗したというのか。あれだけの人間を殺して」

「何かに愛着を持つということはそういうことだ。人が生きていくために、進化の過程で人は社会性を生み出した。その社会を守るために、愛情を生み出した一方で、その社会に仇なすものは容赦なく排除する残忍さも備えた。外敵からの侵入も含め、裏切りものを絶対に許さぬという排他的な側面も生まれた。愛郷心とは、そういうものだ」

 かつて、国家を愛するがために虐殺を繰り返した独裁者がいた。

 かつて、神のためにその身を捧げ、異教徒を焼き殺したものがいた。

 かつて、愛する者のために死ぬと言い、敵の艦に突っ込み、散らした命があった。

「守るためなら、人道に反することもする。お前たちが野蛮と切り捨てるものであっても、俺たちにとっては自分の価値を証明するものだ」

「まやかしだ。そんな正しさを証明したところで、非合理なものに変わりはない。文化も習俗も、形を変え、いずれは消えるもの。それにしがみついて、あれほどの人を殺すことがどうして正義なものか」

「正義である必要などない。そうやって声高に正しさを主張して、ならばお前たちは誰一人犠牲を出すことはないと」

「そうだ。正義を成すのに、誰の命も奪ってはならない。人類の、過去の過ちを繰り返さないための倫理だ。そのためには――」

「人でなくなっても構わないと?」

 もっとも的確に私の心を抉るような、そんな言葉だった。私が言葉を詰まらせるに、阿宮はとどめのように言う。

「人権とは、細分化の歴史だ。国から部落、部落から個人に、その権利の対象を移していった。個人が、この世界で一番尊いとしておけば、集団の争いも少なくなる。だが愛国心や民族主義が流血を繰り返してきた歴史が過ぎ去っても、個人間の争いは絶えることはない。だから人である部分を削り、最終的に生まれたあのフリーサイドに送り込むというのか。それによって――」

 阿宮は拳を握り込んだ。

「俺たちが求めるものも、守りたいものも、全て踏みにじっても構わない。それは全て非合理なもので、不確かなもので、抽象的なものだからなにをしても構わないというのなら、そんなもののどこが人道的だと言うのだ」

 拳の先が、震えている。怒りなのか、悲しみなのか。私には決して抱きようのないものがあった。感情を制御し、ささいな暴発を許さないこの倫理社会では、決してあり得ないこと全てのこと。

「俺は、非合理ではないと、証明しようとした。人の認知領域の、社会性のモジュールを刺激することで、無駄なものではないと主張したかった。だが実際はうまくいかない。こうして借り物の肉体でいること自体が、すでにその証明が無になっていると言っているようなものだ。今の俺には、阿宮圭たらしめるものはもう残っていない。仲間たちも、当時と同じ姿だったものはいない。俺に、自分が存在し続けているという証明は、すでに出来なくなっている。あれほど渇望したナツィオも、お前たちの言うように、幻想だったと自ら主張しているようなものだ」

 自嘲気味に、阿宮は笑う。嘘のように激昂した気を鎮め、窓の外を見た。つられて私も外に目をやると、東の空に小さく写る黒い機体が飛行するのを目にする。それが段々と近づき、サーチライトの青白い光が、三角錘の浮遊物体を明らかにさせた。昆虫の羽は闇夜に溶け込んで見えないが、胴体の赤茶けた大鷲の紋章だけは、やけにはっきりと浮かび上がっている。

「ルカは」

 私は、声を振り絞った。

「明日にも、フリーサイドに行く」

「そうだろうよ」

 背後で靴音が響いた。複数。規則正しく、統制がとれた軍靴の音。

「あの子は、君の言うような正しさのために死のうとして、だけど結局それをさせることを防ぐのが、正しさだ」

「正しさなんて、立ち位置によって変わる。それにあいつは多分、死にたがっているわけじゃない」

 どういうことかと、訊くまでもなかった。阿宮がいきなり銃口を向けた。

「阿宮――」

「最後に一目、会いたかったけどな。それも叶わぬままだ。せめて一矢報いてやりたいところだが、それも難しい」

 阿宮はそう言って、私の足下に何かを投げ込んだ。指の先ほどの、小さな薄板が床上を滑る。何十年も前に廃れたシリコンを媒介とするチップだった。

「冥土の土産に、そいつをくれてやる。この都市内部に、俺たちがどうやって侵入したかが細かく載っているから、それをやるよ」

「こんな――」

 なぜそんなものを渡すのか。それを訊く間もなかった。軍靴がフロア中に響き、外縁部隊が踏み込んできた。小銃のレーザーポインタが、阿宮の胴体と首に集中する。

「動くなよ、でくの坊」

 今更のように、私を人質にとろうとするが、外縁の部隊にはどうやら脅迫は通じないらしく、誰一人として銃を下げる者はいなかった。

 阿宮が照準を外した。私の背後に向けて、一発撃った。

 後ろで誰かが撃たれる――人が倒れる。それを合図にしたかのように、外縁部隊の一人が発砲する。


 三連射――銃弾が、阿宮の体を貫いた。一つ、二つ、三つ、と。血の狼煙を吹き出させる。


 阿宮が撃つ――部隊の小銃が火を噴くのと同時に。小銃から放たれた銃弾が、阿宮の肩を抉り、胸を穿つ。もう五、六連射ほど発砲――左顔面の皮膚をはぎ取り、頭蓋骨の一部を露出させる。裂けた頬から、今にも落ちそうな歯が垣間見える。

 

 くずおれる。銃を落とす。膝をつく――阿宮は、刀を抜いた。再び立ち上がろうとするのへ、新たな火線が閃く。銃弾が、刀を砕かせ、半ばから折れた刃が床に落ちる。銃弾が額を貫き、頭皮を引きはがし、肉を飛び散らせた。


 阿宮の体が、完全に支えを失い、崩れ落ちた。それでもわずかに意識は残っているのか、私にはわからない言葉でつぶやいていた。

「ルカ、ルカ、ルカ」

 祈りか。後悔か。かつて自分を自分たらしめていた全てを惜しむためのものか。言葉とともに流れ出る血は、ナノボットに侵されていない、赤い色をしていた。

 阿宮はやがて、ゆっくりと倒れた。前のめりに、少しでも抵抗しようと、にじりよるように。外縁部隊がとどめに撃つ。背中に銃弾が突き立ち、阿宮の体が二、三度痙攣したように揺れた。

 部隊の一人が駆け寄った。阿宮の死体を銃口の先で突っつき、完全に死亡したことを確認している。

 私のところに、兵士が駆けつけた。怪我はないか、と訊いてくる。私は、阿宮の死体を見つめたまま、自分の無事を伝える。死んだ阿宮の、折れた刃の、流した血の、その一つ一つを、私は数えながら。完全にこと切れた、最後のゲリラの姿を見ながら。


 三角の機体が、塔を旋回している。目映い光が差し込んでくる。部隊が阿宮の遺体を収容し、引き上げるまで――私はずっとその場に座り込んでいた。

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