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 一つ二つ、名前を数える。白い背景のスクリーンに、黒い文字列が流れる。犠牲者を悼む賛美歌と、淡々と犠牲者の名を読むキャスターの声。世界同時中継の追悼式典の映像は、フロアに響くすすり泣く声と相まって、もの悲しさを増していた。

 一つ二つ、名前が流れる。RNA鎖を取り囲むように展開されたスクリーンを見上げながらその名を目で追う。この研究所の、最初の犠牲者であるメイニー・ジェーンの名が刻まれた、ナノボットが生み出すスクリーン上。すぐまた新たな名前を刻み込み、彼ら彼女ら、自殺によって命を失った人々、ゲリラに殺された都市警の隊員たち。最後に、ゲリラたちの名が流れた。漢語表記で「李光陽」の文字を見たとき、コウヨウの銃剣の切っ先が脳裏をよぎる。

 あの日生き残ったゲリラは一人もいなかった。都市警の電気銃に連行された後、体内の毒カプセルを弾けさせ、自決し果てた。ハイスクールに通っているほどの少年たちが、自らの意志で命を散らすことが、都市のものは皆衝撃的だったのだろう。若者たちを戦に向かわせ、自分の命すら軽く扱わせるイデオロギーを根絶しなければならないと、キャスターは声高に叫んでいた。人がようやく手にした倫理を、この都市に住まうものの正義を今一度刻み込むかのように。

 この悲劇、この惨劇を記憶せよ。記憶しなお、その悲劇を憎むことのないよう。それが都市に住まうものたちの義務であるかのように――その確認作業であるかのような黙祷が捧げられた。彼らは憎むべき敵ではなく、外縁の世界の犠牲者であるのだと強調する。彼らの死もまた、都市の正しさを証明するための根拠とされ、彼らの理由はなにも明らかにされなかった。

 私は一つ一つの名を見ながら、理由を探してみる。彼らが死に至った理不尽さを噛みしめ、外縁の不道徳を呪い、犠牲になったゲリラたちを哀れんでみようとした。隣ではシェン・リーが、茫洋としたおもてを晒し、嘆き悲しむわけでもないがいかにも口惜しそうに唇を噛んでいる。皆が皆そうするようにうつむき、胸の内に去来するものを押し殺し、密やかに悲しむ、という風に。せめて私も、シェン・リーと同じように出来ればよいと思ったが、それすらも自信がない。ひたすらにうつむき、全ての名前が流れるのを待った。

 一つ、二つ。

 自死することで、奪われた命の名称。

 より完璧な倫理を目指すため、いっさいのほころびも許さぬと決めた、倫理院の思いの丈を集めた、尊い犠牲者たち。

 あの日の騒動から、変わったことといえば二つある。都市警の黒服に代わり、外縁部隊の迷彩がメインストリートに立つようになったこと。もう一つは、フリーサイドの規制緩和法案が議会を通過したこと。推進派のアードニー女史が押し進めた法案により、フリーサイド遺児と呼ばれる子供たちは、これで自動的にフリーサイド行きの切符を手にすることとなった。ほとんど予定調和的に進められたルカのフリーサイド行きも、決定的となる。阿宮や、ゲリラたちがあれほど命をかけた事柄は、フリーサイドの門戸開放を促進し、倫理社会の正しさを認識させることにしか作用されなかったように見える。それでも肝心の阿宮と、ゲリラたちの残党が都市の中に潜伏しているとあって、外縁部隊の捜索は続いている。

 そして、フリーサイド。もっぱら研究所もその準備に追われていた。ルカ・オベールをフリーサイドへと後押しする、研究所内の全てのものがそのために進んでいるかのような慌ただしさだった。私とソフィーヤによる面接は当然のごとく打ち切られ、彼女の身柄は人権委員会預かりとなる。

「十日後には」

 シェン・リーは私のことを気遣ってか、同情めいた色を成し、話しかける。

「あの子もフリーサイドに行くことになるんだろうな。倫理院がそう決定を下したようだ」

 RNA鎖のオブジェがゆっくり回転していた。私が見上げた先のスクリーンが消え、巨大なモチーフのみが残った。

「ルカはまだ、拒否していたはずだが」

「いずれあの子の体も弱ってくるだろう。急激に機械細胞に換えたことで、負担も大きいだろうし。放っておいても、自傷行為がなくなるわけでもないだろう。それに」

「両親と離ればなれは、人権上好ましくないと」

 私の物言いが、よほど刺々しかったのか、シェン・リーは言葉を詰まらせた。

「あの子がフリーサイドを拒否していたのは、委員会も承知の上だ。それでも尚、フリーサイドに送り込もうというのは解せないな。本人の意志をねじ曲げることは、人道上の問題はないのか」

「ちょ、ちょっと」

 シェン・リーは声を潜めて、私の袖を引っ張った。フロアにはまだ人が残っていて、そのうちの何人かが私たちの方を睨んでいた。最大限、侮蔑と怒りを込めたような、あるいは悲しみの余韻に浸っているところを邪魔されて迷惑がっているのか、とにかく複数の視線が突き刺さる。シェン・リーはフロアから私を連れ出した。

「いきなり何だよ、あんなところで言うことじゃないだろう」

 廊下に連れ出し、シェン・リーはたしなめる口調で言う。

「どこで言おうと関係ない」

 初めて私は、自分の脳波が乱れていることに気づいた。嫌悪の値に一歩手前の、それこそあの場に集う人々にとっては好ましくないグラフを示している。

 示していて、それが何だと言うのか。

「ルカはイデオロギーからフリーサイドと機械を嫌っているのだろうよ。なら仕方ない、多少は意志に反するとしても」

「多少で済むことなのか。彼女はイデオロギーとは関係ない、彼女自身が拒否しているというのに」

「そんなこと言っても、それを突き崩すための面接だったんだろう。道筋が違っても、結果的にはあの子をフリーサイドに送るか、機械細胞を受け入れさせるか、どちらかだったのだろ。ならば、結果が同じだから構わんだろう」

 そうではないと、口にしかけた。

 ルカが持っている信条ビリーフがどれだけ非合理なものであっても、それを非合理であると納得させた上で今後のあり方を決める。プログラミングだろうと面接だろうと、クライエントとの信頼を得た上で、全てにおいて辻褄をあわせながら治療を進めることが論理療法であったはずだった。それらの手順を踏み越えて、ただ人道的見地で彼らの行く末を決めることとは違うのだ。

 そう言ってしまえば良かった。言えば良かったのだが、どういうわけか言葉が出なかった。をれを口にしたら、脳波が限界値を越え、私自身がプログラムの対象にされそうで。

 そう考えれば、黙るしかなかった。

「必要なことだろう、ユーリ」

 シェン・リーが言う。至極真っ当な、倫理社会ではもっとも正解に近い答えを。

「あの子はこのままにしていても、自分の固定観念ビリーフは変えない。リレーションプログラムを受け付けなかったときから、その兆候はあったんだ。これから先、ずっと面接を続けていっても消えないイデオロギーが」

「あの子にイデオロギーはない」

「機械すら拒否するのは、じゃあ何だと言うんだ。自分の意識を保ち、肉体を保持することすら拒否するのはイデオロギーとは違うのか」

 シェン・リーは私の肩に手を置いて、

「疲れてんだよ、お前。ゲリラに取っ捕まったり、色々ありすぎて疲れたんだ。ゆっくり休めば、また正常な思考も取り戻せるだろうよ」

「その言い方、私が正常でないと言っているみたいだが」

「ああ正常じゃないね。俺の見たことないユーリがいる」

 シェン・リーの言うことは、もしかすれば正しいのかもしれない。私の言うことは、間違っているのかもしれない。もしくは間違っているのだろう。

 だがやはり、違うのだと、私は去り行くシェン・リーの背中を見て思う。カウンセラーはクライエントを否定するものではない。それが非合理なものであっても、その考えを一度は受け入れるものだ。その上で、話し合い、協議して同じ方を向き、共に考えるものだ。委員会や都市警は、ルカの考えをイデオロギーの産物と決めつけ、手順を踏まずに答えを性急に出す。彼女の意図を無視して。

 それが、本当に倫理的なのかと――結局私は、最後まで口にすることは出来なかった。

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