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 すでに群衆はなかった。人々は正気を取り戻したのか、あるいは恐怖にとりつかれたままどこかへ消えたのか。いずれにしても、先ほどまでの人だかりと熱狂はなく、いつの間にか私は一人になっていた。それでもまだ遠くでは、外縁部隊の銃声が鳴り、上空には三角錐の機体が飛び交っている。

「あり得ないことだって」

 声とともに、背中に堅い筒状のものを押しつけられる。確認せずともそれが何であるか分かってしまう辺り、私も相当参っているのかもしれない。

「思っているんか?」

 ひどく崩れた英語話者は、こと都市では限られている。私は少しだけ首を傾け、背後の人物を見た。

「やはり、君たちが」

 そう言うと、男は嘲るように鼻を鳴らした。サングラスをかけた若い男は、手に持ったサブマシンガンの先端で私の背を突っつき、

「ただの研究員が、あまり冒険心起こさない方が良い。痛い目見かねんぜ」

「自分の家に戻るのに、ゲリラの許可が必要とは知らなかったな」

「車を降りて、いちいち確認するのが余計だったんだよ。そのまま真っ直ぐ帰っていりゃ」

「確かに。あそこに行けば、外縁部隊に撃たれかねないな。君たちも、早く逃げた方が良くないか」

「いいだろう、逃げるさ。お前を連れて」

「言っとくが」

 私はハンドアップと同時に告げる。

「前にも言ったかもしれないが、私に人質としての価値はない」

「都市住人は誰でも人質になる。自殺者出たぐらいで、こんだけ騒ぐほど、人死にを嫌うぐらいじゃ」

「都市警には効くかもしれないが、あるいはあの外縁部隊だったら分からないのでは」

 いきなり男は、私の髪を引っ掴んだ。私の首を仰け反らせ、抵抗出来なくしたところで後頭部に銃口を押し当てる。

「いいから歩けってんだ、クソ野郎」

 声質が変わる。もし脳波が読みとれたなら、急激な嫌悪の値にこちらが吐き気を催していたかもしれない。私は言われるまま、歩いた。


 工場群の一つ一つに何があるのかわからない。化学プラントの林を抜け、金属パイプの城壁をくぐり抜けた先まで連れてこられる。壁際に、工業用ボンベの残骸が綺麗に並んでおり、天井から給油ホースらしきゴムの紐が垂れている。充填所はいつでも操業出来そうなほど整っていたが、全ての機械は止まったままだった。

 後ろ手に縛られ、私は充填装置の前に転がされた。小銃を持った男たちが、私を取り囲んだ。

「あまり感動の対面というわけには行かないか」

 一人が、銃口で私を小突く。暗がりの中で、顔の傷跡がやけに目立つ。コウヨウは私の顔を見るなり、ため息をついた。

「自分から飛び込む奴も珍しいな。この前と違って、こっちは何もしていないというのに」

「目の前であんなことがあれば、助けようとするのが人間だ。お前たちとは違ってね」

「何だ、減らず口を覚えてきたのか。まさかそれを披露するために捕まったわけじゃあるまい」

 コウヨウは後を振り返り、何事か言った。私にはわからない、彼らの言葉だった。

 奥の方で、人影が動いた。それが誰であるのか、もう予想するまでもない。

「自由主義は加速している」

 阿宮圭は、計ったようにぴったりと、フリーサイド創始者の言葉をなぞる。当てつけや、皮肉や、どんな意図であろうとそう発することで自分の立場を明確にするというような声音だった。

「フリーサイド行きは、整ったかい。カウンセラー」

「君たちが暴れれば、彼女のフリーサイド行きも早くなるだろうね」

 私が言うと、阿宮は刀の鞘で私の顎を持ち上げた。酷薄な笑みを浮かべる阿宮の表は、ネイサン・ジョーンズとは違う、東洋系の顔立ちをしている。肉体を入れ替えたのか、あるいは顔自体を整形したのかわからないが、阿宮の今の顔は元々の彼のそれに、似ていた。

「図らずも、俺らのショーに立ち会ってもらえるとは光栄だな。どうだ、楽しめたか」

「ショーとは、あの集団自殺のことか」

 人の命をもてあそび、それをショーなどと呼ぶ阿宮に怒りを覚えたが、阿宮はそんな私の思いなどどこ吹く風と言わんばかりに鼻を鳴らす。

「集団自殺とは違うな」

 阿宮はしゃがみこみ、私の顔をのぞき込んだ。

「君たちがやったことだろう。どうやったのか知らないが」

「いつもと同じだ。あの本の内容を、ただネットに流しただけで。ただし、プログラミングの技術は使ったがね」

 阿宮の声は、氷点下の遙か下をさまよっているかのように冷たい。

「お前たちと同じだ。お前たちが、通常使っている脳神経回路への言語注入をして、思考を導く方法。そいつをちょっと改変した。ニューロンの言語変換には、お前たちの技術がかなり役立った」

 周りの男たちが笑った。嘲笑の色をありありと浮かべて。

「知っての通り、俺は厚生施設に入れられた身でな。そこじゃプログラミングするのに、リレーションなんてまどろっこしいことはしない。脳に直接言語を放り込むやり方をして、それで随分な仲間が「改心」させられたんだ。そのやり方を学ばせてもらったよ。結構な効果があるものだな」

 耳を疑った。リレーションをしないということは、本人が拒否してもそれを無理矢理押し退け、脳の思考回路をいじるということだ。倫理規定としては、明らかに人権の侵害となる行為、それを厚生施設がやっているということか。

「あれ、何で驚いているんだ。まさか知らなかったのか」

「あの技術は」

 我ながら言い訳じみていると思ったが、精一杯強がる必用があった。

「洗脳技術ではない。本人の意志をねじ曲げるなんてことは、倫理上許されないはずだ」

「お前たちの施設とまた違うのだろう。あそこでは倫理を強制させ、今までの道徳を捨てさせる場所だった。大抵の奴は理性を保ちきれず、奴らのプログラムを受け入れるが、最後まで抵抗した奴らもやっぱり耐えきれず、発狂しちまう。そういうところだ」

 阿宮は、鞘で私の頬を小突いた。

「倫理倫理とお前は言うが、もし倫理が素晴らしいならどうしてそんな洗脳みたいなことするかね? それとも人権を守るって理論なら、人権を侵すのもありってか」

「人権を守らない、君たちが言えることではないだろう。一体どれだけの人が死んだと思っている」

 阿宮は鞘の先で地面を突いた。砂埃が舞い上がり、私はそれを思い切り吸い込んでしまった。

「お前たちは、俺たち外を見下すが。何十年も何百年も、俺たちは俺たちの理屈で暮らしていたものを、お前たちの都合を押しつけ、俺たちの伝統を低俗と決めつけ、自分たちが正しいと宣い、それに従えと言う。何が倫理的なものか」

「時代が変わっているんだ。君たちのように、古い掟に縛られて個人を埋没させる社会はもはや必要ではない。君も、ルカも、そこを理解していないから」

 刀の先端が間近に迫った。そう思った瞬間には額に衝撃を受けていた。私の顔が跳ね上がり、仰向けにさせられたところで、鞘の先端を鳩尾に押しつけられる。疑似神経が暴れ、警告表示が網膜上にいくつも展開された。

「ルカは、俺の唯一の肉親だ。母親はあいつを生んですぐに死に、父親は外縁部隊に殺された。俺のたった一人の妹を奪っておいて、正義面するのか」

「君は」

 声が、うまくでない。口元から空気が漏れた。

「君は、ルカに生きて欲しくはないのか。この行為が、ルカを苦しめているということに」

「生きて欲しいさ」

 阿宮が体重をかける。胃の内容物が逆流してくるのに、私は必死でこらえた。

「生きて欲しいのを、お前たちが奪った。機械に作り替え、フリーサイドとかいうところに送り込み、とりあえず形だけ生かしておこうって言って、あいつから色んなもの奪って」

 阿宮の目を見る。憤怒そのものの目。それでも冷徹に、仮面じみた表情の下に隠している怒りの矛先が刀の先端に向かっているかのように、圧迫を強めてゆく。

「ここにいる連中、皆そうだ。家族をお前たちの正義の元に奪われ、中にはすでに肉親をフリーサイドに送られた者もいる。子供や、親兄弟、配偶者……そうした者たちの思いを無視して」

「都市の中でも、虐待を受けたりすれば親や配偶者から引き離されるものだ。何も特別なことではない」

 阿宮は刀を外した。私は思い切りせき込み、胃液を吐き出してしまう。苦い体液と鉄の味が口の中に広がった。

「あの本の内容が、確かに人々の心に作用しているのかもしれない」

 私はようやく、しっかりと発声出来るようになった。

「遺伝子が、確かに社会への人々に帰属意識を植え付けさせたかもしれないが、しかし人は学ぶものだ。遺伝子に従うのではなく、それに抗って歴史をつくってきた。いつまでも非合理な考えを持っては生きていけない」

 コウヨウが銃剣を向けた。阿宮はそれを手で制し、言った。

「所詮、お前には分からないことだ」

 阿宮は、ひどく疲れているかのような顔をする。

「合理的な部分と、非合理な部分がある。あの本で、外に行きたいと願う人の心が、都市の人間にもあるんだ。俺はその部分を刺激してやっているに過ぎない。お前たちが一方的に非合理と切り捨てる部分も、また人の一部だ。それを切り取って、人でない何かに仕立て上げるのが倫理と言うのならば」

 阿宮が刀を抜くのに、私は目を見張る。暗い構内に差し込む月明かりの下に、白銀が映えるのを見た。幾人斬ったか分からないその刃が、皮肉なほど美しい光を放っている。

 私を斬るつもりだった。阿宮にとって、完璧な倫理社会、自分たちを脅かす象徴を斬り捨てようというのだ。

「私を殺しても」

 なのに、やけに冷静になって見ている自分がいる。生命の危機に立ち、慌てるでもなく、他人事と見ているかのような。

「ルカは喜ばない」

「そうだろうよ。お前を斬っても、ルカは戻らない」

 阿宮が刀の切っ先を私に向けた。

「だが行き着く先は、これしかない」

 振り上げた。剣先が、私の喉を貫く瞬間を想像した。

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