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 脳神経を同調するときに感じる、電気刺激を腕全体に感じていた。

 青いコードがつながっている。コードというよりも糸、カーボンナノチューブを織り込んだ、触れれば切れそうな細いものだった。その先端が、私の指先と、手首と、肘の膚に刺さっている――ナノメートル単位の針など、刺さるのではなく単純に付着しているだけであるかのようだが、より正確に言い表すならばミクロの針が膚と膚の間から進入し、そこからナノチューブに収納された疑似神経の腕を、私の神経がある層にまで伸張させる。

 神経とリンクした。コードは、私の右隣にある立方体の装置とつながっており、脳波測定と平行して体内の恒常性監視を行う。嘘をつけば体内に何かしらの変化が現れ、そのわずかな変化――その変化とは発汗であったり血圧の上昇やホルモンの分泌であったりするのだが、その変動幅と脳波の乱れを元に、嘘をついているのか否か、判断するらしい。

「昨日は午後十八時に退出したことに間違いはないか」

 イエス、と答えると、立方体に白色のランプが灯る。データは箱を通して、生体監視と脳波値は都市警のサーバに送信される。今、目の前にいる都市警の取締官は、ナノボットが生み出すホログラム映像であり、遠く離れた本部の一室で私の生体リズムを見守っているのだろう。

「十九時には、居住部屋の人感センサが作動している。その三十分前には静脈認証を行い、本人確認。その際、入室したのは本人か」

「イエス」

「間違いないと言えるか」

「その三千秒後には、シェン・リーと話をしている。何だったら通話記録でも見てくれ」

「イエスかノーで答えろ」

 取締官とは別の声が、割って入る。同じようにホログラムになった、マクガインが仁王立ちで構えていた。

「この質問に意味があるとは思えないが」

「意味など知らずとも良い。さっさとすませることだ」

 口論しても意味がないので、私は言うとおりに質問に答えた。私の方からはデータを見ることが出来ないので少々不公平であるように感じたが、今は非常時というシェン・リーの言葉を噛みしめる。私の権利など、いとも簡単に制限されてしまう。これを致し方ないと諦めて、重大な権利の侵害であると憤ることのない私は、人権に関してあまり積極的ではないと見なされるのかもしれない。そんなことを考えていると、次の質問が投げかけられる。

「あの娘と、接触していたな」

 マクガインが、そう聞いてきた。明らかに今までの質問とは違う。

「ルカのことか」

「そうだ。面接を行った」

「それならばイエスだ」

「何を話した」

「それは答えられない。守秘義務があるからな」

 私の受け答えがよっぽど不満だったのか、マクガインは苛立ちを露わにしていた。腕組みしながら舌打ちし、次の質問を繰り出す。

「阿宮圭について話したのか」

「答える義務はないな。クライエントのプライバシーに関わる記録は開示しない、そういう条件だったはずだ」

「そんな悠長なことは言っていられない。事情が変わったんだ。この研究所で、ルカに接触しているお前とあの医師、今のところ疑わしいのはお前たち二人なんだから」

「私があの自殺を引き起こした、とでも」

「正直に答えなければ、そんな疑いなど持たずに済むが」

 私は、ソフィーヤがいつもそうするように肩をすくめて、

「彼女との会話が、どうしてそんな話になるのか、理解に苦しむな」

「この研究所から」

 とマクガインは言いおいて、

「あの集団自殺があった時間帯に、ここからプログラミングの言語が発せられている。ここだけでなく、都市内の数カ所から、だが。あの本をそのままプログラム言語に翻訳したものを脳に、直接介入させている」

 別に機密でも何でもないのだろう、マクガインは平然とそう言ってのける。

「そんな言語が送られているなら、生体認証のデータが残っているだろう」

「普通ならば。ただし、生体をすり替えたのか分からないが、認証のデータがきれいに消えている。誰がアクセスしたか、などは分からない」

「それならば、少なくともそれは私ではないと証明できる」

 私は自信たっぷりに、というわけでもなかったがそう言った。認証データの改竄など、一所員である私には不可能なことだった。生体認証に伴うデータはすべて倫理院が統括しており、一度でも倫理院に身を置いたことがない私には方法すら検討がつかない。

「阿宮圭の妹、ルカに接触していて、さらに本の内容が送信されたから私やソフィーヤを疑うというのは軽率ではないか。もし私がそのようなことをして、何の得があるのだ」

「動機など今はどうでも良い。都市警はあらゆる可能性を潰す、それだけだ」

 つまり、私やソフィーヤがルカと接触しているという理由は、数ある可能性の一つに過ぎないということなのだろう。他にも、探せばいくらでも見つかる懐疑の一つであり、送信者が割り出せないのであれば全員を調べようという発想。おそらくは他の研究所でも同じことをしているのだろう。だがそれにしても。

「何故、そこまで焦るんだ」

 マクガインは、どうあっても不可解さの拭えない行動を取っている。私をわざわざ呼び出し、すでに何十回と繰り返したルカの話を今更蒸し返し、大層な理由をつけて聞き出そうとしている。

「そこまでのことなのか、分からないが。私にはそうまでする理由が分からない」

「……こいつはあまり言いたくはないのだが」

 マクガインの目が、一瞬躊躇するように宙を泳いだが、

「外縁部隊が、都市に入ってくる」

 マクガインが言うのに、取締官が驚いたように目をみはった。声に驚いたというよりも、マクガインの言動そのものに対して。おそらく都市警の中でも、他者に提示してはならないという類の情報だったのだろう。

 私が声を失っていると、さらに続ける。

「そういうことだ。連中は長年、ゲリラとやり合ってきたから、今回はゲリラそのものを討つ気でいる。正直に言えば、都市警の手に余る相手で、そういう奴らを倒すにはもはや一片の迷いもない。そういう判断だ」

 外縁部隊。ただでさえ暴力を忌避している都市住人には、到底受け入れられそうもない名だった。治安活動のためには、対象の殺害も辞さないという、話に聞いただけでも恐ろしく現実味のない組織。それでも外縁に位置する以上、永遠に交わることも目にすることもないと思っていたその名が、

「すでに連中、都市流入の準備を進めている。奴らなら前回みたく、ゲリラ相手に遅れを取ることはありえない」

 その名が、やけに近しいものに感じられる。マクガインの言うことが、それほどに説得力を持ち、都市警の焦りの理由となりうる話だったからだろうか。

「その、外縁部隊が」

 私はやっとの思いで、声を絞り出した。私の神経は装置につながったままなので、もしかすれば都市警側ではとんでもない数値を拾っているかもしれない。身体の変化と脳波の振動、そうでなくとも自分自身の動揺は、どう振舞おうと隠せそうにない。

「阿宮を殺しにくるのか」

「殺害が第一目的というわけではないから、その言い方は正確ではないが。ただそうだな、少なくとも奴らに与えられた規定は、ゲリラという人類共通の敵を残らず潰すことだ。我々都市警としてもそれは同じことだが、ただそのための手段に、選択の幅がある。都市警は捕縛しか許されないが、連中はそれだけではない」

 わざわざ強調されるまでもなく、マクガインの言うことの、次の言葉は何一つとして私の予想を越えないものだった。

「ゲリラが抵抗したとなれば、奴らは必ず殺しにゆく。必ずだ。だから連中、外縁部隊が入ってくる前に片づける必要があるんだ。阿宮圭は、俺たちに捕まったところで厚生施設に送られるだけで済む。だが外縁部隊が相手なら、間違いなく」

 その先は、言わずとも分かるだろう。マクガインはそういう目をしてくる。私の飲み込みの早さを期待しているかのように、やるべきことはすでに分かっているはず、そう確信したかのような沈黙だった。分かっているのだったら、すぐに実行せよと。暗にそう語りかけるような。

「私の一存では決められない」

 そう答えるのがやっとだった。

「クライエントの情報は、開示するか否かクライエントの返事ひとつだ。ルカに確認して、それから決める」

「あまり悠長なことはしていられないのだがな」

「すべてを都市警の都合にあわせるわけにはいかない。そちらの条件を飲むのならば、こちらの条件も飲んでもらわなければ」

 その一線は譲れないと、私は尋常ではなくそう思っていた。これ以上、ルカの意志を殺ぐようなことはしたくないと、その思いが伝わったのかどうか定かではないが、

「まあ、いいだろう。十二時間の猶予を与えるからそれまでに決めろ」

「ただ、会話を知ったところで阿宮を捕縛などは出来ないだろう。記録をとってはいるが、彼女がイデオロギー的であるという証拠は会話の中にはない」

「捜査については」

 マクガインの像が揺らいだ。立体映像そのものにノイズが走ったようになり、粒子のひとつひとつが結合力を失い、砂の城めいて像そのものが崩れてゆく。スクリーン同様、ナノボットの固着によって投影される映像は、やはり砂糖菓子じみてあっけなく空間に溶け入り、輪郭が曖昧になってゆく。

「こちらの方法で進める以上、そちらに伝えることなどない。追って連絡するから、そのつもりで」

 そう言い終えて、マクガインの姿と取締官の若い男の姿を構成していた三次元映像が霧散して消えた。

「外縁部隊が来ることを」

 暗かった部屋に照明がついたのを受け、私はコードを引き抜いた。

「いつ決定したのですか」

 私が振り向くと、壁際にいたストラウスが近づきながら

「昨日には倫理院と委員会に通達があった。機密事項でも何でもない、明日には私も所員全員に通達するつもりだった」

 ストラウスは私の右隣に立って、マクガインたちが消えた空間をひどい渋面をつくって睨んでいる。

「たったそれだけのことを、いちいち勿体つけて話すあたり、お前はなかなか良い友人を持っているようだな12トゥエルブ

「友人ではありませんって」

 私は立とうとするが、ストラウスが何かを言おうと口を開くのに私は注視する。

「例のテキスト」

 とストラウスは前置き、

「あれを脳に直接送り込んだからといって、自殺願望が高まるとは思えないがな」

 本の内容そのものを、閲覧できた研究所唯一の人間の感想は、案外素っ気ないものだった。

「人の社会性を説いているということですが」

 ストラウスは、それが何だというように肩をすくめた。

「人が糖分を摂取するのは、原始の時代ではそれが貴重だったから無意識にそれを欲するだとか、そういうことは確かに進化の過程で得られたものだろうが、あくまでも副次的なものだ」

「万人が、そのような願望を抱いているというわけではないでしょうが、しかし一定以上の未遂者と自殺者を出しているからこそ、都市警が動いているのでしょう」

「都市警は過剰反応だ。もし人が、社会への帰属意識を無意識に抱えているのであるならば、我々は今でも神をあがめ、君主を立てた社会に生きていなければならない。社会に縛り付ける個人を解放し、習俗的な因習を打ち破って個人が権利を獲得してきたという歴史を見れば、もはや社会への帰属などは存在しないに等しいだろう」

 自由主義は加速している。そんな文言を思い出す。肉体の死を乗り越え、意識のみで生きるフリーサイドは、肉体に縛られているうちには絶対に実現できない、完全な自由が保証されている。

「近代の歴史は、細分化の歴史といっても良い。社会構造そのものを守る行為から、個人の意志を尊重する社会への変容を余儀なくされ、それに応じることができないものたちは外縁へと追いやられた。今、都市の外にいる民は、すでに死んだはずの民族血統主義や伝統主義を掲げ、それすらも徐々に廃れつつある。今ですら、外縁の地でも合理的な考え、都市のライフスタイル、フリーサイドの基本概念は広がっている。すでにそうした時代の流れにあって、今更社会への帰属意識が無意識にあるなどと、およそ考えにくいことだ」

 ある人間が言った。外縁の社会は個人を埋没させる。人が人らしくあること、自由であること、それこそが倫理であるのだと。

「遺伝子が全てを決定するわけではない。もし、そのような社会の帰属意識があるとしても、それに従う義務などない。人類が今までそうしてきたように、我々は理性で押さえ込み、反逆する事ができる。もし、それに従うことに慣れてしまえば、人類は歴史の過ちを再び犯しかねない。同胞意識からくる争いや虐殺、自分が優位であるという優性学的民族意識を排除するための倫理だ」

 至極正論だった。その正論を実行するために都市があり、倫理ネットがある。外縁を徐々に懐柔し、いつかルカの紙細工を誰も作ることが出来なくなるまで、その正論を貫かなければならない。

 それが私たちの使命なのだ。どうしようもなく「正論」

を抱いて生まれた我々が、外の理論に少しでも同調することはない。権利を守り、倫理を守り、生命を守る。それが私に課せられた、生まれながらに入力された言語アルゴリズムである以上。

「明日には会話を開示する」

 ストラウスは、何も反論する気概すら起こさせない、厳然とした口調で告げた。

「ルカ・オベールには私から話そう。元より都市警には全面協力するつもりだ。委員会の思惑よりも、今はこちらの方が優先される」

 了解、と答える間もなく、ストラウスは消えた。彼を形作っていた粒子が散り、立体映像は消滅した。後に、私一人を残して。

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