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 その日、どうやって帰ったのか覚えていない。特に意識せずとも、ほぼ全自動の車に乗り込み、高速ハイウェイを駆け、家にたどり着けばやはり自動的に食事が出る。生体監視のその日一日のデータを元に、栄養素が調合され、人造肉とペーストの穀物、培養野菜の有機スープとが並ぶ。調合機械は所員の家に支給されるもので、否応なく健康的な身体を作る装置から排出される食事を口にして、明日に備える。そこまではいつも通りのことだった。

 食事を終えてしばらくして、通信が入っていることに気づいた。シェン・リーからの、プライベート回線。まさか仕事のことではないだろう、と私は通信窓を開いた。

「起きているか、ユーリ」

 スクリーンに、シェン・リーの顔が映し出される。何故か切迫した声音だった。

「これからシャワーを浴びようというところだが、珍しいなこんな時間に」

「起きているなら良い。ちょっとウェブのニュース、つけてみろ」

「何をつけろと」

 最初言っている意味が分からなかった。ニュースならばいつも見ていることなので、シェン・リーに改めて言われるまでもない。

「ニュースがどうしたというんだ」

「いいから早く」

 シェン・リーはスクリーン越しでもそれと分かるほど色めき立っていた。私は食事を終えたばかりの食卓に、情報スクリーンを固着させた。

 映像が飛び込んできた。普段ならばその日のニュースを延々流すだけのチャンネルが、ライブ映像に切り替わっている。映像は、どうやら中心街の高層ビル群の一つであるらしく、ヘリから撮影されたものであるようだった。

 ひときわ高いツインタワーの屋上に、豆粒ほどの人が見える。柵の外側に出て、下界を臨む姿が、遠方からとはいえかなりはっきり映し出されている。六人の男女、そこに都市警のヘリが近づき、しきりに怒鳴っている――。

「真ん中に、うちの所員がいるんだ。わかるか」

 シェン・リーが言うのに、目を凝らしてみた。中央の白衣姿の年若い男性は、確かに所内で見かけたことのある顔だ。ひどく青白い顔をしている。

 また新たなスクリーンが開いた。同じようなビルの映像、しかし今度は郊外のビルだ。屋上で身を乗り出した男性の姿を捉え、アナウンサーが切迫した声で状況を報せる。今まさに飛び降りようとしている男性を、都市警らしき影が取り押さえようとして、男性はそれに抵抗して暴れている。

 今度は三つ、スクリーンを開いた。中心街の広告塔、都市境界の商業ビル、研究所に近い高速道路のベイブリッジ。それぞれに人の姿があり、それぞれが高所から下をのぞき込んでいる。これから何をするのか、分かっているという顔で。

 都市警の突入員たちが彼らを押さえ込もうと走ってくるのが見えた。それとほぼ同時だった。全部で五カ所、数にすれば十五人以上の人間が、一斉に飛び降りた。突入員が捕まえるまもなく、人々は何かのためらいも見せず、あっけなく飛んだ。飛び降りた時点で、映像が暗転した。おそらく放送局側の配慮なのだろう、残酷な映像をこれ以上流すまいとするための。だが。

「見たかよ、おい」

 シェン・リーがスクリーンの向こうから呼びかけるのに、私は答えることが出来なかった。明日からPTSDの対応に追われるだろう、あるいは委員会の動きがどうなるのか。そんな考えと平行して、私はあの男の言葉を思い出していた。

 ――近々大きな動きがある。

 阿宮圭の予告は、このことだったのだ。おそらく「ナツィオへの帰還」が発禁になることを見越した上での、もう一つの仕掛けだったのだろう。あの本だけではない何かを、いやもはやテキスト形式ではない決定的なものを、すでに阿宮は手にしているのだ。

 シェン・リーの言葉も、もう耳に入らなかった。阿宮はこの都市の人間すべてを人質に取ったのだという思いだけが、私の頭の中を巡っていた。

 大きな動きがある。

 その動きが、まだ何も終わっていないことを如実に告げている。


 精神汚染レベルを差し計る、脳波測定が限界値を突破し、脳神経が異様な興奮状態に包まれた数値。電意信号が示すベクトル――安定的嗜好と対局の恐怖と不安と、嫌悪。それらを修復するためには、もはやリレーション作業など必要ない。ほとんど修復のための言語を直に脳幹に入力する、そんな規定違反ギリギリの行為をしなければ間に合わない状況だった。

 その日に自殺を見た全ての人々――映像として目の当たりにしたもの、直接現場に居合わせたもの、飛び降りた後の彼らを見てしまったもの、倫理ネットでそれらの感情と同調してしまったもの――そうした人々で、どこのセラピーもパンク状態で、研究所も例外ではない。

 配属されて初の、勤務時間制限解除が発令された。ワークバランスのために設けられた拘束時間の上限が、この日を境に取り払われ、脳神経技師もプログラマーも、総員で患者の対応をすることとなった。シェン・リーも、当然ソフィーヤも。研究所の全てを投入しても、心的外傷を抱えた人々は後を絶たない。

「腕十本ぐらいは増やして欲しい」

 などと悪態をつきながら、シェン・リーは七つも八つもスクリーンを展開させて、すさまじい速度で更新される脳波のコードを読みとり、出入力を繰り返していた。いくら脳神経とデータを同調させたとしても、平行して処理するには限度がある。その限界を大幅に超えての作業。

「技術屋どもに造ってもらうか、義肢。背中からマニュピレータ生やしてさ」

「ああいうものを使うには、ある程度訓練が必要だ。簡単には出来ない」

「分かってるよ。言ってみただけだ」

 冗談めいたことを交わしながら、その間にもまた新たなプログラミングの画面が開いた。こちらが望まなくとも、プログラムの要請は勝手に送られてくる。シェン・リーは舌打ちした。

「作業効率が悪くてしょうがない」

「同感だ。これほど多くては」

「それだけじゃなくて。こういう、石のベンチじゃなくて、もっとちゃんとした椅子でやりたいってことだ」

 今私たちが作業を進めている場所は、エントランスのRNA鎖の足下にある、人工大理石のベンチだった。普段の業務も、特に決まったオフィスで行うわけでもなく、またプログラミング専用の部屋というものも用意されてない。多くのプログラマーはナノボットが散布されているすべての場所――屋上のビオトープや食堂、エントランスホールで作業をしていた。こここの事態に陥って、急遽専用の部屋を用意するということも出来ず、プログラマーたちは固いベンチや粗末なパイプ椅子の上で作業を余儀なくされている。

「今の状況を悪く言っても仕方ない。それよりも、お前」

 私はスクリーンの手を止めることなく言った。

「どうして昨日、あんな連絡を」

「ニュースつけたのはたまたまだったんだが。その後ネット上に、いろんな憶測が流れているのを見つけたんだ」

「憶測って」

 ようやく一つ、プログラムを終えた。実際の入力には脳幹技士の手が必要なので、技士たちに完成したアルゴリズムを送信する。その間も、手を止める暇はない。

「放送局には流れなかったけど、ゲリラの思惑ってのがさ、ネットで議論されていたんだが。ただ当局のチェックが入って今は閲覧できなくなっている」

「都市警が検閲を?」

 およそ考えられないことだった。自由競争と倫理の表現のために介入されるべき警察力は、最小でなければならない。一つの権力が表現媒体や報道を制限することがどれほどの弊害を生み、そのような弊害を見直すための都市であったはずだ。権力を分散し、倫理による監視を設け、実力装置には制限をつける。異なる論調を封殺することが、危険な結果を招きかねないという歴史の教訓に、逆らうような行為といえた。

「このところおかしいとは思うよ」

 シェン・リーの脳波は正常だったが、その口調には切迫したものがある。

「誰もかれもがギスギスしてる。あんな事件が立て続けにあっちゃ無理もないが、都市内部をどうにかして締め付けてゲリラを炙り出そうとしている。治安を守るためとは言っても、こちらの権利まで縮小することが本当に治安維持になるのかどうか。非常事態宣言が出されているから、そういうことにもなるだろうとは思っていたが」

 よほど納得できないのだろうが、それは私も同じことだ。外縁を、自由と人権のない世界と断じても、非常事態ともなれば外とそう変わらずに締め付けを強くする。外縁の洗脳を解くと豪語していた、アードニーのような人間はこういう時こそ倫理を説き、ゲリラを説得すべきではないのか――。

 私は頭を振った。また考え込めば、脳波が無節操に乱れそうな気がしてきた。脳内の分泌器官が壊れているのではと思うほど、最近は気の高ぶりが顕著だ。

「まあ、検閲がかかる前に読んだんだがね」

 シェン・リーがそんなことを口にする。私は思わず手を止めてしまった。

「読んだのか」

「そりゃあ。見たからといって、罰せられたりゃしないだろう。それでどうにかなる、ってなら都市警なんぞクソ集団でしかない」

 向かいのベンチで作業していた女性が、眉をひそめて私たちの方を睨んだ。発言もさることながら、シェン・リーの発した嫌悪の脳波が伝播したのだろう。二十代前半のまだ年若いプログラマーは、それこそ次にそんな発言をしたらセクシャル・ハラスメントとして委員会に報告しかねない、そんな顔をしていた。

「発言には気をつけろよ」

 私は彼女の方に頭を下げてから、

「お前はどうも、口が軽いところがある。お前のシリーズは皆そうなのか」

「まさか。シリーズ皆が同じにはなり得ない。ユーリとあの都市警とは同じパーソナリティってことになる。でもそうじゃないだろう」

「同じシリーズでも、タイプは全く違う」

「でも遺伝子プールは一緒だ。よく、遺伝子が性格を決定づけているとかいう理屈があるけど、それこそクソ食らえだって話で――」

 向かい側の女性が、一生分の辱めでも受けたような嫌悪に満ちた視線を送ってくるのに、シェン・リーは言葉を切って、

「倫理規定にしても、俺たちは基本的には同じ規定を与えられている。その倫理自体は、もちろんなくてはならないものだが、それによって個人の性質まで変わる、ってなればそれこそ問題だろう。そんなものは倫理社会とはいえない、外縁のゲリラたちと同じ理屈だ。集団の中に個性を埋没させて、自我を押し殺す未開の地だ」

「私だってそのような社会は望まないよ。ゲリラの理想とは全く違う」

 だが。それならば何故。

「それだから、俺は俺だし、お前はお前だ。それを認めるのが人権だ。けれど今の状況は、残念だけど倫理的とは言えない」

 それは同意だった。しかし都市の社会は、ルカに都市の生活に馴染むようにと言う。ルカにフリーサイドのすばらしさを説き、フリーサイドに反発することは非合理とする。生きていることが第一であり、それ以外の選択などあり得ないかのように振る舞う、倫理的な社会。そして私はその倫理を強制する側の人間であり、どうあってもルカが望む結末を導かせることはできない。

 ソフィーヤの言葉がよみがえる。生まれつき言葉を持ち、脳に倫理規定を刻み込まれたバイオロイド。生きることしか許さず、誰かを生かすことを行わなければならない。それは、本当に自由とは言えるのだろうか。

 もっとも、完全な自由などは都市の中に存在しない。完全な自由は誰かの人権を無制限に認めることにつながり、そうなれば他者の人権を制限することになる。常にバランスを保つための脳内監視と倫理ネットであるのだから。完全な自由となれば、そこはもうフリーサイドにしかない。「そういや、お前はもう都市警に呼びだされたか」

 シェン・リーに言われて、我に返った。いつの間にか目の前には、心的外傷の脳内マップ画面がいくつも開かれていた。空中に三重に連なり、二十は超えそうなスクリーンがシェン・リーのパーソナルスペースを侵しそうなほどに展開され、とてもではないが一人では手に負えない位にまで増えてしまっている。手伝うよ、とシェン・リーは私の前のスクリーンをいくつか引き寄せた。粒子で固着されたスクリーンは、シェン・リーの指の動きにあわせて移動する。

「すまない」

 私はスクリーンの一つに指を当て、神経を同調させた。我ながら、完全な失態だった。考えごとをして目の前の業務をおろそかにするとは。

「まあいいって。それで、どうなんだ」

「どう、といわれても都市警が私たちを呼び出す理由なんてあるのか」

「昨日のことを聞きたいらしい。事情聴取だな、つまり」

「そんなものが必要になるのか」

 研究所の静脈認証、駐車場の車両照合、ショッピング時の生体ID使用履歴と、アパートの居住空間内センサに至るまで、私が存在した証など至る所にある。特別な許可もなく、それらは一般的な機関であればどこでも閲覧できるようになっている。それらが揃っている中で、わざわざそのような手間をかける意味が分からない。

「さらに、嘘発見器にもかけて、昨日のあの事件のときなにをしていたか、って調べるようだ」

「そこまで許すのか。ストラウスは何と」

「快く、承諾したみたいだね。あの親父案外、権力ないな」

 それでもそれは非常事態であるからだろう。ストラウスもおそらく、分かっているはずだ。今この時期に権利を主張することに意味がないのだと。

「それにしても何故、そんなことを」

「あの時点で、すでに本は回収されていた。それでも自殺者が出るってことは、脳に何らかの干渉をされた可能性が高い。そしてそんなことができる人間は、限られている。俺たちみたいなプログラマーだったり、民間セラピストであったり」

「だからIDを辿れば」

「その時間になにをしていたか、とかそういう記録が改変されていないとも言い切れないってことだろう。都市のシステムに介入なんて、よっぽどじゃなきゃ出来ないってのに、都市警の奴ら可能性は全て潰すんだと。同調神経回路をつないで、脳波を測定しながら嘘をついていないかどうかを確かめて、それを所員一人一人に行っている。税金の無駄遣いだな」

 ようやく、目の前の小窓が数を減らし、行列式で埋め尽くされた画面も徐々に更新速度を遅くしてゆく。クライエントの絶対数が減ったわけでもないのだが、それでも少しは気が楽になる。

「ともかく、全員ということだから。もうそろそろお呼びがかかるとは思う」

「行かなければどうなるんだ」

「どうって」

 シェン・リーは答えに窮し、ややあってから、

「どうにもならないんじゃないかね。一応は任意ってことらしいから。別にやましいことはないから、俺は行ったけど。お前、どうするんだ」

「いや、行くさ」

 最後のスクリーンを閉じた。外傷性のストレスに対する処方は、ストレスを取り去ってやるリファーから始まる。今はその前段階で、それ以上行えばかえってストレスを煽ることになってしまう。

「聞きたいこともあるし」

 その二時間後には、都市警から捜査協力の依頼がくることになる。依頼主はアルファ9――マクガインの名が連なっていた。

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