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もはやここは都市警たちの拠点である。そう言われても違和感がないほど、物々しい空気に包まれている。研究所を包囲するかのような装甲車の群と、二十メートルごとに配置された制服に混じって、スーツに身を包んだ私服たちが闊歩する。その背広の下に納められた、無骨な銃と雷撃棒の存在を所員たちは如実に感じ取り、だれもが眉をひそめて遠巻きに眺める。異様な光景だ。
私が阿宮圭と接触し、誘拐された時から三十二時間後には、都市警による戒厳令が敷かれ、ルカへの監視が強化された。阿宮圭との関わり――兄妹という関係が明らかになったためであるが、それにしてもルカの移送ということも許されない。完全な異例の自体に、ストラウスもやや動揺しているようだった。
「あの辺りは買い占められていたようだ」
最初にストラウスが発する。
「阿宮圭が、都市の住人コードを使ってフロント企業を作り、港のフェリー埠頭の半分を買い取っていた。あの連中は地下に通路を作り、そこを拠点にしていた」
私を朝一番に呼び出したストラウスは、普段通りの渋面を作るが、視線がわずかに揺らいでいるのを私は見逃さなかった。
「連中の足取りは掴めていないそうだ。都市警は倉庫を買い取った企業の口座を凍結したが、資金はすでになかった。今頃は都市の内部に潜伏しているかもしれない」
「そんな話のために、わざわざ?」
いちいち口答えをするなというように、ストラウスは睨みを効かせ、
「足取りが掴めないがための、この厳戒態勢だ。だが倫理院は都市警に対して警告を発している。さすがにこれは越権行為だ。委員会も警告を発したのだが、連中は聞き耳を持たない」
ストラウスはひどくやつれているように見えた。体内の恒常性を保つあらゆる手段を投入したバイオロイドが「やつれる」ことなどないが、普段見せない彼の狼狽した表情がそう見せたのかもしれない。
「施設を移すという話は」
すでに答えが分かっていることだったが、私は訊いてみた。もしかしたら状況が変わっているかもしれないという期待があったが、そうそう期待通りになるはずもない。
「三交代での監視体制。それが向こうの条件だ」
それどころか、状況は時に悪化することもある。私は、ため息を余儀なくされた。
「やけに、焦っていますね」
「私も先ほど聞いたばかりだ」
ストラウスはいくつか並べたスクリーンの中から、一つを選んだ。机を取り囲むようにして浮かんでいた情報小窓の、最右翼のものに指を触れ、空間をなぞると、ナノボットの粒子膜が立体映像として再構築される。東洋系の顔立ちの人物の、立体胸像。ネイサン・ジョーンズになる前の、阿宮圭の元々の顔を細部に渡るまでに再現している。
「阿宮圭の動向は、以前から監視されていたらしい。実際に彼の死体は埋葬されたと言うが、彼の死後ゲリラたちの間に阿宮圭の名を聞くようになり、都市警や外縁部隊が奴を探していたらしい」
「失礼、外縁部隊とは」
「文字通り、外縁の軍だ」
ストラウスは、苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「都市の警備機構は、どのような条件であっても殺人は認められない。彼らの倫理規定は、確保を第一に考えたものであるから、装備も非致死性のものに限られる。だが、都市外縁の対ゲリラ部隊にはそれは適応されない。彼らは都市の安全とともに自らの身を守る義務がある」
「つまり、殺害が許可されていると」
私が言うことを、いちいち応答することなどしない。沈黙することが何よりの肯定であるというように、ストラウスは黙し、代わりに少しだけ頷いた。
「都市警はそれでも、都市の中だけを見ていれば良かったのだが、ゲリラの侵入を許したとあれば話は別だ。先日も阿宮圭の一派を抑えきれなかったようだが、それも無理のない話だ。殺すための訓練を積んだゲリラに、捕まえるための規定しかない都市警が敵うはずはない」
にわかには信じられない話だった。殺害が許されないということが唯一ゲリラと差別化されている、という認識であるのに、外縁部隊は相手の殺害をも辞さない。そうなれば、ゲリラとほとんど変わらないのでは、とさえ思う。
「だから、阿宮圭がこの都市にいるとなれば、外縁の部隊も都市に流れ込むかもしれない。そういう危惧があるらしい」
「阿宮圭という人物はそれほど危険視されているということですか」
「ゲリラのリーダーということならば、当然そうなのだろう。外縁部隊が躍起になって追うぐらいだからな」
外からの部隊が、阿宮を追って来る。平和そのものだった都市に、最大の人権侵害を行うことも許されるという集団が、ゲリラを討伐するために。奇妙な話だった。都市の住人からすれば、ゲリラも外縁部隊も変わらないだろうと、おそらくそういう判断を下すだろう。
「君は」
ふと思い出したようにストラウスは顔を向けた。
「そういえば阿宮圭と会ったのだったな」
「会ったと言っても、無理矢理ですが」
そこで何を話したか、などとは言うべきかどうか迷ったが、結局口にすることはなかった。ゲリラのイデオロギーの講義をストラウスが望んでいるとは、思えない。
「それでも都市警は、おそらく色々聞いてくるだろう。できるだけ協力するように、嘘偽りなくだ」
「無論、そのつもりです。しかし、それも業務に差し障りのない範囲で、ですが」
「プログラミングならば、他の者もサポートしてくれるだろう。ともかく我々としては、都市警に全面協力を要請されているのだから」
「いえ、それだけではなく」
私が言い淀むのに、ストラウスは怪訝そうに目をすがめた。
「まさかあの娘の面接のことを言っているのか」
「施設を移らないにしても、あの子の治療はまだ終わっていません。ルカに監視がつくのは構いませんが、せめて最後まで」
「早晩、それも必要なくなるだろう」
私の言うことなど最後まで聞く必要はない。そういう意志の表れだった。断固としたストラウスの口調に、私は少しばかり気圧されてしまった。
「必要なくなるとは」
「委員会が結論を急いでいる。ルカがゲリラたちの手に落ちるよりも先に、フリーサイドに送り込もうとな。特別法案の提出に着手している」
法案。ルカのようなフリーサイド遺児と呼ばれる子供には、無条件でフリーサイド行きの切符を与える特別措置法案。たとえ親が非合法手段で以てフリーサイドに行ったとしても、子供と引き離すことは人道上問題が大きい。そういう触れ込みだ。フリーサイドの推進派がもっともらしい理由をつけて、人権と倫理を基調とする社会を目指すためであるということであるらしい。
奴らの道具にされている――阿宮の声がよぎる。フリーサイド推進派にとってはまさしくルカはうってつけだったのだろう。阿宮の謂いが、少しはわかる気がした。フリーサイド推進の象徴となり、人道上の理由を旗印にルカのフリーサイド行きと、それに伴う規制緩和を推し進める。言い得て妙だ、「フリーサイドの広告塔」。
しかし、ルカをそうさせているのもまた、阿宮たちゲリラの存在でもあるのだ。
「どうかしたか」
ストラウスの声で我に返った。我を忘れるなんて初めてのことだった。
「あまり自分の義務を疎かにしないことだ、12。君は最近、あの娘に執着しているように見える」
「私がですか」
それは濡れ衣だ、と私が発する前にストラウスは口調を厳しく言った。
「君の仕事は何だ。脳神経プログラミングは確かに論理療法を元にしているとはいっても、君は本来カウンセラーではない。そうでなくともあのような治療法、本来ならば行われないものであるはずだ。特例的に行われている原始的治療を、君はなぜか率先してやりたがる」
とストラウスは、唇をゆがめた。皮肉でも込めるかのようだった。
「だがあくまでも例外だ。君は君の仕事をやりたまえ。彼女の件はもう、我々の手に負えることではない」
「それを」
私は、自分が何を言っているのか、よくわかっていた。
「それを、私たちが口にするのですか」
ストラウスは暗に、警告を含むような視線をくれるが、私は気づかぬふりをした。気づいていても無視をした。
「我々が、倫理に携わるべき立場のものが、それを口にすればそれはもはや敗北と同義ではありませんか」
「敗北ではない。ただ能力に限界があれば、他に委託することも必要だ。カウンセリングの世界でも当然そういうことがあるだろう。君たちも施設を移す必要がある、と言っていたはずだ」
「しかし、それは彼女の治療を考えた場合です。治療を第一に考えればそのような措置も必要でありますが、あなたはルカの処遇を委員会に任せ、早々と手を引くことしか考えていない」
「現実にそうするより他ないと言っているだろう。委員会の決定だ」
「しかし、彼女の意志はどうなるのですか。委員会に任せれば、そうでなくとも今はフリーサイドへ彼女を送りたくて仕方ない、自己満足の輩が議会を占めている。彼女を、彼らに託すとでも」
「口を慎め、12」
ぴしゃりと言い放ち、それでいてか細い、奇妙な叱責と言えた。ストラウスは完全には否定しきれないものを抱えているような面もちで――そんな顔など、一度も見せたことのない、悲哀めいた色すらあった。
「フリーサイドを推し進めるのならば、それはそれで構わない」
「本気で言っているのですか」
「無論、本気だ。倫理を守ると言うのならば、それもまた倫理に即した方法だろう。生命と、自由を保証する。フリーサイドの役目の一つだ」
「ならば、彼女がどれほど拒否しようとも、フリーサイドに送るべきと。所長はそう考えるのですか」
「どのみち、今のままでも機械細胞と全て入れ替わる」
ストラウスの周りにあった、複数のスクリーンが、役目を終えて空中にとけ込むように消えた。粒子が霧散した後の空間にはすでに光はなく、スクリーンの迷光が照らしていた室内が薄暗くなる。ストラウスの、神妙そうな表にも、陰が落ちる。
「もともと、機械かフリーサイドか。どちらを選ぼうとも拒否するのであれば、どちらかに抵抗を無くしてもらう。それが面接の意義だったはずだ。あの原始的なやり取りで、彼女の自殺願望を抑え込むことに役に多立たないのであれば続ける意味はないだろう」
「プログラミングとは違います。彼女が心を開くには、時間をかけなければなりません。少なくとも、彼女の意志を尊重した上で事を運ばなければ」
「彼女の意志を尊重すれば、あとには死しか残らない。それこそ我々の敗北だ」
ふとストラウスの脳波が、倫理ネットを伝う気配がした。冷静な口調とは裏腹に、脳波が高ぶっているのがわかった。明確な怒りや不満ではないものの、彼自身が口にしているもの全てに納得などしていない。そういう意図を感じさせる波長だった。
「いずれ、委員会の決定が下る。その際は相応のプログラムを組むことになるだろう。そうなれば君の役目も終わる。業務に戻れ、12」
それ以上ないほど隔絶的な物言いでもって、締めくくる。