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 部屋を出ると、すぐにソフィーヤが出迎え、ハンカチを差し出した。

「派手にやられたね。使う?」

[いえ、結構です」

 傷自体が大したことがない上に、出血はすでに収まっている。わざわざ借りるまでもない。私は傷口を抑え、軽くなでると、すでに体内の高分子によって修復された膚の感触を得た。

「どんな感じよ」

 とソフィーヤが訊き、

「ちょっとは理解できそう?」

「何も分かりません、少なくとも今は」

「そうか、残念」

 そうのたまいながらも、ソフィーヤはいたずらっぽく笑う。まさしく予想通りの反応だ、と言わんばかりに。

「気にすることはない。カウンセラーは、必ずクライエントに共感しなければならないってわけでもない。中立な立場であることが求められるからね」

「彼女が」

 いきなり足下を清掃ロボットが通った。円盤の機体を踏みつけそうになるのを、ロボットの方ですばやく軌道を修正して回避する。運動性能と反応速度は流石といえる、我らがTXコーポレーション。

「フリーサイドを忌避するのは、機械に対する嫌悪と同義といった印象でした」

「そうね。機械細胞も同様に嫌だって感じだね」

 別室のマジックミラー越しにやりとりをみていたソフィーヤは、すでに何もかも心得ているというように頷く。

「自傷行為も、つまりは機械に対する嫌悪からなんだろうね」

「過去にもそのような例が?」

 私は何の当たり障りもないように言ったつもりだが、以外にもソフィーヤは深刻そうな面もちをしている。何か余計なことを聞いたのかもしれない。

「だいぶ昔の話だけど。機械を埋め込まれたことによる心身のバランスが崩れるってことがね。随分前の、サイバネティック手術での例だけど」

「なぜそのようなことが」

「それを自分の体と認識できないからなんだろうね。声を発するにしても、自分が喋りたいことは一旦、スピーカーで合成されて発せられる、じゃあ話しているのは自分なのか、それともそのスピーカーなのか。また相手が話していても、その人が喋っているのか、スピーカーから発せられている音なのか。もっというなら、その人は「どこ」にいるのか。考え出すときりがない。それで、自分の体と心がうまく協調できなくなるって、そういうこと」

「しかし、機械細胞や疑似神経回路は本人のDNAを基にしています。自分の声は、正真正銘自分の声帯から発せられたもので、例えば機械細胞であっても外部からのインプラントと違って内部からのボトムアップによって構成されます。異物という感覚は、それでも持ちうるのでしょうか」

「そうだね。脳神経にしても、全体の十パーセントを疑似神経にしても、本人の意識に影響がない。そしてそれを二十パーセント、三十パーセントと増やしても、やはり意識が変わらなければ、そのままいけば百パーセント疑似神経になっても本人は気がつかない。そのぐらい、機械細胞というものは自然に、本人の細胞と置き変わってゆく」

「ならば――」

「でもね」

 ソフィーヤは、あくまでも個人の意見だと断ってから言う。

「時々、自分の体が一枚の絵に埋め込まれたような感覚になるよ。これでも五十何年って生きてきたけど、そのウン十年の時間なんかなくて、最初から私がここにいたような、そんな感覚になる。自分が五秒ぐらい前に生まれたんじゃないかって感覚ね」

 正直、何を言いたいか分からなかったが、ソフィーヤはお構いなしに続ける。

「生体監視分子ってね。例えばホルモン量が少なくなれば脳に分泌を促し、紫外線で膚が痛めばすぐにそれを修復してシミになるのを防ぐ。定期的に入れ替える医療分子が、少なくなった代謝を促すし、遺伝子治療によって若々しい体を常に生み出してくれる。私の昔の映像なんかみると、今とぜんぜん変わらない。そうなると、本当は何十年って歴史は実は無くて、全部私の妄想だったのかと疑うことがある」

「あなたはあなたでしょう。外見がどうあろうと」

「そうね。そのように疑っている自分がいる以上、私は私なんだけど。けど時々、昔の人間みたいに皺の刻まれた、いかにも中年然とした姿で歩いてみたい気も出てくるよ。少なくともその皺の数だけ、年齢を重ねたっていう確証が得られるでしょう」

 年齢の証。それも過去の価値観である。私や他の人からみれば、年老いた姿とは不摂生や自己管理の杜撰さを宣言するようなものであり、それは社会全体の通念でもある。それを敢えてやりたい、ということは、殆ど社会全体に対する挑戦と見てもよい。

「もっとも、それを思うのは本当に一瞬なんだけどね。次の瞬間には、やっぱり嫌だって思う。年老いていく自分の姿なんて、想像したくないし。その先に死があるって、どうしても考えてしまうよ、多分」

 都市の住人は、老いることと死を恐れている。少なくとも病や事故、犯罪で死ぬ人間が毎年、極端に減りつつある中で、老衰による死というものは免れない。人間にとって、残された最後の牙城がフリーサイドであり、だからこそ都市の人間はフリーサイドを目指す。

「あなたも」

 ふと口にしてみた。あまり、意味のない問いであることはわかっていたが、それでも聞かざるを得ない。そんな気分だった。

「あなたも、フリーサイドに行きたいと思うことが」

「さあ、どうだろうね」

 ソフィーヤは曖昧な笑みを浮かべた。どのように意図をくみ取り、捉えようともかまわないという笑みを見せる。どこか陰りが垣間見え、しかし私にその意味など分かるはずもない。

「それで、イデオロギーの片鱗はありそうですか」

 私が訊くのに、ソフィーヤは首を振った。

「かたくなに機械を拒むということは、機械細胞に対する思いこみ、非合理的な信条を固持しているためかもしれない。もちろん、機械でなくあるべき姿のまま生きるべきというゲリラの教義と言えなくもないけど、そもそも機械を忌避すること自体は都市生活者にもありえる信条だからね」

「では、厚生施設には送らないと」

「もう少し、様子を見ないと何とも言えない。大体厚生施設というものは本当にどうしようもない、都市の機関じゃ手に負えないっていう人間が送られるような場所だから、おいそれと移してもすぐに受け入れられるとは限らないし」

 彼女の信条ビリーフがそれほどのものか、そうではないのか。その判断は、いずれにしても人権委員会の規定に基づいて行われる。今日のやりとりを記録した媒体を提出し、それによってイデオロギーの影響が大きいと判断されたら、彼女は厚生施設へと送られる。

 そうすれば私の仕事も終わる。


 シリーズの中でも、遺伝子の選別は遺伝子プールによって違う。パーソナリティとはまた別に、身体能力についても、与えられるコードの違いにより、遺伝子の配列も変わってくる。私のようなベータ槽由来のシリーズは、知能を優先させたために、あまり運動性能には優れていない。

 だから、その瞬間を察知できたとしても、私が自力で「その事態」から脱するのは不可能に近いことだった。

 車を降りたときから予感はあった。郊外のアパートについたとたんに、後ろから銃口を押しつけられた。

「駐車場もセキュリティが効いているのだが」

 私は振り向くことなく言った。こういう場合は何も言わない方が得策だ。

「都市の警備に比べれば、あんなものはザルだ」

 左斜めの方向から声がする。相変わらず、ひどく聞き取りづらい崩れた英語だ。発音の文法の乱れは、東アジアのゲリラ特有のものだ。

「私を拉致したところで何の得にもならない。他を当たった方が良くないか」

「あんたに話があるという人間がいる。ついてきてもらえりゃ、痛い目は見ないってよ」

「話とは誰が」

 もっとも、それを質問することは許さぬという雰囲気があった。男が銃口を強く押しつけるのに、私はハンドアップを余儀なくされる。銃の種類は分からないが、おそらく先日と同じ火薬式の旧いタイプの銃だろう。回転式ならシリンダーを掴めば、自動拳銃ならば銃口を押し込めば引き金が引けなくなると聞いたことがあるが、試してみる気にはなれない。大人しく従うより他なかった。

「歩け」

 短く、そう命じられた。車をそのままにして、私は駐車場を出た。願わくばこの瞬間の映像が監視カメラに写っていることを期待するが、すぐに反応しないところを見れば、おそらくはあれも何らかの方法で無力化されているのだろう。

「乗れ」

 そう言われ、指し示されたのは白塗りのワゴンだった。化石燃料がまだ主流だった時代の名残で、燃料を直接燃やして動力を得る。そういう類の古い車だ。私が躊躇していると、いきなり男は私の腕をひねりあげた。さすがに一週間前と同じように痛めつけられた箇所だけあって、少し間接をねじ曲げられただけでも監視分子が過剰に反応した。

「乗れと言ってる」

「わかったよ。あまり乱暴にしないでくれ」

「乱暴になどしない。言うことを聞けばな。抵抗するならば、少々、手荒なことも許されている。お前の命運は今俺らの手の中にあることを忘れないように」

 銃の先でこづかれるのに、私は仕方なくワゴンに乗り込んだ。

 車中は体を折り畳んで入らなければならなかった。スモークのきつい窓ガラスに手をついて、腰を折り曲げ綿のはみ出す座席に身を預ける。果たしてシートからつきだしたスプリングが、私の背中を刺激した。

「ろくな車じゃないな」

「我慢しろ」

 男は律儀に私の悪態に答え、私の横に座り込んだ。そこで初めて男の顔を確認することができた。以前の、帽子の男と同じぐらい、若い。十代後半といった顔つきだが、目つきだけはやたらと老成していて、鋭い目つきは都市警のそれに共通した殺気めいたものに思える。右のこめかみから頬にかけて、切りつけられたような深い傷が走っている。否応無く威圧的で、何も語らずとも十二分に力量を悟らせる迫力。例え従うことがなければその先はないと思わせるに足る、そういう気配を纏っている。

「出せ」

 ドアを閉めると、傷の男は運転席に――ドライバーの顔は見えなかった――短く命じた。騒音とともにガソリンエンジンに火が点いて、車が動き出す。すさまじい振動に見舞われてシートの端を掴み、何とか体のバランスを取った。

「それで、どこまで行くんだ」

 私が質問すると、傷の男は迷惑そうに顔をしかめた。

「貴様が気にすることではない」

「身柄を拘束されておいて、何の説明もないというのはあんまりじゃないか」

「とか何とか言っておいて」

 男は、私のこめかみに銃口を押し当てた。

「衛生追尾システムを作動させようというのだからな。言っとくがこの車はナノボットを完全に遮断しているから、GPSの類は使えない」

 流石に、すべてお見通しといった様子だった。網膜のスクリーンには粒子の不足を表す表示がまざまざと浮かび上がり、おかげで私の現在位置だとか、外部との通信だとか、そういう操作が一切出来ない状態になっている。アナクロなガソリン車によくそれだけの仕掛けが出来るものだと感心したが、よくよく考えればナノボットが入り込めない程度の機密性を保てればそう難しいことではない。GPSも使えず、また窓のスモークのせいで外の様子も伺えない、となればもはやどこを走っているのかなどと、まるで見当もつかなかった。

「あんまり驚かないな」

 男が言うのへ、私は少し顔を傾けた。

「驚くとは」

「妙に落ち着いている。バイオロイドは誰もがそうなのか」

「誰もが、というわけではないだろうが。先日のことがあってから、予感はしていた」

「予感? あんたらバイオロイドがそんな言葉使うのか」

 初めて男は笑ったが、全くの侮蔑の色に彩られた底意地の悪い笑い方をする。どうやら相手への敬意や最低限の礼儀というものが欠けているような彼の態度は、やはりゲリラだろうという気になる。

「予感という言い方が気に入らないのならば取り消すが、あのとき君たちに接触したときから、ただでは済まないとは思っていた。大方、私を拉致したのも彼の命令なのだろう」

「頭の回転早い奴は嫌いじゃない。一週間、あんたの動向を探らせてもらったが、あの駐車場が一番実行しやすいから、そうさせてもらった」

「ビルの管理人に忠告しておこう。セキュリティにかける労力の三割でも、あの駐車場にかけておくべきだったと。それで、なにが望みなんだ」

「勘違いすんな。たかが一施設の職員ごときに要求ふっかけても何もならないことはわかっている」

「私が帰っていないことがわかれば、自動的に通報が挙がるようになっている。都市警が動くのも時間の問題だ」

「それまでにカタはつくだろうよ。着いたぜ」

 時間にして、二十分ほどだろうか。以外に早く、目的地に到達したようだった。男は私に、車を降りるよう促した。

 ドアを開けた瞬間、ナノボットの洗礼を受けられるかと思ったが、やはりと言うべきか網膜のセンサーは何の反応も示さない。一立方の空間に粒子が三十パーセント含まれていれば簡単な通信は出来るが、今は十パーセントを下回る数字をはじき出している。あくまでも、助けを呼ばせないという心づもりであるらしい。

 それならば自分で状況を把握するより他はない。私は周りを見渡した。薄暗がりだが、思った以上に周囲の様子を確認出来た。四方には鉄骨を編んだ無骨な壁が迫り、同じような鉄の構造が天蓋を塞いでいる。足下のコンクリート、そして陰が落ちている四隅には、使い古しのコンテナめいた立方体が積み重なっていた。どこかの倉庫のようだったが、都市部には空き倉庫というものは存在しないはずだったので、どうにも腑に落ちない。

「買い取ったんだよ、ここ」

 声がした。傷の男ではない、もう少し歳を食った人間の声音だった。傷の男が照明を点けると、声の主が明らかになる。

 まさしく予想通りだったので、あまり新鮮味はなかった。中央に積まれた鉄骨の上に、足を投げ出して座る男の姿は、忘れようにも忘れられない顔だった。すでに都市には存在せず、粒子の群知性に肉体を置き換えたはずの人間。

「コウヨウ、ご苦労だった」

 傷の男はコウヨウという名であるらしい。その男――ネイサン・ジョーンズが労いの言葉をかけるのに、コウヨウは恭しく頭を垂れた。続いて二人は私にはわからない――おそらくゲリラたちの固有言語でネイサンと二言三言交わすと、ネイサン・ジョーンズは私の方に向き直った。

「驚かないのな」

「何を」

 ネイサン・ジョーンズは、どうやら私が面食らうことを期待していたらしい。思い切り不服そうな顔をする。

「俺の顔見ても。さっきから妙に落ち着いているし」

「彼にも言ったが、予感はしていたからな。こういう事態になってからも、だいたい分かりきっていたよ」

「予感ねえ、予感。あんたみたいなのでもそういう言葉遣いするんだな」

「その答えも予測済みだったよ、ネイサン・ジョーンズ」

 目の前の男は、眉尻をあげて、何か格別興味深いものでも見つけたような顔をする。

「その名はどこで」

「現場から生体を拾った。本来ならば存在しないはずの名前だが、現実にこうやって邂逅している以上、そう呼ばざるを得ないだろう」

 男は立ち上がり、独り言のようにつぶやいて、

「そうか、そういやそんな名前だったんだな」

 私の方に近づいた。それによって改めて、男の顔を確認することが出来た。

 映像に写されていたネイサン・ジョーンズよりは幾分若く見える。彼がフリーサイドに身を預けたのが八十三の時分で、そのときでも三十代の外見年齢だった。今はそれよりもさらに十年、若く見える。いくらホルモン治療が進んでも、年齢を逆行するということはありえない。そうなれば

「クローンか」

 私が問うのに、ネイサン・ジョーンズの肉体を持つ男は満面の笑みを浮かべた。

「それだけじゃ半分だ。確かにこの肉体は裏で仕入れた細胞を元にしたが、もとの持ち主がフリーサイドに行ったのはつい最近。あんた、わずかな間に人格が形成されたって思うわけか?」

「回りくどいな。存外に」

 私の言に、男の目が好奇の色を帯びた。

「バイオロイドでも苛立つことはあるんだな」

 からかうような口調で言うのに、私は反論すべきかどうか迷ったが、男はそのような暇すら与えるつもりはないらしい。私の周りを尋問官よろしく歩き回り、歩きながら言葉をつなぐ。

「人格と肉体を切り離すことは、そう難しいことじゃない。フリーサイドが良い例だ。人の心がソフトウェアで、それ単独では維持できるだけのハードがあれば、そちらの方に写すことも容易だろう。ならば、元々のソフトウェアである人格を、何か別のハードウェアとなる肉体に移しかえることも可能だろう。あんたのように、フリーサイドで人格を形成し、培養槽で出来た肉体にそっくりそのまま移植することも可能ならば」

 その先は、何を言いたいのか、などと。推測することすら馬鹿馬鹿しいという、殆ど答えに等しいことだった。私は深く息を吐き、男は私を正面に据えた。

「俺の名は、すでに知っているのだろうが、名乗るのは初めてだったな

 ネイサン・ジョーンズの体を借りたゲリラの戦士は、薄い笑みを浮かべた。

「阿宮圭だ」

 その名もまた、予感していた通り。

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