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「こういうことは、あまり好きじゃないけど」

 開口一番、ルカが吐き捨てた。より狭い部屋、それこそ以前にも増して殺風景で、もはや牢獄といって差し支えない。そういう場所だった。乳白の真珠めいた床にルカの姿が写り、同じ光沢の壁面、天井に、それこそ全くの写し絵のごとくに、私と、彼女の対面を描き出している。もはや唯一の調度品ともいえたテーブルすらなく、しかしそれはそれとしても、ルカにとって納得しかねる事態というのは面接場所があれこれ変わるということなのだろう。いつになく不機嫌に見えた。

「すまないね。もうここしか空いていなくて」

 私がついた嘘は、果たしてルカに見破られただろうか。変な危惧が頭をよぎった。たわいない、倫理規定にも反しない程度のものだから、特別こだわることなどない類の嘘であるにも関わらず。どうしてか彼女の敵意に満ちた視線が、気に掛かる。

「あの部屋は、今までは使っていなかったから良かったのだけど。事情が事情で、ここに移らざるを得なかった」

 マニュアル通りの説明。本当はそうではないことを、もし目の前の少女が知ったら私のことを軽蔑するだろうか、などと考えて、しかし改める。軽蔑などしないだろう、すでに今、敵意に満ちた視線で私を睨みつけている。

「事情って何よ」

 ルカは、アルミ椅子に座ったまま両足をゆらゆらさせ、退屈そうでありながら、しかし何かあればすぐにでも喉笛に食らいつくことができる、獣のような気配を纏っている。身をすくめ、足の先まで神経を集中させ、全身で警戒を露わにして、決して心を許さない。

「自殺騒ぎのこと、もしかして」

 多分、私の思っていることがそのまま顔に出たのだろう。ルカは馬鹿にするような笑みを浮かべた。

「どうして知ってるんだって顔だね。私が知ってちゃおかしい?」

「所員の誰かが言ったのか」

「ただ何となく慌ただしいから、ちょっと注意して聞いたら自殺者が出たって。小耳に挟んだだけだよ。というか、何でそんなことわざわざ隠す必要があったわけ?」

「君に余計なことを考えさせたくなかったからね」

 ルカに刺激を与えまいと秘匿していたのだが、当のルカ本人は何ら気にかける様子でもなく、他人事であるかのように話す。

「私に気使ったっての? いかにもだよね、そういうの。私がそういう話でへこんだり、精神的に悪いとか何とかしなくても良い気の使い方。私がそれでどうにかなるとか、勝手な想像でさ」

 こちらが気にして、刺激にならぬよう配慮して、しかしルカはそんな思惑を軽々と飛び越えてしまっている。むしろ私たちがそうしたことを、彼女はひどく気に入らないようだった。

「死者が出ていてこういうことを言うことは不謹慎だけど、いかに自殺者が出ても君に伝える必要はなかったし、特に気を使ったということではないよ。君が弱いとか、そういうことを言っているわけじゃない」

「嘘吐くなよ、肉人形。意図的に私の目から逸らしていたくせに。私がやらかしたから、それで隠していたんだろう」

 ここで反論すれば信頼など得られないので、私は黙っていた。そもそも、ここは議論を交わす場ではない。私は、彼女が落ち着くのを待った。

「で? 今日は何を言われて来たわけ?」

「言われたとは」

「あんたのボスにさ。あのロシア人がいないじゃん、今日は。まあどうせ同じことしか言わないからいいけど」

 "ロシア人"が一瞬何のことか分からなかったが、そういえばソフィーヤはウラジオストクの出身だった。言われなければ分からないことだ、と思って

「同じことを言ったのかい? たとえばどんな」

「命を粗末にしちゃいけません、とか。そういうこと、何度聞かされたか分からないことだよ」

「ソフィーヤが、そう言ったのかい? 命を粗末にしてはいけない、と」

「あの女はそうじゃないけど、どうせいつか、そういうことを言うだろうよ」

「それは決めつけでは? 先に、君が唾棄すべきと言った勝手な想像と同じになってしまうのでは」

 案の定、私の指摘は刺さった。ルカは自分の言っていることとの矛盾に気づいたらしく、押し黙った。あまり断定的に言うと心証を害するので疑問を投げかけるみたいに指摘したのだが、それでも彼女はあからさまに不機嫌そうな顔をした。ソフィーヤのようにはゆかない、と思いながら、

「私は、君にこうしろとか指示したり、命の大切さを力説したりしない。君が思っていることを、教えてもらいたいだけだ」

「あんな気味の悪いプログラムを押しつけて、ダメだとみると意味分からない面接させられて」

 ルカの声は、もはや棘そのものであるかのようだ。

「図々しく教えてくれだ何だって、何様だろうねあんたら。まして、肉人形風情に話すことなんて」

「その、肉人形ってどういう意味なんだろう」

 ルカはこの上ないほど酷薄な笑みを見せた。頬がひきつり、かなり作った笑みであっても、彼女にとってはそうすることが一番効果的であると。無理矢理そう思いこんだ末の表情であるかのようだった。

「あんたみたいな奴らさ。作った遺伝子プールで、都合のいいように組み合わせて、頭ン中を機械で埋めたような奴ら。機械だか肉だか分からないけど、とりあえず人形には変わらないだろう。だから肉人形」

「私の体は、ヒトのそれと変わらない。私が人形なら、君も人形になってしまう。人の体も、精密な機械のようなものだ」

「私は違う」

 断固とした口調。体をこわばらせ、椅子の端を掴み、細い肩を小刻みに震えさせ、必死で何かに耐えるような面もちで見ていた。彼女の幼い目が、今にも爆発しそうな熱を帯びている。何か、彼女にとっての地雷を不用意に踏んでしまったような後ろめたさが襲った。

「違うというと」

「私は歴とした人間だ。あんたみたいな寄せ集めと一緒にするなよ。適当に遺伝子選んで、適当に肉をくっつけたようなものじゃない。そんなものと一緒にするなよ」

「確かに、君と私の体の作りは違う。けれどバイオロイドも君と同じように思考し、心がある。バイオロイドが人間ではない、と結論づけるのは早計じゃないか?」

 ルカは黙っていた。私が次に発するのを、じっと待っているかのようだった。何か主張しようものなら、即座に切って捨ててやろうと構えているように。

「元々の私の遺伝子は」

 私は、注意深く言葉を選ぶ。どうすれば一番確実に、納得のゆく言葉を生み出せるかを考えた。

「フラーレン分子による人工塩基だが、それは等しくヒトと同じ配列になるように設計されている。まあそれはそれとして、大本が違うからといって人格が存在する限り、それはヒトであると言って差し支えないのでは」

「我思う、故に我あり」

 突如、ルカがそう呟いた。

「ってね。あんたもそう言うんでしょう、きっと」

「デカルトはそれほど詳しくはないけど、そういうことだ。私が、私の体について本物か偽物かと問いかける自分の意識が確実ならば、それは私が存在している証明に他ならない」

「暢気なモンだわ。次に来るのは、自分の意識があるならたとえ体が全部置き変わっても自分はなくならない、とかっていう説得。機械細胞だとか、あるいは」

 憎々しいという、意思の表れであるようにルカは噛みしめた。

「フリーサイドとか」

 彼女の口からそれが出てきたのは、おそらく初めてじゃないだろうかと思いながら、私は向き直る。脳波測定が成されていれば、どれほどの値を示したのか分からない、それほど嫌悪に満ちたルカのおもてと、対面した。

「私の体をいじった奴らも、同じ事言ってた。肉体が何か別のものになっても、私が私だって意識している限り、私がどこかに消えてなくなるわけじゃないって。嘘をついた。あいつらにとっちゃ、嘘ついてまで私を送り込みたいのかどうか知らないけど」

「誰が嘘をついたんだ?」

「あんたら全員に決まっているだろう。機械の細胞だからって平気、プログラムだかを埋め込んでも大丈夫、って。こんな気持ち悪いものを、あたかも最高に素晴らしいんだって押しつけたのは」

「しかし、実際はそうではなかった?」

 私の問いかけに、ルカは俯いた。答えることを拒否する素振りだった。

「君は、機械細胞やフリーサイドが嫌だから、だから抵抗を示しているのか? そのために自傷行為を――」

「あんたに何がわかるんだ!」

 いきなり、ルカは立ち上がった。椅子をひっつかみ、私に向かって投げつけた。果たして椅子の脚が額を掠め、衝撃を脳に受けてよろめいた。

 頬を、どろりとした触感がなぞった。手で拭うと、黒っぽい組織液が付着した。そうでなくとも網膜に、額の裂傷を知らせる警告表示が浮かんでいる。

「やっぱり」

 乱れた呼吸のまま、ルカは言った。

「痛みは感じないんだね」

 私は椅子を引き戻し、彼女のところに持っていった。私が座るよう促すと、ルカは案外素直に従った。というよりも、力を失って立っているのが億劫になったのでやむなく座らざるを得なくなったという風だった。座り込み、力なくうなだれた。

「最近は、切っても何も感じないんだよ」

 そして、深い絶望でも飲み込むかのような、か細い声で言う。

「機械細胞って奴は。いくらナイフで傷を付けてみても。ただ黒っぽい血が流れるだけで、痛みも何も感じない」

「君は痛みを感じたいのか」

 私が訊くのへ、ルカは頭を振って

「この細胞が、いつか脳まで支配したら私は私じゃなくなる。あんたと同じになってしまう。思いっきり傷をつければ、もしかしたら違う風になるかもしれないって思ったんだけどね」

 私と同じ、という言葉の意味を聞く間はなかった。面接終了の合図が、網膜の左下に点滅するのに、私は告げた。

「今日は、もう終わりだ」

 ルカは椅子に座り直した。どこかぎこちない動きで、何とか腰を下ろしたという印象だった。

「来週、また面接をしたいけども良いかな」

「勝手にすればいい」

 ルカはあくまでも素っ気なく言った。

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