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 路地に入ってから、男の足が急に早くなった。入り組んだビルの谷間を、足早に駆け、しかしそれでも私は何とか見失わず、男の後をつけた。ここで見失えば、それこそ手がかりなどこの先もずっと得られない気がした――倫理ネットにさらされていたにも関わらず、冷静に現場を見、私と目があった瞬間逃げ出した。まずあり得ない行動だった。何より、私が見た限りでは、拡張視野に情報が飛び込んでこない。都市にいる誰もが自分が何者であるのかというプロフィールを、少なくとも名前や所属が明らかにされた情報を表面上張り付けて生きているはずなのだが。

「UNKNOWN」

 そう表示されていた。普通はそんなことはあり得ない。都市住人である限り。そうでないならばどこの都市にも登録されない個体ということだ。

 男が角を曲がった。私もそれに倣う。

 いきなり、腕を引かれた。すさまじい力で左肩を捕まれた。私は左脇に吊った護身用のスタンガンに手を伸ばすが間に合わず、有無をいわさず壁に体を押しつけられた。抵抗しようとしたのへ、首筋に鉄の感触を得る。

「慣れないことはしないことだ。なあ、あんた」

 耳元でささやく声。少し目を向けると、自動拳銃を握る男の手元が見える。声は、やや鼻にかかったような、発音の確立されないブロークン・イングリッシュだった。

「あんな分かりやすい尾行も、そうそうお目にかかれないものだ。自ら存在を主張しながら追っかけてどうするよ」

 もう少し視線を傾ける。今銃を突きつけているのは、先に追っていた男とは別の男だ。私の腕をひねりながら押しつけているから、どうにも身動きがとれない。帽子の男は、いかにも可笑さをこらえているという様子で言った。

「なあ、こいつ都市警け? だったらこの都市の防御はザルなんけ」

「それならそれでやりやすいが、どうも違うだろうな。こんなもの」

 と男の手が、スーツの下に伸び、スタンガンを取り上げた。

「都市警の装備じゃあない。動きもまるっきり素人だ。そんな奴があとをつけようだなんて」

 どうにか首を傾けて、男の顔を見た。やや目がつり上がった東洋系の顔立ちをしていた。年は二十代か三十代前半といったところだろうか。やや色素の抜けた、灰色がかった髪色は、どう見ても遺伝子導入して作られたものだ。

 帽子の男が、にやにや笑いながら掌ほどの端末を私の目に向けた。レーザーが私の網膜を走査し、ディスプレイに文字が浮かび上がる。拡張視野が一般化する前の、簡易型のリーダー端末だった。

 端末には、私に関する情報が一字一句漏れなく記載されている。拡張視野ならば、こちらが情報を閲覧したということが相手にも伝わる仕組みとなっているが、端末で一方的に情報を取られるというのはあまり良い気持ちはしない。なにしろ、男の情報は「UNKNOWN」を示している。これでは私の権利だけが侵害された形になる。

「都市警どころか、一番争いが似合わない奴ときたものだ。倫理院のバイオロイドか」

 男は、端末を見ながらつぶやく。

「君たちは一体」

 胸郭を圧迫された格好だったので、うまく声がでなかった。私はひどく必死に声を振り絞らなければならなかった。

 いきなり男が、すさまじい力で腕を捻り上げた。関節が直接絞り込まれたような感覚で、どうあってもそれ以上曲がらないという角度で以って。網膜裏のセンサが肘部の靱帯切断を警告し、あと二インチも捻れば完全に関節が壊れる。そういう角度だ。

「へえ、これだけやっても痛くないのか。バイオロイドとは便利だな」

 明らかに面白がって、男はよりいっそう強く銃口を押し当てた。

「そちらから質問することは一切まかりならん。質問はこちらからする、いいな」

 一言一言、確認するような物言い。事実と少しでも違えればどんな最悪の事態にも転びうると予感させるに足る言葉選びだった。私が黙っていると、それを了解の意と捉えたようで、男は更に続ける。

「まあ倫理院というのは、荒事には慣れていないだろう。経験上、後を追い回すのはたいていが都市警の犬どもか外縁の連中だ。こういうことに慣れていない奴は、だいたいしっぽを出すものだ」

「よお、そいつ殺すんけ?」

 帽子の男がはやし立てるような口調で言った。ひどく訛りの酷い口調だった。都市生活者であれば、ブルーカラーの労働者であっても口にしないだろう崩れた英語。それだけで外縁から来たと察するに足る材料だ。

 だが外縁から来たのならば、どうやって都市IDを手にしたのか。

「殺しても意味はないが、顔を見られた以上はなあ」

 男は銃の撃鉄を起し、いかにも考えているというそぶりを見せた。

「ただこいつ、倫理院でも生化学研究所の所員だ。TX社の、なるほど最初の民間でかつ、あのフリーサイドで意識作られた実験世代ってか。こんなところでお目にかかるとはな」

 驚いたような皮肉を込めたような、男は端末上の情報――勝手にかすめ取られた私の個人情報を――見ながら言った。そうしている間にも拘束は解かれず、むしろさらに締め付けがきつくなってゆく気がする。神経に伝達される危険値が上昇し、網膜に投影されるのに、私はやや焦りを感じていた。

「どこの所員て?」

「こいつはそこのプログラマーだ。おそらく脳神経の方だろう。あの研究所じゃ、脳のイカれた連中を洗脳してやる場所なんだよ」

 誤解も甚だしいし、臆面もなく差別用語を口にした男の無神経さが信じられなかった。倫理ネットに繋いであれば、今の発言はヘイトスピーチと認められ、都市警に通報が挙がる類のものだ。何も反応がないということは、この男はやはり倫理ネットとは無縁の所にいる。都市住人ではない。

「ルカのいるとこけ、そこ?」

「多分な。こいつがそのチームなのかどうかわからないが」

 帽子の男はやはりにやつきながら、私の顔と端末を見比べた。私は少しだけ拘束が緩んだので、顔をもたげて男の方を向。

「なぜ、君たちがルカのことを……」

 腕の締め付けが最大限になった。私の肘と手首を捻り上げ、首筋に鉄がめり込むほど強く銃口を押しつけられた。それとともに関節が外れる音がして、網膜の生体監視バイオモニタの危険表示が一気に振り切れた。

「気安く呼んでいるんじゃないよ、人の妹を。あんたはあいつの何だ? 悪いがバイオロイドと付き合わせるほど俺はお人好しじゃない」

 いきなり押しつけられて、コンクリートとキスする羽目になった。口の中に細かい砂が入り込み、唾を吐き出した。口中を切ったらしく、唾にかすかな鉄の味を感じ取った。

「でもまあ、名前がわかるってことはやっぱり関わりがあるんだな。多分、あの本のことも知っているんだろう。もしかして対策チームの奴か? だとしたらとんだ間抜け野郎だ」

 私が黙っていると、帽子の男が、歯の欠けた口をゆがめて、からかうような口調で言う。

「どうすんのけこいつ。人質にすっかあ? いくらかにゃなるでよ」

「いくらにもならんよ。こんなの連れていきゃ、足手まといになるだけだし、奴らに攻め込ませる口実を与えることになる」

「でも、顔見られたでよ」

「顔などいくらでも変えられるが――面倒なことにならんうちに」

 その先は言わなくてもわかった。男の、銃の引き金にかかった指先に、徐々に力が加わるのが見て取れた。漠然と、撃たれるという思いがあった。撃たれたその先がどうであるか、頭蓋骨が潰れ脳髄をさらけ出した自分の姿までが想像できた。

 撃ち込まれた、その瞬間まで。

 いきなり銃声がした。男の銃ではなく、もっと遠くから響いた。間髪入れず男の背後で光が爆ぜ、遅れて煙の塊が一気に膨れ上がった。

男が振り向いたところへ、もう一発。今度は男の足元で弾ける。至近距離で破裂したマグネシウムの炎が、白光をまき散らし、網膜を突き刺すのに、ようやくそれが暴徒鎮圧用の閃光弾であることがわかった。煙が充満し、その煙の中に今度は黒い姿の一団がなだれ込んで来るのを認める。

「確保しろ!」

 怒号とともに黒い集団が一斉に発砲した。ショートバレルのショットガンから放たれた散弾が、帽子の男の顔面を弾き飛ばした。おそらくはこの都市で許される範囲の非致死性の弾なのだろうが、それでも大の男を転倒せしめるには十分だったらしい。帽子の男が倒れ込むのに、私の耳元で舌打ちを打つ人物がいた。

 男は私を突き飛ばすと、集団に向けて発砲した。先頭の突入員が倒れるのに更に撃ち、撃ちながら後退する。突入員たちが応戦するが、男は素早く煙の中に消える。突入員たちが追い、その間に私は助け出された。

「何てざまだ」

 私を助け起こしておいて、悪態をつく。マクガインの、呆れとも軽蔑ともつかない眼差しが突き刺さった。

「都市警ってのは荒事もやるのかい?」

「それが専門だからな」

 右手をかばいながら立ち上がると、マクガインはショットガンを置き、腕の様子を見ながら

「手首を外されたか。まったく、よけいなことをするからそういう目に遭うんだ」

「返す言葉もないな」

 靱帯が切断されて、しばらくは動かせそうもない。応急的に医療分子が働いてはいるだろうが、大抵は大きな怪我でなければ直ぐに治るところを、未だ修復に至らないということは思ったよりも深刻な状況であるらしい。

「何故こんな真似を」

「その男が」

 と私は倒れている帽子の男を見やった。ちょうど突入員二人に両脇を抱えられ、立ち上がるところだった。帽子を取られ、自決防止の猿ぐつわを噛まされた男の顔は、まだあどけなさを残した十代後半といったように見える。

「見ていたから」

「後つけたってか、阿呆め。通報だけ入れりゃいいいものを、鉄火場には向かないベータグループが無理をしやがって。もう少し遅れたら確実に殺られていたぞ貴様」

「悪かったよ」

 隊員に拘束された男が恨めしそうに私を見た。左頬に痣をこしらえてはいたが、それ以上の傷はなく、隊員たちに促されるままに歩き、連行されてゆく。

「とりあえず、連中の出自を調べないとな。あの本と関わりがあるのかもしれんし」

「もう一人の方は」

「今し方、取り逃がしたって連絡が入った。そのうち追跡させるが、まずあの本のゲリラと見て間違いないだろう。おまえの仕事も減るだろうな」

「皮肉か、それ」

 私は都市警の突入員たちが引き上げるのを見送りながら、ふと先ほどの男の言葉を思い出していた。手首を極められた時と、破壊された時の二回。

「さっき、あの男はルカのこと口にした」

「それは」

 マクガインはショットガンの銃口を下ろし、ショットシェルを排出しながら答える。

「あの娘のことは、ニュースで毎日のように取り上げられるからな。人権団体との絡みもある」

「それともう一つ」

 マクガインは、奇妙なものでも見るように私の顔をのぞき込んだ。

「どうした」

「いや、一つ気になることを言ってたんだ。あの男」

 それが果たして、手がかりになるのかどうか。判然としないところだったが。

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