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 シェン・リーがしつこく飲みに誘うのを断り、私は家路を走る車中にいた。寮に住んでいるシェン・リーと違い、郊外の集合住宅を住まいとしている私には、飲んで帰るということが本来それだけでも障害を伴うことだ。私は結局週末にはつき合うという約束を無理矢理取り付けられ、それを条件に解放された。

 それが三十分前のこと。ウェブラジオのスイッチを入れ、窓を閉めた。もうすぐ高速ハイウェイに至ろうというところだった。

 高速ハイウェイの入口を過ぎ去ったところで、左手側に円球天井ドーム建築の、白塗りの建物を見やる。広告塔の、青色電光で浮かび上がり、街を見下ろすように聳えるそれこそが、都市とフリーサイドを繋げる関門だった。倫理院が管理するその施設は、その外観から「聖堂」と呼び習わされる。正式な手順を踏み、政府の認可が降りた者だけが聖堂に入り、そこから自らの身をフリーサイドへと捧げることが出来る。フリーサイドへの移行に可能な、DNA配列の電子変換、脳内回路の転写をすべて行い、完全に安全に、確実に精神を委ねられる場所。それが聖堂の役割だった。

 天球の中にある、たっぷりの粒子を含んだ空気の中で、彼らは完全な自由の中に身を置くこととなる。そこではルカのように、不完全な転写により取り残され、肉体を損傷させるリスクを限りなく低く保ち、完璧な移行を可能とする施設。それでも現時点では、聖堂に至るまでの道のりが険しい。フリーサイドの入口に立つまでに、人々には多くの制限を設け、その障壁によってオベール夫妻のような違法業者に委託する者が多いことも確かである。

 議会では、フリーサイドへの規制緩和で紛糾している。事を慎重に運ぶべきとする保守派に対して、急進派がにわかに勢いづいているのはルカの存在があったからであろう。彼らのように、法を犯してまで意識を転写させる者が後を絶たない以上、規制緩和によって違法業者の根絶を目指す。加えて、ルカのような不幸な子供が出ることを防ぐという名目を得た、アードニーや他の推進派委員による答弁。そこまで聞いたところで、私はラジオのスイッチを切った。

 

 高速ハイウェイに乗ってから、十分ほどが経過していた。いつもはスムーズに流れてくれる道路が、今日はやたらと込んでいた。各車には相互監視デバイスが備わっていて、常に車内のAIが装備されている。交通障害になる可能性があれば事前に交通を誘導するのだが、今日はどういうわけか正しく作動していないようだった。街中に車が溢れ、ハイウェイの入り口に至るまでに随分時間がかかりそうだ。

 私は車の自動操縦に切り換え、スクリーンを開いて見た。ウェブニュースには、やはり交通渋滞の記事が踊っている。動画にはちょうど私がいる高速近くの聖堂と、高架橋が映っていた。

 二十世紀の遺物。ニュースではそう形容していた。渋滞という概念が消え去ってから久しく、辞書の中でしか知り得ないことで、まさしく遺物と呼ぶにふさわしい。都市の管理システムは、正常に作動する限りどこかで滞ることなど

「あってはならない」

 最後にそんな文言で締めくくられ、しかしこれだけならばまだ、それほど異常な事態とはいえなかった。

 ふと私は、他のドライバーたちが上を見上げているのに気づいた。渋滞であるなら普通は前を向いているはずだろうが、そうではない。道路沿いの、ビルの上を指さし、前方の水素車に乗っている女性など上を見てややパニック状態に陥っているようだ。倫理ネットを通じて、周囲の人間が発する脳波の乱れを関知できた。

 私も上を見た。それほど高くないビルの屋上部分に人影を認めた。若い男性のようだった。柵を乗り越え、屋上の縁に足をかけた。

 果たして、彼が飛び込むのに時間はかからなかった。彼の体が宙を踊り、まっすぐ落下し、その体が地面に到達するまでにかかった時間はおよそ八秒。私の車のボンネットに叩きつけられた。

 すさまじい音がした。車体が揺れ、ボンネットが衝撃でへこんだ。彼の体はまるでゴム素材で出来ているかのように弾み、弓なりにしなった格好で地面に投げ出された。

 私が車から飛び出すと、地面に横たわった彼と目があった。すでに事切れた彼の首は、およそ不可能な角度に曲がり、大きく見開かれた眼は半ば飛び出ていた。地面に接した頭蓋から、血が溢れ、本来鉄黒めいた血漿は組織の混じった灰色をしていた。彼の耳から、鼻から、同様に白い組織がこぼれ、それが彼の脳髄であることは疑いようもない。そうでなくとも彼の首からは骨が突き出、チタン導入された人工骨の断面をさらけ出しているというのに。

 前の車に乗っていた女性が車を降りたが、それがいけなかった。彼の死体を目にした瞬間気を失い、その心理的ショックが倫理ネットを介して広がってしまった。現場は騒然となるのにそう時間はかからず、誰もが車を降り、その場を離れたがった。

 ふとプライベート回線が入っているのが分かった。網膜の裏にちかちか光るメッセージの受信を知らせるランプは、緊急性を要する場合のみ点滅するようになっている。 私はスクリーンを開き、指先を幕の上に置く。神経回路を通じて、私にコンタクトを取ってきた者の声が、内耳に備えたマイクロスピーカーに響いた。

「異常な脳波を関知した。貴様、そこにいるのか」

 スクリーン上には「SOUNDO ONLY」としか記されないが、紛れもなくマクガインの声だった。予想した人物と違っていたが、今そんなことを気にしている場合もなく。

「飛び降りだ、マクガイン。ビルから飛び降りたか、もしくは突き落とされたか。ともかく男性がビルから落ちてきた。私の目の前で」

 スピーカー越しに舌打ちするのが聞こえた。マクガインの苦々しい表情を想像した。

「自殺か」

「分からないが、突き落とされたってことは考えづらい。突き落とすも者の殺意を、事前に汲み取ることが出来るはず。強い脳波は五キロ圏内までネットで伝わるから」

 今こうして伝わっているように。死体を目の当たりにした人々の恐怖感情が、否応なく神経回路を刺激し、伝染し、誰も彼もがおびえている。もし私の脳神経回路に、心的負担の防御プログラムがなければ、私もその中の一人になっていたはずだ。

「すぐに動きたいが、そちらに行くまでに時間がかかりそうだ。応急処置は?」

「たぶん無駄だろう。既に事切れている。今は下手に動かさない方が良いかもしれない」

 スピーカーの向こうで沈黙が続いた。マクガインはどうにかして最善の策を為そうとして、

「分かった。お前はなにもしなくて良い。我々が何とかしてそちらに行くから、そのまま動くな」

 マクガインはそれだけ言って通信を切った。

 ふと人垣の中で、じっとこちらを伺う影を見つ影を見つけた。皆が皆、パニックに陥り、どうしてよいか分からず右往左往し、あるものは失神し、あるものは恐怖で身を竦め、怒声や、悲鳴、どうにかこの場を離れようと車を動かそうとして別の車にぶつけたりして。そんな中でただ、何かしらの動作も起こさず、ただこちらを静観している。目深にかぶった帽子のせいで顔は伺えないが、明らかに他の人間とは違っていた。

 違和感があった。群衆の中で、彼と二人しかいない錯覚にとらわれた。帽子の男は私の方を一瞥し、そのまま踵を返して路地の方に歩いて行く。その様子さえも奇妙に落ち着き払っている、ように見えた。

 私は、つい先ほどマクガインに言われたことも忘れ、その男の後を追った。

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