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 約五十時間振りに見たソフィーヤは、明らかに疲労をため込んだ顔をしていた。それが長旅によるものだけでないことは明らかで、つい二時間前に都市警とのやり取りを終えたばかりなのだという。

「学会でも、ルカのことが出たよ」

 ソフィーヤは目をこすった。まさか睡眠が足りていないということは無いだろうが、しきりに目元を押さえているあたり、どうやら碌々眠れていないようだ。

「フリーサイドに行くべきか、ということですか」

 私がコーヒーを差し出すと、ソフィーヤは礼を述べつつ受け取った。安物の培養豆で淹れたコーヒーなど味を楽しむものではなく、単純に眠気を飛ばす作用しかない。もっとも、眠気を覚ますなら脳に直接、電気刺激を送り込む方法もあるが、ソフィーヤはあまりそのような行為は好まなかった。

「両親と引き離した今の状態は好ましくないが、ルカ自身が望まないのに送り込むことが正しいのかってね。でもこの間の自殺騒ぎで、フリーサイドの方に意見は傾きつつあるよ。あそこに送り込めば自殺ということはまず不可能だからね。精神だけで生きていけるんだから」

 ソフィーヤはコーヒーに口をつけてから、

「それで、シェン・リーはあの子を厚生施設に移すべきって言ったの」

「そう断定したわけではないですが、選択肢の一つであると。彼女がイデオロギーに染まっているならば」

「それも一つの手だね。私たちに出来る限界があれば、他の機関に任せることだって必要。何ら恥じることはないよ」

「あの本と、同じイデオロギーを持っているのだとしたら都市の脱走者も同じように厚生施設に送るべきでは」

「そっちは、イデオロギーとは違うと思うけどね。民族派、特に東アジアのゲリラは、自死行為に何らかの儀式的意味を持っていることがあるから。いわゆる、集団本位の自殺だね」

「ある特定の集団、民族なり国家なり、個人が属する共同体が持つ文化が、個人を殺すというものですか」

 個人が生きることを恥と教え込み、命よりも優先されるべきものがあると刷り込み、結果社会が個人を自殺に向かわせるというものだ。夫を亡くした妻は後追いすべきとして生き埋めにし、恥を晒したものは潔く死を選ぶべしと腹を切らせ、国家のために敵を討てと飛行機ごと体当たりさせた。個人ではなく集団ありきの理論。

「ゲリラの社会では、まだそれが生きている所がある。ルカが、そのような理論を抱えて、そのせいで死を選んでいるのだとしたら確かにイデオロギー的だけど。でも他の都市住人はそんな思想とはほど遠いところにいたわけだから、イデオロギーとは無縁でしょう」

「あの本がイデオロギーの温床になっていたのでは」

「だとしても一時的なものよ。そう長続きするわけじゃない。ルカも、ゲリラ村で過ごしたときよりも都市で過ごしたときの方が長いんだから、そんなイデオロギーとは無縁だと思っていたんだけど……」

 ソフィーヤはどこか虚ろな目をしていた。寝不足によるものであるのか否かは、判然としなかったが、スクリーンではなくもっとも遠い所を眺めるかのような目だ。

「そういえば」

 と私が言うのに、ソフィーヤが目を向ける。

「ルカに会ってきました」

「会った? いつ」

「あなたが北京に飛んでいる間にです。目を覚ましてから、すぐに」

「病室にまで行ったっての。あまりそういうことは良いことじゃないんだけど」

 ソフィーヤはまあいいわ、などと言って

「なんか言ってたの、あの子」

「どうして私の好きにさせてくれないのか、と。機械細胞を埋め込まれたことも、あまり気に入ってはいなかったようです。ゲリラには機械細胞を埋め込まれることは恥であり、そのような者は死を選ぶべき、という思想でもあるのでしょうか」

 ソフィーヤはスクリーンの文字列を見つめ、ややあってから口を開いた。

「機械細胞そのものが、もしかしたら嫌なのかもね」

「どういうことですか」

「つまり、今の状態。機械細胞があの子の肉体を修復しているけど、それが嫌だから今のまま死にたいっていうことじゃないかって。この状態を放置しておけば、いずれは脳も全て、疑似神経配列と回路に置き変わる。もちろん、彼女の記憶も転写されるけど、機械に置き変わるくらいならってことかも」

「だから、今のままフリーサイドに行くか、あるいは機械化するか、その選択で揺れているわけではないですか。彼女の思想がどちらの選択も拒否しているが、それがイデオロギーのせいということが」

「イデオロギーのせいかどうか、もう少し面接を重ねてみた方がいいかもしれない。今、性急に判断するより、彼女が何で機械細胞を嫌がっているのか知る手がかりでも分かれば、施設を移したとしてもやりやすいでしょう」

 ソフィーヤがそう言い終わるのと、コーヒーが出てくるタイミングがほぼ同時だった。左脇からステンレスの人工操作手が延び、淹れたてのコーヒーのカップを二つ、机に置く。円筒形の雑務ロボットが他の注文は要るかと問い、ソフィーヤは結構よ、と答えると人工操作手を引っ込めて走り去った。

「今の、TX社ね」

「見ていましたよ」

 いかにも広告効果を狙ったかのようなロゴマークが、ボディの前面に刻まれていれば誰でも気づくというものだ。今にも羽ばたきそうな金色の鳳、その足下に大きく社名を刻み込んでいる。私の古巣である、と紹介するのもはばかられるほどに仰々しい印で、このごろは街で見ない日はないというほどありふれている。

「そういえば、都市警のルーキーもあなたと同じなんですってね」

「アルファ9ですか」

 せっかく持ってきたのだから、私はもう一方のカップに口を付けた。酸味ばかりが舌に残る、いかにも培養物という味だった。前世紀までの環境破壊を修復すべく、各都市とも環境保護名目で農産物の収穫に多くの規制を設けている。

「同じ、という言い方は語弊があります。遺伝子プールは彼がアルファグループ遺伝子から選別され、私はベータグループです」

「どう違うの、それ」

「遺伝子に違いはありません。ただ、フリーサイドに脳神経を接続し、意識を構築しますがそのときのプログラムに差異があると聞かされます」

 脳に施されるプログラムが、同じ目的であってもその方向性が違うことがある。同じ値であってもそれぞれの度合いによって変化するベクトルのように、時に違うものとして扱われる。患者の生活環境に合わせて内容を変えるのだが、結果としては同じ。健康で文化的、倫理と人権が守られた生活を再び送ることができるようにする。それが、プログラマーとしての使命だ。

 私と9(ナイン)に施された倫理の違いは、恐らくはそういうことなのだろう。当然それは自覚できるものではなく、推測の域を出ないものではある。

「そう。あんたの知り合いなら、ちょっとは融通効くかと思ったけどそうでもないのかね」

「なにを期待していたのですか」

 あからさまに落胆の色を浮かべるソフィーヤに、私は少々の不服感を抱いて訊いた。

「そう睨むなよ。都市警が面接の間も監視するなんて言い出すからさ、ちょっと揉めてんだよ。あんたの知り合いがいるってなら、説得もしやすいと思ったんだけどそうもいかない。となるとどうするかって話」

ナインは私の話など聞きませんよ。都市警はゲリラに通じる証拠を挙げたいだけですから」

「そうじゃない、とは信じたいけどね」

 ソフィーヤはこめかみを押さえて、欠伸をかみ殺すような、いかにも眠そうな様子だった。私は睡眠が不足しても疲れない抗生物質の存在を思いだしつつも、ルカのことについて質問した。

「次の面接も、同じ手順で行うのでしょうか」

「そうだね。私が話し手になるからあんたは補佐する感じで」

「私がやるのは駄目でしょうか」

 果たしてソフィーヤは目をみはり、それが余程の驚愕であるとまざまざと見せつけるかのような表情をつくる。

「どうして、また」

「いえ。直接話してみないと分からないと思ったので。確かに私は経験が少ないですが、それでも資格は持っています。足りないところもあるでしょうが、あなたがスーパーバイザーとしていてもらえば、心強い」

 ソフィーヤはしばらく考え込んだ後、言葉を捻り出すように言った。

「経験の差は、実践を積むことで埋められるものの、あの子は少し、あなたには手に余ると思う」

「承知しています」

 それでもルカ本人から、本当のところを聞きたい。それが第一でもある。おそらく、私のことを忌避しているであろうルカが、本音はなにを思っているのか。

「そんなにやりたいというなら構わないけど。ただ次の一回は私がやる。イデオロギーの影響か否か、判断した後、この施設に残すかどうか決めたいから」

 ルカがイデオロギーの影響下にあれば、施設を移すことを視野に入れた方法だった。ルカの自殺願望の元となるイデオロギーを、そっくり消し去ることのできる施設。阿宮圭が入れられ、脱走した場所だ。

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

 私はよっぽど暗い顔をしていたのだろうか、ソフィーヤは微笑み、私の肩に手を置いた。

「施設といっても、倫理規定には逆らえない。ここを出たとしても彼女がそこでどうにかなるってわけでもないよ」

 だが、そこでフリーサイドに行くのが妥当だと判断されたら。彼女は望まずにフリーサイドに行くことになる。


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