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 私の推論は、はっきり言って翌日には裏切られることとなる。推論とは、阿宮圭の存在が取るに足らないと判断した、そういう淡い期待に似たものだ。私の見通しが弱かった、あるいは浅はかだったと自覚させられることとなった。

 研究所にその存在を認めたのは、出勤一時間前のことだった。普段は交通誘導の自動装置で運行する乗用車の群を縫うように、マニュアル操作の装甲車が何故か走っているところからすでに違和感があった。研究所に着いたと同時に、その装甲車が入り口に横付けされ、その車体には都市警の印が刻まれていたのが決定的だった。

 交差する鎌と剣に絡みついた蛇と、その下に鎮座する鰐亀の図式。よく見れば蛇は、亀の尾と一体化している。装甲を着込んだような無骨な甲羅を持つ亀、それに負けず劣らず凶暴そうに、牙をむく蛇。治安維持のための部隊が、何故それほど恐ろしげな図柄を配するのか首を傾げざるを得ない意匠だ。

 正面のゲートをくぐってすぐのRNA鎖のオブジェのところに、スーツ姿の男たちが四人、集まっていた。黒灰めいた色が固まりあい、そこだけぽっかりと穴でも開いているかのような違和感がある。所員たちはその集団になるべく近寄るまいとして遠巻きに見ながら足早に通り過ぎてゆく。その中で私一人が、その集団に近づいていった。

「都市警は全員防護服を着ているかと思ったが、そうでもないんだな」

 そのうちの一人に声をかけると、果たして四人分の視線を一斉に浴びる。

「あまり暑苦しい格好していたら、そのうち市民から苦情が来そうなものだ」

「あまりおしゃべりは好きではないな、12トゥエルブ

 普段はパーソナルネームで呼ばれることの多い中、その呼び方をするのは身近な人間では二人しかいない。ストラウスと、あと一人。

「お前が来るって分かっていたら、こうして声をかけることもなかったよ、アルファナイン。たとえあまり歓迎されないとしてもだ」

 彼――ナインは、私の頭一つ分上の位置から見下ろしてくる。厳つい岩盤の胸板を反らすように、傲然とたる態度で告げた。

「俺も、お前がいると分かればここに来たくはなかったが。これも仕事でね」

「余計な不安を周囲に振りまくことが都市警の仕事か。それは随分と精が出ることだ」

 残りの警官たちが色をなすのに、アルファ9は私の腕を掴み引っ張った。

「少し外れる」

 アルファ9は私を連れ出すと、歩きながら、幾分声を潜めて言う。

「挑発の類は慣れているが、あまり積極的に言うものではないな、12トゥエルブ

「挑発のつもりはないが、それよりこれはどういうことだ。何故都市警がここに」

「今、お前のボスと交渉していてな」

 アルファ9は、仲間たちから離れたことを確認すると、廊下の壁に寄りかかった。

「しばらくここに警官を常駐させることになりそうだ」

「自殺の件か」

 するとアルファ9は頭をかいて、心底呆れるかのようなため息をつく。

「昨日、この施設から中央のアーカイブを閲覧した奴がいてな。情報をたどったら、お前の脳波に行き着いた」

「それが問題だというのか」

「いや、全うな手順を践んだのなら構わない。が、お前が見ていた情報は阿宮圭についてだろう」

 鼓動が少しだけ乱れた。それを告げる網膜の生体情報を無視して、私は言った。

「それがどうした。既に死んだ人間だろう」

「その、阿宮圭とお前たちが預かっている娘――ルカ・オベールといったか、その二人が関連している可能性がある」

 まさか、と言おうとして、しかし私自身その疑念を抱いていたことに気づき、黙る。アルファ9は、してやったりという笑みを浮かべた。

「お前もそれが分かっていたのだろう。あの本、多分お前も見ただろうが、著者の名前とお前のところの患者の名前が一致している」

「偶然だろう、そんなもの」

「偶然というなら、何故わざわざ調べるのかね。まあともかく、阿宮圭がゲリラであり、ルカ・オベールが同じ地域の出身である以上、何かしらのつながりを見いだすとしてもおかしくはないだろう」

「ルカを、監視するというのか」

 アルファ9はやけにクラシックな腕時計をのぞき込んだ。仲間たちの方と見比べて、いつ彼の仕事に戻るべきか、間を計っているかのようだった。

「ルカは精神状態が不安定だ。あまり余計な刺激を与えたくないのだが」

「その方法については、あの所長と折衝している。あとで主治医と、多分お前の話も聞くことになるだろう。ルカ・オベールの心理状態になるべく影響のない程度に、しかしあの本の著者と関連があるなら、ゲリラのイデオロギーを背負っている可能性が高い」

「馬鹿な。とっくに死んだ人間が書いた本など」

 アルファ9は時計を見て、そろそろ時間だと呟く。私も時間を確認した。既に業務に入っていなければならない時間となっている。

「ともかく、彼女のことは我々の監視を行う、それが大前提だ。なに、お前の仕事を邪魔するつもりはない。つつがなく、業務に戻ってくれ」

 アルファ9はそれだけ言い残すと、まだロビーにたむろしている仲間たちの方に駆けていった。釈然としない思いで、私も業務を遂行すべく、スクリーンを開いた。


「都市警が監視するって本当かよ」 

 よほど衝撃的だったのか、シェン・リーの声が少しばかりうわずった。そのせいでフロアでいらぬ注目を浴びてしまたった。

「声が大きい」

 と注意してから、

「ルカの元の名、それとあの本を書いた著者。同じ姓を持つことが、単なる偶然とは考えにくいということらしい」

「たしかに、あの名字はあっちでも珍しいものらしいけど。だからって、それだけの理由で倫理院管轄のここに介入できるものなのか」

「その倫理院が許可しなければ、監視などしない。倫理の実行にはある程度の強引さが必要だって、つまりはそういうことなのだろう」

 シェン・リーは片手でプログラムの打ち込みをしながら顔はこちらに向け、もう一方の手で仮装立体の映像を呼び出す。『ナツィオへの帰還』の、コピーされた実体を指で弾き、巻末のページをめくった。

「この阿宮圭って、ゲリラの中じゃどういう地位だったんだ」

「分からないが、ただゲリラの戦術にはプロパガンダで彼らの信奉者を増やし、兵隊とする手法がある。古典的な本だが、イデオロギーを広めるために書いたのであれば、おそらく阿宮圭は情報戦を担っていたのだろう。もっとも、データ上では死亡したことになっているから、何故そこまで過剰反応するのか理解出来ないが」

「死んでない、とか。実は」

 シェン・リーは仮想立体の本を閉じながら、そんなことを口にする。プログラムの打ち込みもほぼ終了したらしく、スクリーンから手を離す。手先の器用さは遺伝子の差なのだろうかと思った時があったが、シェン・リーと私ではそれほど遺伝情報に差異はなく、経験の差なのだろうと最近は思っている。

「死んでいないとはどういうことだ」

「だから、データの方が間違っているんじゃねえのかってこと。死んだと思われていたけど、実は生きていました、ってさ。生きているって分かりゃ、おちおち泳がせてもおけない。当然、阿宮圭とつながりがあるかもしれないって思えば、ルカの方にも監視がつく」

「しかし、阿宮圭の遺体は収容された後、焼却されたと聞く。彼らの文化と同じ方法で埋葬されておいて、今更生きているなどと」

「どうかな。DNAマーキングがいい加減だと、実は全然違う人間を燃やしてました、なんてことにもなりかねんし」

「倫理院管轄の厚生施設だ。検査違いなんてあり得ない。それとさっきから死んだだの燃やしただのと、あまり穏やかではないな。言葉一つとっても暴力性があるのだから、気をつけた方が良い」

「ユーリは真面目なこって」

 シェン・リーは明らかにわざとだと分かるように、頭を振ってみせた。

「で、その関係であんたの友人がここに来ているってか」

「別に友人ではない」

 今朝のやりとりをシェン・リーもみていたらしく、アルファ9のことを訊いてくるのだが、実際に彼との思い出など何もなく、ただ同じようにフリーサイドで意識を醸成された、それだけに過ぎない。有り体に言えば兄弟と言えなくもないが、特にそれで共感を覚えるということはなかった。

「あいつ、マクガインって呼ばれているらしい」

 私が次の仕事に取りかかるのに、シェン・リーが口を挟む。

「そのアルファ9、っていうのは要するにナンバリングか。あいつのこと、何でナンバーで呼ぶんだ」

「ストラウスが私のことをユーリと呼んだことがあるか」

 私の言うことに、シェン・リーは甚だ納得しかねるという顔をしている。私はスクリーンに向かってプログラムの行列式を出力し、データが読み込まれるのを待ってから口を開いた。

「我々のパーソナルネームは、無くても良いものだろう。進んで名乗るものではないし、よほど親しいわけでなければナンバーで呼んでも差し障りはない。私と9(ナイン)は確かに同じシリーズだが、生み出されてからすぐに別々の進路になったのだから、パーソナルネームなど知る由もないだろう」

「そうか? 俺は結構、進んで使う方だったけど、名前」

「お前が特殊なんだよ」

 シェン・リーは、私が研究所に入ったときからシェン・リーだった。彼を作った開発チームが、ナンバーでなく最初から名前をつけていたためであるらしい。本来のナンバリングではなく、最初からパーソナルネームを与えられた存在。ただ番号か名前か、それだけの違いであったので、それほど気にかけるわけでもなかった。ただ新鮮な驚きはあった。私たちにとって、個体の識別方法など何でも良いのだから。

「でさ、どうするんだ。あのまま都市警の好きにやらせるつもりか」

 シェン・リーの興味はプログラムの打ち込みよりも、都市警の動向について向けられているようだ。このシリーズは名前と同時に好奇心も与えられたのだろうかと疑いたくなるほどの食いつき方だが、私は至って平静に答えた。

「好きにやらせるも何も、監視は倫理院の意志を越えない範疇でやるだろう。いくら行政府がゲリラの存在を恐れているとしても、誰だって倫理行動を逸脱した行為は出来ないのだから。最低でもルカにストレスを与えない方法を取るに決まっている」 

「じゃ、勝手やらすってわけか」

「そうではない。ただ、お前が期待しているようなことにはならないってだけだ」 

「何も期待なんかしてないが。ただ、やはり気になってな。都市警じゃなく、ルカのことが」

 私が打ち込む手を止めたのに、シェン・リーはさらに続けた。

「余計なストレスを与えるんじゃないかって、そういう懸念もある。けどそれとは別に、あの本」

「あの本がなんだ」

「いや、つまり自殺を誘発するってことがさ。あの子、ルカがやっていることと同じことじゃないかって。阿宮って姓が一致するということ以上に、本を読んだものと同じ行動を取っている」

 そこまで言われれば何を意図しているか分かったが、私はそれでも訊いてみた。

「何だというんだ」

「だから、ルカはゲリラが意図している行動を取っている。あの本がゲリラのイデオロギーなら、ルカの自傷はまさしくイデオロギー通りの行為じゃないか」

「イデオロギー通りとは限らない。あの本で自殺者が出たのはまだ一人だけだし、あの本が直接の原因であると確定したわけじゃない」

「そうだが。ただ都市警は本の内容を知っているのだろう。なら、ゲリラのイデオロギーと照らしあわせてルカを監視するというのなら」

 彼女がゲリラに通じている。当然抱く疑問だが、出身や姓でなくイデオロギーと行動に共通点があるのだとすれば、それほど強い根拠はない。

「彼女がゲリラのイデオロギーを体現しているなら、ここではなく厚生施設に送るべきだろう」

「まあ、強固なイデオロギーなら当然そうするべきだろうな。ここに来るのは大抵が精神的な疾病を抱えたもので、ゲリラの過激思想を持ったものは他の、ロサンゼルスの隔離都市に送られる。阿宮圭が送られたのも同じ所だろう」

「彼は脱走したがね」

「そう。その脱走自体がすでにイデオロギーじみている。わざわざ安寧の地を捨て、外縁に落ち延びるという行為がすでに、都市に対する挑戦みたいなものだ。あの本が説くところは、人は生まれ故郷に帰るべき、というまるで根拠のない理論だが、今思えばそのときにはすでに奴の中で思想が出来上がっていたんだな」

「故郷に帰るという思想が?」

「都市の住人に、正確な故郷などない。都市で生まれたなら都市が故郷だが、本当の血のルーツと言われたらどこにいなるかなんて、誰も分からない。そんな薄い根拠に縛り付けようっていう思想を、ルカも持っているのだとしたら」

 シェン・リーが言わんとするところは、分からないでもなかった。血の信仰は、優勢学であり、選民思想でもあるがために、二十一世紀の国家解体時にはすでに消え去っていた。一部の国家を除き、血の連続性で人を分けることが如何に愚かで、意味のないことかを悟っていた。その一部の国家が、後の民族派と呼ばれる集団に変わり、ゲリラと化した――フリーサイドで得た知識だ。

「それが、なぜ自傷行為につながるんだ」

 私は、精一杯声を振り絞らなければならなかった。

「本のイデオロギーは、何も自殺を教唆するものではないのだろう。全部読んでいないからはっきりしたことは言えないが、その理論が自殺につながるとは」

「一人死んだだろう、その本を読んで」

「一人だけでは分からないだろう」

「だが、都市警は警戒している。ってことは、やはり自殺させる何かがあるんだろう。で、そのイデオロギー背負っているかもしれないルカが監視されるのは、単に著者とのつながりだけじゃない、彼女がそれほどまでに自分を傷つけるのは、あの本と関係があるって。そう捉えられてもしょうがないだろう」

 シェン・リーは、ふと打ち込む手を止めた。止めて、私の顔を見て言う。

「そんなことを言っても、お前も同じこと考えてたんじゃないのか? あの子がイデオロギーに染まっているんじゃないかって」 

「それは、確かにそういう疑問もあったが……」

 答えに窮した私に、シェン・リーが畳みかけるように言う。

「手に負えないって思ったら、早々にギブアップするのも手だぜ、ユーリ。それがあの子のためってときもある。ここじゃなきゃいけないってこともないんだから」

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