夕方の空は、赤と橙が溶け合っていた
葵は村の外れの小さな丘に立ち、振り返っていた。
猫人の家々は低く、屋根は丸く、畑は不揃いだった。
どこにでもある小さな集落。
でも数時間前まで、そこは彼の居場所だった。
背中に背負った袋は軽い。
水と干し肉、木の実が少し。
村長は最後まで頭を下げていた。
「アオイ、どうか無事で」
それだけ。
責める言葉はなかった。
だから葵は、何も言い返せなかった。
草を踏む音だけが響く。
少し歩いたところで、葵は立ち止まった。
胸の奥に、重たいものが残っている。
怒りじゃない。
悲しみとも違う。
もっと、静かな感情。
ジーナが隣に浮かぶ。
「進行方向に修正は必要ですか」
葵は首を振った。
「……少し、待って」
ジーナは何も言わず、静止した。
葵はその場に腰を下ろす。
草の匂い。
土の湿り気。
遠くで鳥の鳴き声。
ふと、あの村の子どもの顔が浮かぶ。
畑で一緒に笑った顔。
木の実を差し出してくれた小さな手。
葵は両膝を抱えた。
「俺さ」
ぽつり。
「迷惑だったんだよな」
ジーナは即答しない。
ほんの一拍。
「迷惑という表現は正確ではありません」
「じゃあ、何?」
「影響力が不釣り合いでした」
葵は小さく笑った。
「難しい言い方」
ジーナは続ける。
「あなたが介入することで、村の判断速度が低下しました。
意思決定の基準が、あなたの存在を前提に変化し始めていました」
葵は目を閉じる。
ああ、と心の中で呟く。
確かに。
水の件のあと、村人たちは何かあるたびに葵を見るようになっていた。
「アオイはどう思う?」
その一言が増えていた。
葵はそのとき、少し誇らしかった。
でも今なら分かる。
それが、崩れ始めだった。
「俺がいたらさ」
葵は低い声で言う。
「そのうち、自分たちで決めなくなるよね」
ジーナは静かに肯定する。
「可能性は高いです」
葵は草を掴む。
指の間から、細い葉がこぼれる。
「助けたいだけだったんだけどな」
ジーナは答えない。
代わりに、遠くの空を示す。
白い閃光。
また勇者だ。
葵は見上げる。
「あの人はさ」
「アルテリオです」
「うん。アルテリオ」
名前を口にしてみる。
不思議と、羨ましさはなかった。
ただ、遠い。
「全部一人で片付けてるよね」
ジーナが数値を提示する。
「勇者アルテリオの現在推定出力は、初観測時比で約1.4倍です」
「順調だね」
「はい。被害抑制率も上昇しています」
葵は息を吐いた。
「世界的には、完璧なんだ」
ジーナは淡々と答える。
「短期的には、理想的です」
短期的。
その言葉が、葵の胸に引っかかる。
⸻
夜。
焚き火を起こす。
小枝を拾い、火打ち石を鳴らす。
炎が立ち上がるまで、何度も失敗する。
ようやく灯った小さな火。
葵はその前に座る。
肩の奥がじんわり痛む。
頭も少し重い。
ジーナが警告を出す。
「葵。現在、局所干渉強度が2.3付近にあります」
「さっきの魔獣?」
「はい。加えて、感情振幅が影響しています」
葵は苦笑する。
「感情まで数字になるのか」
「推定値です」
「だよね」
葵は火を見つめる。
炎は一定の形を保たない。
揺れて、縮んで、また伸びる。
「俺がさ」
葵は小さく言う。
「もっと強ければ、追い出されなかったかな」
ジーナは即座に否定しない。
代わりに事実を述べる。
「あなたが強くなれば、影響力はさらに増大します」
「……つまり」
「より早く排除される可能性が高まります」
葵は吹き出しそうになって、やめた。
「詰んでない?」
ジーナは淡々と返す。
「現在の環境では、単独行動による定住は困難です」
葵は膝を抱える。
火のはぜる音。
遠くの虫の声。
「じゃあ、どうすればいいんだろ」
ジーナは少し間を置いて答える。
「複数個体による分散が必要です」
「仲間ってこと?」
「はい」
葵は焚き火に小枝を投げ込む。
火花が散る。
「簡単にできたら苦労しないよ」
ジーナは静かに言う。
「しかし、必要です」
その言葉は、妙に重かった。
⸻
同じ夜。
王都の高台。
アルテリオは城壁の上に立っていた。
風が白い外套を揺らす。
下では、復興作業が進んでいる。
瓦礫を運ぶ人々。
灯る街灯。
彼はそれを静かに見つめる。
ミアが隣に立つ。
「アル、少しは休まないと」
アルテリオは微笑んだ。
「大丈夫」
そして遠くを見る。
魔族領の方向。
「まだ、終わってない」
彼の背中は迷いがなかった。
その姿に、ミアは何も言えなくなる。
⸻
二つの焚き火。
一つは王都の光の中。
一つは草原の闇の中。
同じ世界で、
まったく違う夜が流れていた。
葵は毛布に包まりながら、星を見上げる。
「ジーナ」
「はい」
「俺さ」
少し間。
「ちゃんと居場所、作れるかな」
ジーナは静かに答える。
「未確定です」
葵は苦笑した。
「正直だね」
「はい」
そのまま目を閉じる。
強くなるより、
誰かと一緒にいられるほうが、
きっと難しい。




