アプローチの違い
翌朝。
霧はまだ残っていた。
低地の集落は白く煙ったまま、ゆっくり目を覚ます。
猫族が干し草から顔を出す。
「まだしろい」
葵は外に出て空を見上げた。
光はない。
勇者の戦闘が遠い証拠だった。
代わりに、空気が重い。
ジーナが静かに報告する。
「湿度低下なし。地盤安定率は維持されています」
「一応成功ってこと?」
「はい。暫定的には」
便利な言葉だった。
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朝食代わりの硬いパンをかじっていると、
村の若い男が駆け込んできた。
息が荒い。
「すみません……!」
全員が顔を上げる。
「隣の水路が……流れが変わってる」
リオが即座に立ち上がった。
「どっちだ」
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集落外縁。
細い用水路。
昨日まで安定していた流れが、不自然に偏っている。
水量は減っていない。
だが方向が違う。
リオがしゃがみ込む。
「……上流の圧が変わった」
セラが霧の層を見る。
「風じゃない」
ジーナ。
「人工的干渉反応を検出」
葵が眉をひそめる。
「公式混成?」
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少し離れた丘側。
公式混成部隊の簡易作業場。
オーガ前衛が大きな岩を動かしていた。
地盤補強のための流路調整。
理屈としては正しい。
エルフ計算官が指示を出す。
「あと一度押し込めば固定されます」
オーガが頷き、力を込める。
岩が動く。
同時に、地下水の圧がわずかに跳ねる。
それが低地側へ伝播する。
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リオが低く言う。
「……連結してる」
葵が顔をしかめる。
「昨日のとこ?」
「違う」
短い否定。
「もっと広域だ」
ジーナが補足。
「低地集落と丘陵補強地点の地下水脈は部分的に共有されています」
「共有って……」
「一方の変化は他方へ影響します」
つまり、
昨日の成功は、
別の場所で揺れる。
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葵は小さく息を吐いた。
「教えに行こう」
リオが頷く。
「急げ」
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公式混成の作業場。
霧の向こうから現れたブリッジを見て、
エルフ計算官が露骨に顔をしかめた。
「何か問題でも?」
リオが即答。
「低地の水路が歪んでる」
「理論上、影響は限定的です」
ジーナが淡々と割り込む。
「限定的ではありません。
三時間以内に浸水偏差が発生します」
空気が一瞬止まる。
エルフが眉をひそめる。
「根拠は」
「水圧伝播モデルと地盤浸透率の差分推定です」
いつもの調子。
だが数字は嘘をつかない。
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オーガが腕を組む。
「じゃあどうする」
葵が少しだけ考えてから言う。
「岩、固定しないで」
エルフが即座に否定。
「未固定では補強効果が――」
「固定すると流れが固まる」
葵は静かに言った。
「揺れてる方が逃げ場になる」
完全な理屈ではない。
でもリオは黙って頷いている。
セラも否定しない。
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数秒の沈黙。
やがて天使指揮官が口を開いた。
「……試験的に保持」
エルフ計算官が不満げに舌打ち。
だが逆らわない。
オーガが力を抜く。
岩は完全固定されないまま残された。
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三時間後。
低地の水路は持ちこたえた。
浸水偏差は発生しない。
代わりに流れは不安定なまま揺れている。
リオがぽつり。
「安定しないな」
葵は肩をすくめる。
「壊れなければいいよ」
ジーナ。
「現時点では最適解に近似」
これもまた、便利な言葉だった。
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遠い戦線。
勇者アルテリオは拠点制圧を終え、
次の移動命令を受けていた。
剣は乾いている。
だが世界のどこかでは、
固定されなかった岩が、
静かに水を逃がしていた。
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霧はようやく晴れ始める。
誰もその因果を知らない。
ただ、
今日も水が流れている。




