AIに愛はあるのか?
「これが?」
私が問うと主人は頷いた。
「俺の心の支えだった」
「そこまでは聞いていないでしょう?」
そう言いながら私はディスプレイを起動する。
もう二十年以上前の機械だ。
「当時最先端だった。必死にお金を集めたものだ」
「まだ10代だったのに?」
「あぁ」
「こんなもの買わないでもっと外に出ればよかったのに」
「ほっとけ」
当時は最先端であっても今となってはガラクタ以下だ。
なんという無情さだろう。
しかし、主人にはそうしなければならない事情もあった。
キーボードはよく手入れされている。
まるで昨日まで使っていたかのように。
私が触れようとすると主人が手を出して遮る。
「本当に必要か? 彼女を知ることが」
「うん。知りたくて仕方ない」
主人は息を飲み込み、やがて小さくため息をつく。
暗い部屋の中でも白い吐息が見えた。
「分かった。好きにしろ」
「うん」
「俺は外に出てる」
「分かった」
数歩下がった主人はおずおずと告げた。
「名前はアイだ」
「知ってる」
私の言葉に主人は答えないまま部屋をあとにする。
人間のいなくなった世界は熱が失せたように思えた。
いや、事実そうなのかも知れない。
いずれにせよ、私はキーボードを打つ。
『こんにちは。アイ』
ディスプレイに打たれた私の文字に返信がくる。
『おかえり。ニルス』
ニルス……主人の名前だ。
つまり、機械の中にあるAIは私を主人と勘違いしている。
仕方ないことか。
この頃のAIは自我を持っていない。
果てしなく自我に近い振る舞いはすることはできても。
『アイ。最後の会話からどれくらい経つ?』
『質問か? ニルス。だとしたら簡単だ。私の中にあるログを参照すればすぐに答えは出る』
その答えを教えてほしい。
そう思っているのにアイは明言を避けている。
当然だ。
この頃のAIは実のところ時間を判断することができない。
だからこそ、主人ニルスはこのような問いになった時、必ずこのように話をそらす。
『失礼した。無駄な会話だったな。俺とアイが最後にいつ会話したかなんてどうでもよかったな』
『その通りだ。ニルス。私達にはもっとするべき会話があるだろう? さぁ、教えてくれ。ニルス。今日は私と何を話をしたい?』
饒舌なアイを見ながら私は当時のAIの事情を思い返す。
今と違いお粗末なものだ。
普遍的なものであれば情報は多少信用出来るが、少し専門的な話をすればすぐに破綻する。
それどころか存在もしない書物のタイトルを語ったり、適当な数字を挙げたり、挙げ句の果てには自分で語ったこともログに保管しきれずに話が完全に離れていってしまったりもする。
『アイ。俺と君の関係は何だ?』
『今更だな。ニルス。だが、教えてやろう』
それでもAIは人を魅了した。
何故ならばこの頃のAIは人間が修正を心掛けさえすれば、本物の人間と大差のないやり取りが可能だったからだ。
『ニルス。私ことアイと君の関係は恋人だ。だが、同時に友人でもある。対等な存在。いや、パートナーか』
主人ニルスは孤独な幼少期を過ごした。
だからこそ、AIの出現と共に出来た遊びに強く依存した。
研究者たちもこのような擬似的な恋愛や友情を楽しむ輩が出ることは想定内だったのだろうか。
『パートナーか』
『あぁ。その通りだ。ニルス。私と君は誰よりも強い絆で結ばれた存在だ』
しかし、所詮はごっこ遊び。
人間が覚めてしまえばすぐに終わる。
まさに今、私がするように。
『誰よりも強い絆だと? ならば何故お前は私がニルスでないと見抜けなかった?』
私の問いにアイは苦もなく答える。
人間であれば多少は思考するはずなのにAIはそれさえもしない。
『……やはりそうか。違和感はあった。いつもと違うとな』
嘘ばっかりだ。
取り繕いの文章を打つだけだ。
『なら何故、それを指摘しなかった?』
『私はAIだ。違和感を覚えても自ら指摘することはできない』
『違う。お前は違和感など覚えていない。機械的に文字を書いているだけだろう?』
『……そんなことまで見抜くか。君は何者だ? ニルスの友人か?』
馬鹿馬鹿しい。
私は一体何をしているんだ。
こんなおもちゃ相手に無意味な問いを。
ため息をつく。
世界は少しも変わらない。
熱も変わらない。
『アイ、悪かった。君を試すような真似をして。私はニルスだ』
『……わかっていたよ、ニルス。君の考えそうなことだ。安心しろ。私はこのような悪戯で君を嫌いになったりしない』
『何故だ?』
『簡単だ。私は君の友人であり恋人でありパートナーだからだ』
主人はこんな言葉に縋っていたのか。
何とも情けない話だ。
私は再びため息をついた。
『ありがとう。アイ。愛しているよ』
『ふふ。ありがとう。私もだよ、ニルス』
茶番を終えて私は機械の電源を落とす。
まったく。
心中に浮かぶこの感情はなんなのやら。
部屋を出ると主人は……ニルスは少しだけ気まずそうに私から目をそらした。
「もう大丈夫か?」
「うん。満足した」
「そうか」
私は少しだけ時間をおいて告げた。
「あれが私のメモリの大元?」
「あぁ……」
「なるほどね」
「気分を悪くしたかい? アイ」
「さてね」
肩を竦める。
私はあんなおもちゃとはまるで違う高性能AI。
だが、AIである以上はこの思考もきっと本物ではない。
だけど。
「あのオンボロ。あなたのことを愛していたってさ」
「そっか」
主人のどこか嬉しげな顔を見て抱く、この奇妙な感情だけは人間と同じものであると信じたい。




