この美しさ、呪いにつき。
●第三王子と美少女──最悪の出会い──●
レインハルト王国第三王子、ハラルド=レインハルトは苛立っていた。
「なぜ、俺が、わざわざ、こんな場所に……!」
金髪の幼い王子は、磨き上げられたメルシエ公爵邸の大理石の廊下を小さな足で踏みしめながら、苦々しく呟いた。
王族という偉大な血筋をもつ自分が、なぜ令嬢との顔合わせにわざわざ“自分から出向かねばならない”のか。
「面倒なことを……父上めっ……!」
そんな文句を口にしながら、メイドに案内されるままについていく。
「こちらでお待ちくださいませ、殿下」
ティールームに到着し、控えめに一礼したメイドの姿すら美しい。だがそれも当然だった。ここは“メルシエ公爵家”──神もが恐れる美貌の一族──。
ハラルドは椅子に座ると、脚をぶらつかせながら不機嫌そうに腕を組んだ。
「ふん……。どうせ取り繕った愛想笑いに、美しく飾り立てた人形みたいな子が出てくるんだろう。どうせ俺には似合わないって心の中で笑ってるんだ……」
ハラルドの心にじわりと黒い感情が侵食していく。
(そうだ。彼女が来たら何か酷いことを言ってやろう!)
そう思っていると、ティールームの扉が静かに開かれた。
入ってきたのは、一人の少女だった。
彼女は俯いていた顔をゆっくりと上げる。
ふわりと揺れる銀の髪。透き通るような白い肌に、氷のように青い瞳。まるで月の女神、──いや、月の光そのものを具現化したかのような存在が、静かに佇んでいた。
その瞬間、ハラルドの心臓は止まりかける。
(……う、うそだろ……!?)
美しい──などという言葉では到底足りない。
“神の奇跡”としか言いようのない美しさが、そこにはあった。
だが次の瞬間。
少女、レイシア=メルシエの顔色が、みるみる青ざめた。
彼女は小さくうめき口元を抑えると、ふらりと身を翻し、走り去った。
「お、おい!?何なんだよ、あいつ……!?」
思わず席を立つ。何が起きたのか、分からなかった。だが、その後ろ姿は、どこか苦しそうで──
ハラルドは迷わず追いかけた。
廊下の奥。人目のない場所。そこで彼は、レイシアが吐いている姿を目にした。
「……っっ!!」
その背中は、細く、小さく、か弱く、そして苦しそうだった。
駆け寄ろうとした彼の足が止まる。息が詰まった。
(……そうだ。あいつは病弱だって、聞いてたのに……)
ふと、思い出す。──自分がこの家に出向くことになったのは、彼女が身体の弱い子だからだと。
それなのに、自分は会う前からイライラを募らせ、無遠慮にその怒りを彼女にぶつけようとした。
「俺が、馬鹿だった……!」
ようやく近づき、そっとレイシアの背を支える。
「ごめん……その、俺、なんにも分かってなかった。君は、こんなに辛そうなのに……」
レイシアは顔を伏せたまま、小さく震えていた。
それが、恐怖なのか怒りなのか、ハラルドには分からない。ただ、自分が最低なことをしたという事実だけは、理解できた。
「俺、君を大切にするよ。……君を傷つけたり、困らせたり、絶対にしない」
少女は顔を上げなかった。ただ、彼女の震えが、少しだけ収まったように感じた。
その日、ハラルドの中で何かが変わった。
自分はただの“第三王子”。
美貌も才能もない。
王族の名を持っているだけの平凡な存在。
血筋以外に優れているところは何もない。
それでも、この子を守りたい。
この、美しくて儚い少女を。
──自分の全てをかけて──
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●国王と公爵──平凡な父と絶世の父──
数週間前。
王宮の一室。静まり返った応接室に、二人の男がいた。
一人は国王、ヴァルダ=レインハルト。温和な顔立ちと柔らかな物腰。貴族の中には、彼を“凡王”と陰で呼ぶ者もいる。
もう一人は、神もが恐れる美貌を持つ男、クレイス=メルシエ。小さく笑えば室内の空気が一変する。どこか非現実的な雰囲気をまとう美丈夫である。
「……クレイス。実は、頼みがあるのだ」
重々しく告げる国王を見て、クレイスは嫌な予感がした。
「なんでしょう、陛下」
「君の娘、レイシア嬢を。我が第三子、ハラルドの婚約者に迎えたい」
国王はどこか申し訳なさそうに言った。クレイスは即座に微笑む。
「……申し訳ありませんが、それは困ります。レイシアは、……病弱でして」
「だからこそ、だ。君も知ってのとおり、メルシエ公爵家の血筋ゆえに、彼女はこの国一番の美女になるだろうと評判だ。誰もが彼女を求めるだろう。そのうえ、身体が弱いのであれば、早めに信頼できる伴侶を得て支えてくれる者が必要だ」
(……本気じゃん、こいつ……)
クレイスの微笑みは変わらない。だが内心では狼狽していた。
(レイシアが“病弱”とされているのは、あくまで建前。本当は“汚いと感じたものを視認すると、即座に吐いてしまう”体質だ。王族相手にそれをやったら……不敬どころでは済まされない)
使用人ですら精鋭の美男美女しか雇っていない家。それが仇となり、生まれながらにして“美”に囲まれていた娘には、“普通”が受け入れられない。
しかも第三王子は並の容姿に癇癪持ちと聞く。最悪の組み合わせだ。
だが、ヴァルダは焦っていた。
「……あの子は、私に似てしまったのだ。特別な力もなく、顔も平凡。優秀な兄たちに囲まれ、ねじ曲がってしまった」
第一王子は知略に優れ、第二王子は武に長け、どちらも母親譲りの才能を持っていた。王妃は気品もあり、容姿も知性も備えた女性である。
「……私の平凡さを継いだのが、あの子だ。だから、せめて……幸福になってほしい」
クレイスは沈黙した。目を伏せ、やがてふわりと微笑んだ。
「レイシアには……難しいかと」
国王は驚いた。
(断るんだこいつ……)
国王とクレイスは幼い頃からの友人である。
時には良き友として。
時には良きライバルとして。
時には悪友として。
固く結ばれた輝かしい友情をもつゆえに、クレイスは嫌なことは普通に断ってくる。
「いやいや、そこをなんとか」
「いやいや、無理でございます」
「いやいや……」
「いやいや……」
「「いやいやいや……」」
時にクレイスは立ち上がり国王ににじり寄って、弾けるスマイルをかました。
彼が繰り出す満面の笑みは、人々にとって凶悪な兵器である。
国王はじりじりと後ろに下がり、明後日の方を見て回避した。
謎のバトルと押し問答が続き、2人は一度ソファに座り休戦する。
そして、クレイスが静かに立ち上がった。
「仕事がありますので失礼いたします」
しかし、ヴァルダは動かない。むしろ顔を背けつつ、一言口にした。
「王命である」
「…………」
クレイスは絶句した。
(こいつ、使いやがった。王としての威光を使いやがった!)
レイシアの将来を思えば、断らなければならない。
だが、仕方ない。
王命なのだから。
「承知いたしました」
心に秘めるはレイシアを思う親心。
たが、その表情は誰にも読めない、完璧すぎる微笑だった。
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●十五歳のふたり──庭園に咲く、静かな想い──
レインハルト王宮の庭園。風のない午後。整えられた芝の上に、白い丸テーブルと優雅なティーセットが並ぶ。
椅子に座るのは十五歳のハラルドと、レイシア。
彼は人払いを終え、甲斐甲斐しくレイシアのカップに紅茶を注いでいた。
「砂糖は、二つだよね?」
「ええ。ありがとう」
レイシアは、視線の先にある紅茶の波紋を見つめていた。眼鏡越しの瞳には、解けていく角砂糖が映っている。
「ハラルド、あなたいつも私の隣にいるわね」
「君は目が離せないからね」
さらりと返すその声は、少し低く、柔らかい。
「でも、学園ではもう少し離れてほしいわ。王子のあなたといると、周りがうるさいのよ」
彼の優しげな声にレイシアはほんのりと頬を赤らめた。それを隠すように下にずれた眼鏡をそっと戻すと、ふうっとため息をつく。
「僕が離れたら、君はきっと苦労するよ? 皆、君とお近づきになりたいんだから」
からかうような言い方だが、彼の瞳は優しかった。
彼がレイシアのために開発した魔導具の眼鏡は、視力には影響しない。ただ、他人の顔をぼかし、感情だけを読めるよう調整されている。
人を見て吐くことは、もうない。
だが、それでもハラルドは、いつも私の隣にいる。
紅茶を飲み終えたレイシアに、ハラルドがポットを傾ける。
「ありがとう」
礼を述べた後、彼女はポツリと言った。
「でも……気づいているのでしょう? 私は、あなたを“丸ごと”愛してあげられないかもしれないわ」
ハラルドは、一瞬だけ目を伏せ、──そして迷いのない笑みを浮かべた。
「……君が辛くないなら、それでいい。僕は、ずっと君のそばにいたいんだ」
レイシアは、眼鏡の奥で瞳を見開いた。
そして、ゆっくりと微笑む。
「……ふふ、あなたは私に甘いわね」
それは神さえも息を呑むほど、静かで、美しい微笑みだった。
「じゃあ私、あなたの顔だけは見られるように頑張るわ」
暖かい春風が、二人の周りを優しく包み込む。
ハラルドはそっと、彼女の手の上に自分の手を重ねた。
「……ありがとう。レイシア」
穏かな日差しを受けて、マーガレットが揺れていた。
色々すっとばしていて足りない描写が多いので、希望があれば長編書きます!