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鳴らぬ天の鼓-殺意の神域-  作者: 千崎 翔鶴
三 「ひとごろし」の少年
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 誠一郎に見送られるような形で、晴季もまた階段を上って自室へと入る。皺にならないように制服をハンガーにかけて、もうどうせ外には出ないからと部屋着に着替えた。

 手早く着替えて部屋を出て、階段を降りようとしている吉彰の背中を見付ける。その背中を追いかけるようにして、晴季もまた階段を降りた。

「さて、スミヨシもハレも座った座った。晩ご飯は何か頼むから、今日は作らなくて良しとする!」

「何でまた……」

 リビングへと戻れば、誠一郎に席に座るように促される。そして誠一郎の口から、彼にしては珍しいことばが飛び出してきた。

 いつもは何としても吉彰に食事を作らせようとするのに、どういう風の吹き回しか。

「それはお前、気になってるだろう話をしようと思っているからだよ」

 席に座った吉彰が、眉間に皺を寄せている。そんな吉彰の顔と、それから笑みを浮かべている誠一郎の顔とを見て、晴季もまた腰を下ろした。

 吉彰は何かを考えるように口元に軽く握った拳を当てて、それから答えに行き当たったように「ああ」と声を上げる。

「……だから、赤砂さんが来てたのか」

「そういうこと」

「首突っ込むなって言ったくせに」

「言ったところで気にするだろ? 隠した方が調べたくなるじゃないか、人間って」

 見るなと言われれば見たくなる。するなと言われればしたくなる。人間の心理というものはそういうものがあるらしい。晴季は特にそうして禁止されたことをわざわざ破ろうとは思えないのだが、好奇心が勝れば言いつけを破ったりするものか。

「さて、二〇一六年七月七日、木曜日」

 誠一郎が口にしたのは、三年前の七夕の日付だった。それが木曜日だったかどうか晴季の記憶の中にはないが、誠一郎がそう言うのならばきっとそうなのだろう。

「えーと、何だっけ。さわ、さわ……さわむら?」

「沢野宇月?」

 名前を覚えていなかった誠一郎に晴季が助けを出せば、誠一郎はぽんと手を打ち鳴らす。

「そうそう、その沢野宇月が、行方不明になった日」

 七夕ともなれば、花菖蒲公園の花の季節は終わっている。花の盛りほど人はおらず、おそらくは誰も彼女に気付かなかった。

「一度家に帰ってきて、学校に忘れ物をしたから取りに行ってくると出ていった。それきり彼女は家に戻らず、母親が学校まで行っても見付からない。そこで両親が警察に相談、捜索が行われた」

 ただ、そこで彼女は見付からなかった。その理由は分からないが、彼女の発見は三年が過ぎてから――朽ちて、骨になってからだった。

「当時の担任の先生なんて必死で、それこそびしょ濡れになってまで探したらしいよ」

「そういえば沢野さんのお母さんも、そんなこと言ってたな」

「学校近くの用水路にまで入って探したんだってさ。沢野宇月が行方不明になる前にそこで生徒が溺れたからもしかして、と。()()()()ってことにしておくか。何せ心配して塾にまで連絡するくらいだしな」

 思い当たるのは、畑凪咲だ。それに小学校の前で会った女性も、用水路で溺れた生徒の話をしていた。沢野宇月が行方不明になる前に、溺れたというクラスメイト。

 もしかして同じように、と、担任教師も思ったのだろう。

「おっさん、言い方に棘がある気がするんだけど」

「さあ、どうかな」

 吉彰のことばに、誠一郎はわざとらしく肩を竦めていた。

 教師と言われると、晴季は真っ先に祖父が思い浮かぶ。晴季がものごころついた頃にはすでに大学で教鞭を取っていた祖父は、かつては高校の教師だった。高校教師を辞める直前までは玄冬高校に勤めていて、誠一郎は「絶対に玄冬高校には行きたくなかった」と吐き捨てるように言っていた。

 晴季の母も似たようなことを口にしていたので、そういうものかもしれない。親がもしも自分の通っている学校にいたらと想像してみると晴季も少し嫌だったので、なんとなく納得はした。誠一郎の場合は、親の影響が色濃く残っていそうな学校は嫌だったのか。

 祖父は玄冬高校には、並々ならぬ思い入れがあったらしい。

 晴季がそれを知ったのは、祖父がかつて誇らしげに語った『玄冬街道』のことばかりではない。祖父の書斎に未だ眠っている日記代わりにしていた手帳、その中に何度となく玄冬高校という名前が出てきていたからだ。

「理想の教師とかって聞くと、反吐が出るんだ。親父を思い出す」

「理想の教師ね……考えたことないけど」

「それはそうだろ。義務教育において子供が絶対に関わるのは教師だけど、その先生が記憶に残るかって言うとそうでもない」

 誠一郎のことばに、少し考えてみた。

 晴季が今まで関わってきた先生の名前を全部言えるかと聞かれれば、その答えは否だ。性別くらいは覚えていても、あの先生の名前は何だっただろうか考えてしまう。これは決して晴季の記憶力の問題ではなくて、一年間毎日関わり続けて景色になり、そして次の先生に上書きされているからだ。

 記憶に残るのは、嫌だった人の方が多いのか。褒められたこともあるはずなのに、そういうものは色褪せていく。人間というのはもしかすると、嬉しいとか楽しいより、悲しいとか苦しいとか、そういう嫌なものを記憶に刻んでしまうのかもしれない。

「ある意味理想を抱くのは、教師側なんだろうな。自分がそういう理想の教師に出会って、そうなりたいと思うこともあるかもしれないが」

 ああいう人になりたいと憧れたのなら、記憶に残っているのだろうか。

 きっと祖父は、そういう人だった。誠一郎が苦々しく言うほどには。けれど晴季は教師として立っていた祖父を知らず、何を言えるはずもない。

 こうあって欲しいと、他人に思う。それは押し付けになるのだろう。それはとても傲慢だろう。けれど「自分がこうありたい」と願うことは自由だ。それが自分自身の手足を、雁字搦めに縛り付けない限り。

 誠一郎が吐き出したことばが室内を支配して、重い沈黙がやってくる。それを打ち消してしまいたくて、晴季は慌てて話を変えるように口を開いた。

「でも、不思議だよね。それなら花菖蒲公園の池も調べたんじゃないの?」

「確かにそうだな。溺れたかもしれないと思ったのなら、花菖蒲公園の池だって当て嵌まる。そもそもあまり調べなかったのか、あるいはその時はそこになかったのか」

 晴季の問いに対する吉彰のことばはその通りだ。学校近くの用水路ほど近くはない、けれど小学生が帰りに立ち寄れないほど遠いわけでもない。帰りにそこで遊んでいてもおかしくはない位置にある公園を、捜索しなかったとは思えない。

 ならばどうして、沢野宇月はそのとき発見されなかったのか。晴季も頭を回転させてみたものの、これだという理由は思い当たらなかった。

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