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「何よ美和子、彼氏来てたんなら教えてくれてもいいじゃない!」
久しぶりに会った友達は、学生時代の面影も薄くなり、眉を綺麗にととのえて髪にはパーマまでかかっていた。
「だって、あっちも忙しかったしさ。下手に一緒にいるところ見られてみんなになんか言われるの嫌だったんだもん」
「まぁ、たしかにね。こんな田舎だとさ、ちょっと男の子と歩いてるだけで彼氏かとか結婚はいつだとか言われるしね」
千由紀の家に遊びに行くのは、高校を卒業して以来だった。漁師の娘の彼女は、ちょうど夏祭りのときに悠馬と歩いた、海沿いの道のところに家がある。高校を卒業後、そのまま地元の漁業協同組合に就職して、最近ようやく仕事にもなれて余裕ができてきたようだった。
「千由紀は、彼氏とかいないの?」
「いないよー。いつも漁師のおじちゃんたちにいいようにいじられてるけど、そこらへんはさっぱりだね」
千由紀の部屋で、ふたりでベッドを背もたれにして座り、テレビを見ながらあれこれ喋る。高校時代は毎日のようにしていたことなのに、地元を出ると当たり前だけどできるわけがなくて。お互い高校時代に戻ったような気がして、担任の先生やほかの教科の先生の思い出話に華が咲いていた。
「ゆうまくん、だっけ? 彼氏はいつあっちの実家に戻るの?」
「たしか、今日戻るはずなんだけどね。忙しいやつだからさ、メールしても全然返事くれないのさ」
悠馬からきた最後のメールは、あたしが寝込んでいるときにお父さんに送られて、バス待ちのときに送信したらしきものだった。『体調、大丈夫か? ゆっくり休めよ』とまた文面が本当にぶっきらぼうで、そのあとあたしが返事を送っても、さっぱり返ってこないまま一週間がたとうとしている。
悠馬は悠馬で大学のサークルやらボランティアやらに所属しているから、忙しいのはわかってる。付き合ってるくせに、頻繁にメールをくれるわけでもなく、すっぽかされることのほうが多いぐらいで。だからこそ夏休みぐらい、すこしはふたりでゆっくりしようと約束して一緒にあたしの地元に帰ったんだけど。
一週間も音沙汰ないのは、なんだか不安になる。
「ゆうまくん、都会の人? こっちの田舎っぷりにびっくりしてたんじゃない?」
「いや、悠馬も地方の子だよ。ただ、山ばっかりのところに住んでたから、こっち来て海見てやたら感動してたもん」
悠馬の地元とあたしの地元を比べれば、あたしのほうが断然田舎だった。コンビニや生協はほかの町と共通してるけど、メジャーなスーパーやレンタルビデオショップはまず、ない。信号機も町内に三つしかないし、カラオケも一時間でけっこうな金額になる。進学当初それを大学の友達に話したら唖然とされたので、あたしはなるべく自分から地元の話をしないようにしていた。
地元を出て苦労したのは、環境の違いだったと思う。なにせこちらはバスが一時間に一本出るかどうか。車がないとそうとう苦労するし、休日になったら日用品を安く買うために隣町まででかけたりもする。だからあたしは高校にいる間に免許をとったけど、都会にでると車がなくてもぜんぜんやっていけた。
都会の人ごみや生活に疲れて、地元に帰りたくなって。泣いていたあたしにそっと声をかけてくれたのは、他でもない悠馬だった。
彼も彼で、入学当初はやっぱり環境の違いに戸惑っていたようで。弱っていたあたしが落ち着くまで、いつもそっとそばにいてくれた。たぶん彼も寂しくて、あたしも頼れる人を必要としていたから、ちょうどお互い寄り添うようなかたちになっていたんだと思う。
そうこうしているうちに、あたしもどうにか生活になれ。自分は都会のきらびやかなお嬢様たちについていけないと完全に悟ったころ、あたしと同じく疲れを見せ始めたほかの地方組の子達と仲良くなり。
そして悠馬と付き合うことになった。
「私もお金ためて、仕事探しにそっち出ようかな……」
あたしがそうこうしている間も、地元ではちゃんと、同じぶんだけ時間が流れていた。高校時代にあれだけつるんでいた千由紀と離れても、彼女の時間が止まるわけじゃなくて。千由紀には千由紀の生活があって、卒業して数ヶ月こそまめに連絡をとっていたけど、最近では誕生日にメールを送るぐらいの仲でしかなかった。
それぐらい、お互いに自分の生活にいっぱいいっぱいになっていた。
久しぶりに再会するまでの間に、千由紀も仕事でいろいろあったらしい。高卒で地元に就職するのはめずらしくないけれど、やっぱり世間の荒波は辛かったようで。ふっくらとした頬は細くなったし、化粧を覚えたのだってきっとおしゃれのためだけじゃない。煙草まで吸うようになったらしく、けれどあたしの前では気をつかって吸おうとしなかった。
「……そういえば悠馬、漁火見てすごい感動してたんだよ」
「イカ釣りの?」
前はテーブルの上にならぶのはジュースとお菓子ばかりだったのに。今は飲み物が缶チューハイに変わっている。千由紀はビールも飲めるらしいけど、あたしはまだ苦くてだめだった。
「やっぱり、山育ちには海ってなんでもめずらしいんだろうね。言ってくれたら、私のお父さんに頼んでイカ釣りの船に乗せてあげたのに」
それにあははと笑って、あたしはふとあの屋台を思い出した。
地元に残っている千由紀なんだから、海の上に浮かぶおでん屋台の存在も知っているに違いない。訊いてみようかと思い、でもなぜか、あたしはその話題を唇に乗せることができなかった。
屋台の記憶を、消そうとしている自分がいる。あれだけ悠馬と楽しく過ごしたのに、それを忘れようとしてしまう。いや、楽しみを自分のものだけにして、鍵をかけてしまいたいのかもしれない。
あの屋台は、不思議すぎた。
「……美和子?」
ふと黙り込んだあたしの顔を、千由紀がのぞきこんでくる。酔った? と訊かれて、あたしはううんと首をふった。
「千由紀、最近仕事、どう?」
「まぁ、ぼちぼちかな。相変わらず上司はセクハラしてくるし、先輩はすっごいむかつくよ」
それに対する仕返しの武勇伝を語りながら、千由紀が笑う。その笑顔だけは前と変わらなくて、あたしはほっとした。
「仕事、事務だっけ?」
「そう、金融課だから窓口ばっかりだけど。一緒に入った男子は、水産課で魚運んだりなんだりで毎日肉体労働だけどね」
酔いがまわったようでとろんとまぶたをとろけはじめた千由紀が、身体を横たえてあたしの膝に頭を乗せてくる。控えめだった彼女がいつの間に膝枕なんていうスキルを身につけたのか、驚きながらもあたしはその頭を撫でた。
このまま眠ってしまうのかなと思うぐらい、千由紀はしばらくの間、動きも喋りもしなかった。
「……私さ、いま、彼氏がいるのね」
「そうなの? おめでとう」
「彼氏っていうか、まぁまだ微妙なんだけどさ。年上で、漁師でね。いつも船に乗ってることのほうが多いんだ」
だから普段は、あまり会えないらしい。連絡先はわかるけど、彼の下船の時間と千由紀の生活時間が合わないようで、月に一度会えるか会えないかでなかなかすれ違いが多いようだった。
「いつだろう……最近っていうほどでもないんだけどね。沖の漁で事故があって、彼と同じぐらいの年の人たちがさ、船から落ちて行方不明になっちゃったんだよね。漁組にいるとそういう情報ってやっぱり頻繁に入るから、なんかたまにすごく不安になっちゃうんだ」
「まだ、見つかってないの?」
「見つかった人もいるんだけどさ。ここらへんの町の人じゃないから名前とかわかんないけど、もう捜索もしなくなってきたみたいだし……」
知らなかった。やっぱり親は、娘が帰ってきても地元の人の情報しか教えてくれない。千由紀のふんわりとカールした髪を指でいじりながら、あたしはぼんやりと相槌をうった。
「美和子……」
千由紀はあたしの膝の上で寝返りをうったかと思うと、太ももに顔をうずめて、その細い肩をふるわせはじめた。
「いつか、さ。彼もそういうふうに、海に落ちて帰ってこなかったらどうしようって思うと、すごくこわくなるの」
「千由紀……」
「私、お父さんが漁に行く時だって、不安になったりすることがあるの。それこそ事故の話聞いたりするとよけいに心配になってね。今回も彼が船に乗るとき、行かないでって、言っちゃいそうだったの」
でも、千由紀は言わなかった。