謝砂の心臓の記憶
爛は俯くとさらっとした髪で顔が隠れた。
ぎゅとと握った拳でドンと卓を叩いた。
「びっくりした。どうしたんだ?」
「酔ったのか? 爛気分が悪いなら茶を飲め。入れるよ」
横に置かれていた急須のようなものに茶が入っていて伏せられていた。
謝砂が茶を入れて振り向くと卓に頭をつけて爛が寝ていた。
爛の髪を払いのけると涙を流していた。
謝砂は手を伸ばして爛の頭を撫でた。
目を閉じるとシュルシュルと糸が伸びて蜘蛛の巣が心臓を捕らえた。
「謝砂、謝家は他仙家とは違って妖魔を斬り邪を払うのではなく邪気を浴びた魂を修復することを道とし修める仙家。父上のような修復仙師を目指しなさい」
「母上、私は怖いのです。修錬をしても父上のようにはなれないかもと。この前の宴で顔を合わせた爛公子に剣術で負けました」
「爛公子と仲がいいのはいいことよ」
握りしめていた手には亀裂が塞がらない小石ぐらいの光霊石があった。
柔らかく暖かい手で謝砂の手を重ねた。
「従姉の幼い姜をお願いね。妹と同じでしょう。友の桃爛公子も側にいるでしょう」
「桃爛は他の師兄とは違って僕にまとわりついてきます。爛が苦手です」
「公子は一緒に謝砂と遊びたいのよ。謝砂が理理の真似ばかりするのと同じよ」
「違います。私は理理師姉の邪魔はしません」
「そんなに好きなのね。謝砂、理理が来たわよ。行って来たら?」
少女が笑顔で手を振っていた。
瞬きをするように場面が暗転して切り替わる。
部屋一面が黒い邪気に覆われているのに両手は真っ赤だった。
ビリビリとした霊力と邪気が渦を巻き雷を帯びた雲母のようだ。
何かの陣が敷かれた上で必死に抑えている。
小さな姜が台の上に寝かされている。姜の上に浮かぶ珠は魂だと分かった。
四方から霊力を注いで魂に刻まれたような呪詛の抜き亀裂を修復するのにすべての霊力が注がれ光っている。
「修復術の中でも魂の修復は修仙四人でも精一杯だ。謝砂は修めなくてもいいように弟に頼んである」
謝砂に笑いかけたのは宗主の玉令を腰に下げていた父だった。
黒い煙は姜の魂からでたあと呪詛の残した執念は父、母、叔父、叔母に術を跳ね返して生気を奪い相討ちし消滅した。
「謝砂、姜を頼んだよ」
パンと弾かれて自分の体に衝撃を受けて口から込みあがった血を噴き出してばたりと倒れる。
「目を開けてください! 母上!父上!」
気を失うようにぱっと真っ暗になった。
「聞いて! 謝砂、私好きな人が出来たの」
「理理師姉、相手は誰ですか? 爛だったら許しません」
二十歳ぐらいの大人びた今よりも若い理理の姿がこの屋敷の庭に生えている紅葉の木にもたれて立っていた。謝砂は読みかけた書を置いて立ち上がると理理の頬が赤く染まる。
「違うわよ。桃威殿よ。宴について行ったとき道に迷って案内してくれたの。桃家の桃園で話したけど誠実な人だった。宗主として娘の縁談を申し入れてくれないかな」
「桃威殿ですか? 師姉相手が悪いですね。桃家の宗主を継がない限り叔父君は名前も知らないですよ。納得させるには宗主になってもらうしか謝家が縁談を申し入れることは不可能です。宗主を理理師姉が継いでしまうと桃家には姜を叔父君は縁談を申し込みますよ」
「どこにも貰われなかったら謝砂に貰ってもらえばいいわね」
微笑まれて鼓動が高鳴り途切れる。
「謝砂、お願い。桃威殿に塵家から縁談の話が舞い込んだの。塵家が桃威を宗主に迎え入れるという高条件よ。断る必要はないのにあの人は断ったの」
「塵家ですか? 私にも縁談を申し込まれましたが叔父君が白紙にしました」
動揺しているのか理理が話している内容は聞えない。
「桃威殿と親しくしていると父上に知られても宗主は継げない。元々私が継ぐべき立場ではない。愛し合ってるのに叶わない夢となるぐらいなら家を出て謝家と二度と関わらない。桃威殿にも話したわ。わがままなのは分かってるけど桃威殿が好きで一緒になりたいの」
息ができなくなるぐらい心臓がぐっと締め付けらた。
「婚礼を挙げることができたのはすべて謝砂のおかげよ。ありがとう」
赤い婚礼衣装を纏った理理が目の前をくるっと回った。きれいに化粧をして金の髪飾りをいくつもして煌びやかに着飾っていても理理の花のような破顔の前にはくすんで映る。
「理理殿。綺麗だよ」
側にいても見れなかった表情に負けたような敗北感と手から零れていくような喪失感に貫かれて痛みで涙が勝手に溢れていた。
「この魂をすべて理理に捧げるよ。修復できないが呪詛を移せば魂に傷は残らない。ついでに友として爛にかけられた術も引き継いでやるよ先に行く詫びだと思ってくれ」
指の血で陣を書いていた。見える手や腕は青黒い掴まれた手跡のようなあざだらけで陣が光残像のように消えた。
謝砂は溢れてくる感情をそのまま受け止めて素直に泣いていた。
伝え終わったのか心臓の痛みは涙と共に消えた。
心臓の記憶が一気に頭に流れて情報に頭の処理ができないのかひどい頭痛で目が覚めた。
目が腫れている。
「二日酔いだ」
謝砂は腫れた目をうっすらとあけてフラフラと立ち上がり窓を開けた。
夜風は冷たく頬を撫で頭をすっきりとさせた。
謝砂は月が自分と爛を慰めているように思えて窓を開けたまま月明りを部屋に入れた。




