オリアーヌの意地悪な恋人
狭い馬車にヴィンセントの声が響く。
馬車が揺れるたびに、彼の髪も踊る。いつも意地悪だと感じる笑みが、優しく見えるのは気のせいだろうか。
そんな顔、ずるいわ。
「ずるいわ……」
「これくらい、私から言ってもいいだろう? オリアーヌ。ずっと、諦められなかった。婚約破棄したばかりで都合が良い男だと思ってくれても構わない。君が好きだ」
ヴィンセントは私の手を取ると、指先に口づける。そして、私の顔を覗き込んだ。まるでその顔は王子様だ。いや、彼はれっきとした王子様なのだからおかしくはない。
そうじゃなくて。もっと考えないといけないことはたくさんあるのに、何も考えられない。
「オリアーヌ、答えを聞きたい」
「こ、答えは分かっているじゃない」
「いや、分からない。忘れろと言ったのはオリアーヌだろ?」
にやりと笑う。
前言撤回。やっぱり彼は意地悪なままだったわ。意地の悪い笑みを見せたままのヴィンセントの顔は近い。
顔に熱が集まっていくのを感じる。
「い、言わないわ!」
「なぜ? 答えは決まっているんだろう?」
「意地悪ばかりするヴィンセントなんか嫌いよ!」
ふいと顔を背ければ、窓の外は見覚えのある風景だ。もうすぐ屋敷に着こうとしていた。
ヴィンセントはあからさまに大きなため息をつく。演技じみている。何か悪いことを考えている証拠だ。
「そうか。ならば、仕方ない」
「な、なによ……」
「君の気持ちを聞かせてもらえるまで、根気強く口説こう。まずは君の両親の前で。あとは母上のお茶会のときと、舞踏会。あとは――……」
「分かった! 分かったわ! 言うから、人前でそんなことしないで!」
ヴィンセントはやると言ったらやるし、俳優顔負けの台詞をつらつらと言ってくれることは間違いない。注目されるのはヴィンセントだけではないのだ。
「君の気持ちがすぐに聞けるなんて、嬉しいよ」
「どの口が言うのよ……」
「無理にとは言わない。機会はいくらでもある。ほら、ちょうど屋敷にも着きそうだし、侯爵の前なら言いたくもなるかもしれないな?」
「大丈夫! 今言います。今、言わせてください」
昨日の今日でお父様とお母様の前で口説かれたら、大変なことになる。タイミングはとても大事なのよ。
息を吸い込む。五歳のときにはハインツと婚約していたから、告白らしい告白はしたことがない。もちろん、告白をされたのもこれが初めてだ。そんなにジッと見られたら恥ずかしいし、逃げたしたくなるわ。
でも、これは馬鹿な私に神様がくれた最後のチャンス。
「好き、好きよ。隣国の王女様と結婚すると思ったとき、すごく辛かった。私、昨日婚約破棄された傷物でしょう? 王太子には釣り合わないかもしれないけど……一緒にいたい」
「君をこれ以上傷つけやしない。結婚してくれる?」
「もちろんよ。でも……お父様や陛下がなんというか……」
「それなら任せてくれ。そういう説得は得意分野だ」
「それは分かる気がする。いいわ。後ろ指さされてもあなたの隣に立って見せる」
「それでこそ、私が好きになったオリアーヌだ」
ヴィンセントの微笑みが甘くとけたのが分かった。意地悪を言うときの笑みとは違う。その顔には耐性がついていないから、心臓に悪い。まだ蜂蜜を瓶ごと舐めたほうが甘くないわ。それくらいとろとろなのだ。
彼は私の頬を撫でると顎をくいっと持ち上げる。綺麗な顔がゆっくり近づいてきて、慌てて両手で彼の顔を押さえた。
「だ、だめよ」
「……なぜ?」
「ここではいや。初めての口づけはうんとロマンチックな場所と決めているの」
馬車の中はちょっとね。薔薇が咲き乱れる庭園とか、街が見下ろせる丘とか! いろいろあるじゃない!
「初めて? ハインツとは? ソフィアのときには?」
「手……くらいは繋いだわ」
「……なるほど」
「どうしたの?」
「いや、予想が外れて困惑している」
ヴィンセントは私から離れて、ブツブツと一人で考えごとを始めてしまった。その内に馬車は止まる。屋敷についたのだ。すぐに御者が扉を開けに来るだろう。
私は無防備なヴィンセントの頬に唇を押しつけた。
彼は目を瞬かせるばかり。良い反応だわ。やり返せた気分。頬を何度も触って確かめるヴィンセントは少しかわいく見えた。
「ねえ、ヴィンセント」
「ん?」
「このあと、時間ある? お父様とお母様に謝るとき、ついてきてくれない?」
今日は二人が起きる前にこっそり出て来た。きっと、怒っているに違いない。
ヴィンセントが一緒なら、怒鳴られることはないだろう。左頬は昨日ハインツにぶたれたせいで真っ赤だけど、右頬までは犠牲にしたくないわ。
「仕方ない。言い訳は?」
「全然! 無計画よ! 交渉ごとは得意なんでしょう?」
腕を絡め上目遣いで見上げれば、ヴィンセントは「仕方ない」と笑った。
「そのかわり、もう一度」
「な、なに?」
彼は自身の頬を指差す。それは頬にもう一度口付けろと言っているのは明らかで、私の顔は一瞬にして茹で上がる。
「うまくいったらご褒美が欲しい」
耳元で囁かれた言葉に、熱は冷めない。馬車の中からなかなか出られなかったせいで、すぐに家族にヴィンセントとのことがばれてしまったのは、また別の話だ。
fin
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!
プライベートのほうが忙しく、感想への返信をする暇がないため感想欄はとじております。が、読了ツイートやレビューなどは嬉しいです♡
こっそり読ませていただきます。
後日談を書きたいなと思っています。
オリアーヌとヴィンセントの甘くてちょっと意地悪なその後が気になる方は、ブクマをしてゆっくりお待ちいただければと思います〜!
最後に、完結祝いに広告の下にある☆☆☆☆☆に色を塗っていただけますと、次回作や後日談の執筆への活力になります。
また、別作品でお会いできますように。




