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はじめての口づけは

 私には口づけの経験がない。まさか、初めての口づけは別人として経験することに――……なるわけないわよ。

 

 ハインツの鼻先が当たる前に、あたしは両手で彼の唇を押さえる。

 

「あたし、初めての口づけは結婚式って決めているんです」

「そ、そうか……」

 

 ハインツの虚を衝かれた顔。ヴィンセントやニーナにも見せてあげたかった。にっこり笑って見せると、彼はどうにかぎこちない笑顔を返してくれる。そんな顔になるのも仕方ないわよね。いい雰囲気だったんだもの。

 

 ちらりと扉を確認すると、もう三人の令嬢たちはいなかった。どこまで見たのかは分からない。でも、今ごろ地団駄を踏んでいることだろう。

 

 早く一人にならなくちゃ! これくらい煽ったら、水をかけるくらいでは済まされないだろう。

 

 これからいじめられるというのにワクワクしているなんて、あたしの頭はおかしくなっているのかもしれない。

 

「社交は大変で、一日に何人もの人と挨拶をしないと聞いたことがあります。ハインツ様もですよね? あたし、一人で時間を潰すのでご挨拶にいってきてください」

 

 ここに来てから、ハインツは一度もあたしの元を離れていない。なんならほとんど挨拶もしていなかった。一人にならないと三人の令嬢たちはあたしをいじめることができないだろう。

 

 笑顔で追い出す……のではなく、送り出そうとしたとき扉が開いた。まさか、ハインツがいるのにあの三人があたしをいじめに……? 淡い期待を抱いたけれど、現れた影は一人分で、しかもすらりと長い。

 

「ハインツが挨拶に行く前に二人と話をしたいと言ったら時間を作ってくれるだろうか?」

 

 漆黒の髪が揺れる。

 

「ヴィンセント……王太子殿下」

 

 いけない。驚きのあまりソフィアであることを忘れるところだった。

 

「ヴィンセント、なぜここに?」

 

 あたしの疑問をハインツが代わりに問う。こんな中規模な夜会にヴィンセントが来るなんて。もしかして、お目当ての令嬢が参加しているとか?

 

「気になることがあってね。今日は夜会だと屋敷の者に聞いた。ああ、ソフィア嬢……だったか。畏まる必要なない。ここは非公式の場所だから」

「気になること? 明日でも良かっただろう?」

「君たち二人を捕まえるのは至難の業だからね。野暮だと言われても今日は引けない」

 

 ヴィンセントのまとう雰囲気がいつもと違う。いつも意地悪ではあったけど、冷たくはなかった。人前に出るときでもここまで神経をとがらせてはいなかったし。もしかして、怒っている……の? でも、何に?

 

 ハインツはあたしの肩を抱き寄せた。ヴィンセントが「君たち二人を」と言ったからだろうか。もしくはヴィンセントの苛立ちを肌で感じたのだろうか。鈍感なハインツでも気づけるほどヴィンセントは怒っているのね。

 

「折角夜会に来たんだ。あまり彼女を煩わせたくない。手短に頼む」

 

 ハインツもヴィンセントに敵意をむき出しにしている。ここがバルコニーで良かったと言ってもいいだろう。美男子二人に囲まれているこの状況。しかも、二人はにらみ合っている。どう見ても「私のために争わないで!」と叫ぶタイミングだわ。

 

 叫んだら場の空気を壊すこと間違いなし。

 

 それにしても、ヴィンセントは何を苛立っているのかしら?

 

「君たちの噂が広がっているのは知っているだろう?」

「それは小耳にはさんではいるが、おまえには関係ないことだろう?」

「関係あるさ。従兄弟と幼馴染みが関わっている。ハインツ、今のおまえの行動はオリアーヌに対して失礼だ」

 

 え? 私?

 

「身分で人を見下し、頬を叩く女に敬意を払えと?」

 

 ハインツは大きなため息を零し、あたしの頬を撫でた。昨日ニーナにつけてもらったらあとはとても役に立っているようだわ。ヴィンセントはあたしの頬をまじまじと見ると、眉根を寄せる。

 

「本当にこれをオリアーヌが?」

「ああ、本当だ。ソフィア、そうだろう?」

 

 ハインツに話を振られて、慌てて頷いた。この仮面の良いところは、顔が全くの別人に変えられることだけれど、目の色と声色は変えられない。

 

 ハインツは脳天気に別人だと信じているけれど、ヴィンセントは別だ。野生並みの鋭さを舐めてはいけない。しゃべりすぎは自分の首を絞めるに違いないわ。

 

「実際見た人間はいないと聞いた。オリアーヌがこんな真似するはずがない」

「ソフィアの頬が何よりの証拠だ」

 

 あたしは呆然と二人の言い合いに耳を傾ける。証拠もないのに私を信じるヴィンセントと、頬の腫れを見たときから私を疑い続けたハインツ。どちらが婚約者なのか分からない。

 

 いつも意地悪ばかりのくせに、こんな風に優しくされると次から文句を言うに言えないわ。今だって本当はそんな風にフォローしてもらう必要ないのよ。だけど、嬉しいとすら感じている。

 

「結婚をする気もないのに、他の女性に手を出すのはよせ。誰も幸せになれない」

「ヴィンセント!」

 

 ハインツは声を荒げた。ヴィンセントよりも苛立っているように感じる。怒りを抑えるようにゆっくりと息を吐き出すと、あたしのほうを向き笑顔を見せる。

 

「ソフィア、少しヴィンセントと二人で話したいから、少し側を離れるよ」

 

 ソフィアには聞かせたくない話をしたいと、そういうことね。私の目的は、婚約を破棄すること。それ以上でもそれ以下でもない。今回のヴィンセントとの話が彼の中で「この婚約は面倒だ」と思わせてくれればいいけれど。

 

 あたしは小さく頷く。

 

「はい。適当に時間を潰しているので、焦らずにお話ししてくださいね」

 

 そうでないと三人の令嬢からいじめを受けられない。煽りに煽ったのだ。今日発散してもらいたいもの。

 

「わかった。でも、危ないから絶対に知らない人にはついていっては駄目だ。いいね?」

「ええ、もちろん。あたしだってもう立派なレディなんですから!」

 

 知っている人には着いて行っても良いわよね? いじめられちゃうかもしれないけど。

 

 私がヴィンセントに会釈すると、ハインツはヴィンセントを連れてバルコニーを出た。あの様子なら、ヴィンセントはハインツとの話を終えれば、帰って行くだろう。

 

「さて……と」

 

 どこが良いかしら? いじめやすいところがいいわ。あまり人が来ないところよね? 廊下に出ていたら声をかけてくれるかしら? とりあえず――……

 

「ちょっと良いかしら?」

 


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