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オリアーヌの罠一つ

 ハインツの笑顔はパンケーキに落とした蜂蜜のようにとろけていく。三人とも見ているかしら? これがあなたたちの大好きなハインツのとろけ顔よ。遠くからしかと見なさい。

 

「ああ、もちろん。何度でも」

「嬉しい!」

 

 ハインツのエスコートでダンスホールまで行く。そのあいだも仲良しアピールは忘れない。仲良しをアピールするために耳元で話かける。遠くから見ていたら内緒話みたいでしょう? ただ、「さっきのケーキおいしかった」って言っただけなのよ。

 

 本当に美味しかったので仕方ないわね。視界の端では三人の令嬢がイライラしているのが分かる。

 

 今日はハインツの足はたくさん踏まないであげた。恋人同士の甘いひとときを演出するには不要だったからだ。さすがに全く踏まないと別人のようなので、数回は思いっきり踏んだりもしたけど。

 

「前よりもうまくなったね」

 

 ハインツが微笑む。

 

「ときどき夜会に参加して練習していたんです」

 

 ダンスは一人ではうまくなれない。ソフィアが練習するとしたら、夜会に参加するしかいないのだ。しかし、ハインツはあからさまに嫌な顔をした。

 

「どうせなら、私が教えてあげたかった」

「ハインツ様は忙しいでしょう?」

「ソフィアにダンスを教える時間くらいならいくらでもつくれるよ」

 

 婚約者と会う時間はないのに? 案外、公爵家の一人息子って暇なのね。

 

「じゃあ……。今度教えてください」

 

 練習中にたくさん足を踏んであげる。あたしの心など知らないハインツは満足そうに頷いた。

 

「楽しみだ」


 ハインツの足を踏んだり踏まなかったりしながら、三曲ほど踊った。普通はパートナーを変えながら踊るんだけど、ハインツが手を離さなかったし、ソフィアをダンスに誘いたい男なんていない。そんなことをすればハインツに目をつけられる可能性もあるし、いい噂が立つことはないからだ。

 

 ハインツに誘ってもらいたい令嬢は熱い視線を送っていたけど、彼はソフィア以外には興味を示さなかった。これが婚約者なら「あらあら、仲がよろしいのね」で笑って終わらせられただろう。しかし、相手はどこの馬の骨とも分からない男爵家の娘。ポッと出の女である。

 

 ソフィアには蔑んだような視線が常に送られている。

 

 でも、あたしは気づかないふりをし続けた。鈍感力って大切よね。

 

 三曲目の終わりごろ、あたしは思いっきりハインツの足を踏む。

 

「ごめんなさい! たくさん踊ったら疲れちゃって……」

 

 言い訳に納得したのか、ハインツは「大丈夫」と頭を横に振った。

 

「これで休憩しよう」

「はい。ちょっと暑くて……。外に出ませんか?」

「そうだね」

 

 恋人に優しいハインツは、器用にバルコニーの側まで誘導し、四曲目が始まる前にあたしの手を取りバルコニーへと出たのだ。

 

 きっと、三人の令嬢はあたしたちの背中を見てやきもきしているだろう。のぞきにくるかしら? そこまではしない?

 

「気持ちいい風ですね」

 

 優しい風がダンスで上がった体温を奪っていく。汗が引いていくのが分かる。あたしはハインツの手を離れ、バルコニーの手すりに身体を預けた。

 

 このバルコニーは庭に面していて、昼間ならとても見晴らしがいいのだろう。今は真っ暗で何も見えない。

 

 室内の明かりでハインツの甘くとろけた顔はよく見えるけど。

 

 彼の顔はもっと、人形のように表情がないと思っていた。オリアーヌには見せない表情。一生見るはずのない表情を見せてもらえたのには感謝しなきゃ。もしも、知らなかったら私はこの男と結婚していただろうから。

 

「たくさん足を踏んじゃってごめんなさい。痛くありませんか?」

「いや、最初の頃よりも随分うまくなったよ。私は大丈夫。次の夜会までにたくさん練習をしよう」

「嬉しい。家はあまり裕福じゃなかったから、たくさんは練習できなかったから」

 

 ハインツの手を取ると、くるりと回って見せる。恋人たちの戯れ。些細なことでも幸せに感じると本には書いてあった。それが正解であると言うように、彼の顔はゆるゆるだ。

 

 キィと小さな音を立てて扉がわずかに開く。扉に背を向けているハインツは気づいていないようだったけど、あたしにはすぐにわかった。三人の令嬢があたしたちの様子をうかがっているのが。

 

 恋人たちの逢瀬をのぞき見だなんて悪趣味だわ。でも、今はその趣味が役に立つ。

 

「ハインツ様は夜会であたしばかりかまって大丈夫なんですか? ハインツ様とダンスしたい人はたくさんいるでしょ?」

「酷いなソフィアは。私が他の女の手を取ってもいいんだ?」

「そういうわけじゃないわ。でも……」

「でも?」

「ずっと一緒だと、ハインツ様がずっと側にいるって勘違いしそう」

「勘違いじゃない。私はソフィアのものだ」

 

 甘い囁き、聞こえているかしら? さすがに視線をハインツからそらすと彼女たちの存在がバレてしまうので、確認はできない。悔しそうな顔をとりあえず拝みたかったけど我慢よね。

 

「本当……?」

 

 瞳を潤ませて、ハインツを見上げる。

 

「もちろん」

 

 彼はそう言うと、私の頬をそっと撫で、親指で唇を優しくなぞった。彼の顔がゆっくりと近づく。

 


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