プロローグ07 外に出る、その時。
私は、学園生の中では進路が珍しいのです。一番ありがちな進路は、姉妹校へいくことです。外国にあり、学園と同じく寮があり、授業は英語とフランス語で行われます。学園で大好きだったお姉さまのお手紙によると、豪華すぎて気後れがするような場所のようです。
「勤勉、従順、清貧」の学園ですから、シンプルで実用的なのが当たり前なのですが、姉妹校の方は、「優雅、洗練、栄光」とこうなるらしく、全く違う世界を見ることになるようです。学園では、食堂とサロンは装飾が多く、家具も違いますが、つまりそのサロンと食堂を全体的に広げたような感じになるとお姉さまはお手紙に書いていらっしゃいました。
学園で質素な生活に慣れた子羊たちが、突然きらびやかなところへ連れ込まれたら、それは居心地が悪そうですが、そこでいろいろと慣れるようにお勉強をして、そのまま外へ出て結婚という進路の方もいらっしゃるので、外へ出るときの練習をする場所になっているのでしょうね。
ただ、学園が長いと、姉妹校にもなかなかなじめないようで、結局在俗信徒会に入ったり、修道院に入ったり。ご自宅でそういうきらびやかな生活を当たり前に経験する、長期休みに家に戻る学園出身者はともかく、お休みの日もずっと学園にいた私たちみたいなタイプが一番、そうなりやすいという話だそうです。
確かに…。私は姉妹校へ行くことを拒み、学園長先生と長いお話をたくさんして、弁護士さんに学校までご足労いただいて、系列の修道会からこういうことの対応を専門になさっている神父様もお呼びして、外の学校に入りたいという希望を通しました。私は、黒い子羊です。どうしても、外で暮らしてみたかったのです。
つらい道かもしれませんよ、と学園長先生がおっしゃっても、私は意思を曲げませんでした。姉妹校へお支払いするはずのお金を、外の学校に払う話にも、学園長は何もおっしゃいませんでした。生活費がどうなるかという話や(これは外の学校の学費がとても安かったので差額がかなり使えました)困ったときにはどうするかというようなことのお話し合いの長かったこと。
結局、学校は外の学校の中でも、系統的には近い修道会がかかわりのある大学に、推薦で入れていただけることになりました。ここでの勉強のお点がよかったことに加え、外部テストというものを特別にここで受けさせていただけることになり、その点も加味したということでした。
「ニーナは、いつもそうでしたね、自分の意思をはっきり持ち、通すことを大事にしていました」…と言われたときはちょっと顔が赤くなりました。
そうおっしゃられると、とてもいいことのように聞こえますが、何度も何度も、シスターにお話をいただいたり、考え直しをしなくてはならず、大体不満があるのが自分だけということになっているのかそれともそうではないのか、といったようなことに得心がいかず、自分の部屋よりも、もっと小さい黙想室でどれだけ泣きながら時間をすごしたことでしょう。
教室に入れず、一日その部屋で勉強してから、シスターや先生とお話をして、柔らかい心で、受け容れることの大切さをどれだけ説かれたか、強情を張るという言葉は、先生はお使いになりませんでしたが、自分でもわかっています。黒い羊と言われるだけのことはあって、どんなに白い羊毛と混ぜても、目立ってしまうようなこの黒い異なりを私がずっと背負っていかなくてはならない、そのためにも。大勢の人が、違いを受容して過ごしているのだという「外」を、一度見てみたかったのです。
本当に強情で、恩知らずと思われても仕方のないことです。3つの頃からお世話になった学園を飛び出すのですから。困ったことになったら、在俗信徒会を頼りなさい、修道会も力になれますよとおっしゃってくださったときは、やめます、外に出ずに、他のみなさまと一緒に上の学校へ上がりますと言いたくなってしまったぐらいです。
***
学園長先生は、おそろいの聖書を私にもくださいました。
本当は卒業前に、修道院の部屋でいただくはずだった聖書は、豪華な装丁です。
他の生徒とここを出る時期が違う私は、学園長先生のお部屋でこれをいただきました。
毎日机に飾っておきたいような、美しいものですが、金色の帯が、本の表紙の仕掛けを押すと、外れるようになっています。そこにはお金が入っているのです。外国の姉妹校に行く生徒たちには、この国のとは違うお札が入るそうですが、私はこの国にとどまりますから、ここのものです。
どこへ行くにも、聖書なら持っていけます。こういうものを荷物に入れさせない人はほとんどいません。宗教は個人的なもので、たとえ非常時にも、聖書であれば携帯できることが多いのです。閉じ込められたり、誘拐されたり、知っている人が全くいない所にいくこともあるでしょう。そういう非常時というものは、なければないにこしたことはありませんが、女性の身には、いろいろなことが起こる可能性があるものなのだそうです。
その時に、これを手許に置き、教会の助けを借りることが出来るのです。この装丁の聖書を持っているということはそういうことです。世界に散らばるすべての教会の人たちが、これを見たら、学園に連絡を取ってくださるということです。きっと危機を脱する手助けをしてくださるでしょう。最後の砦として、私たちの後ろに、しっかりと創生神様が、そして愛し子である救世主様が、麗しい聖母様がいてくださるのだ学園長先生がおっしゃいました。心強いのです。
俗世の武器であるお金をここに持ち、聖なる御言葉による心の救いである聖書を大切にして、教会を頼りにし、身を立てる創生神につながる姉妹たちの帰る場所として、学園はあるのですよと、おっしゃって。外国に行くときは、入れ替えてお行きなさいね、と注意をくださった先生のお顔が、おやさしくて。
「ニーナの泣き虫は、なおりませんね」
そうおっしゃった先生のお顔は、まだ覚えています。大好きな御絵の、聖母様に面差しが似て、ここに、私を見てくださっている方がいるのだと思えました。
きっと、今までに外へ出た姉妹たちと同じように、立派に、ひとり立ちいたします…と思った日から、それほどの年月は経っていないのですが、先生、私は時々あの懐かしい学園の小さな部屋へ、とても帰りたくなるのです。
黒い羊は、今、一生懸命歩いています。創生神様、麗しの聖母様、愛し子でいらっしゃる救い主様、お導きください。
ああ、でも、本当に、泣き虫のニーナが学園にいたときは、外がこんなに…こんなに大きいなんて、知らなかったのです。




