プロローグ02 学園とは
母体が修道院であるこの学園は、下は3歳から、上は18歳までが一緒に暮らす場所です。18歳からあとは姉妹校へ移ることになっています。
修道院というのは基本理念が「勤勉、従順、清貧」のような場所であることが多いです。豪華絢爛、酒池肉林なんていう修道院はない(はず)です。
上品で清楚で貞操観念はあくまで古風、小さな淑女たるべく…とまあこのあたりは俗世にお住まいであるみなさんが、「寄宿学校」というものに想像なさるものとあまり差はないと思います。
お祈りと、規則正しい生活と、当たり前すぎてあまり意識されない規則が美しいモザイクのようにはめこまれていて、幾何学的に構築されているというとちょっと美辞麗句にすぎるでしょうが、そういう施設です。途中入園をするとしたらかなりの「わけあり」で、例えば家族が全員大規模災害で…というような経歴の子は記憶にある限りではひとり。あとは確か外国に行っていたので学年の「きり」が違って8歳で新入園となった人が何学年か上にあったというのは何となく知っていましたが、その程度でしょうか。
4歳から6歳の間に入園して、ほとんどの子が小さいため、うまく環境に適応します。あんまりひどくなじめなかった生徒はいなかった気が…いえ、もしかしたらそういうこともあるのかもしれません。あくまで推測ですが、あまりひどく学園の生活になじめなくなった場合は、気が付いたらその生徒は退学になっていたりすることもありそうです。長期休みに家に帰った後、帰ってこなくなる生徒が時々ありました。「おうちの都合で転校された」としか教えられませんが、何人かそういう話が在園中に確かにありました。
あの何人かのうち、どのぐらいが本当に「おうちの都合」だったのかはわかりません。今思い返すと確かに規則をよく破るような子が多かったイメージがあるので、今ならあれはつまり退学だったのかもしれませんね。
私がそうはならなかったのは多分どこかで「ここを出たら行くところがない」ということを知っていたからでしょう。学園を出て行った生徒たちをうらやましいと思ったことはなかったですが、規則を破ると学園を追い出されるという噂に、やってみたいような気分になった私はやはり悪に向かって引き寄せられる罪深さを持っているのだと思います。
ちなみに追い出されるほどではないにしろ、規則を破るとどうなるかですが、15年も学園にいれば都合何度かはそうなるもので、それぞれシスターか、学園長先生か、神父様(のことは少ないですが)にお話という名前のお説教をいただくことになり、そこで年齢が小さければおやつがもらえなくなるとか、休み時間に外に出て遊べなくなるとか、もう少し年齢が大きければベッドタイムが早くなるとか、お勉強の課題が出るとか、聖書を写して書くとかというような罰をもらうことになります。
その上で小学生から上なら大概はお御堂で「神様に赦していただけるようにお祈りをなさい」ということになるので、ご像の前でしょんぼりとお祈りの本を開くことになります。
年齢があんまり大きくないとシスターが付き添ってくださるので、その場合はひざまずいて、決まった通りにお祈りを唱えます。まあ…そんなに自分が悪い子になるつもりはなくとも、そのうちにそらで言えるぐらいにはなってしまいます。
お御堂の入り口まで付き添ってくださったシスターが踵を返して戻ってお行きになったのを初めて見送った時には、自分の責任は、自分で取らなくてはならないのだということを感じて立ち尽くしました。それが多分10歳ぐらいでしょうか。
親と一緒に暮らしていれば、もっと年齢が上でも両親が被害の出たところに頭を下げて回ってくださるのだという話を聞いたときはおどろきました。そのぐらいの年齢になるまで伴走してくれる人がいるということは、どんなに心強いことでしょう。それがどんなにありがたいお恵みかということを意識しなくてもいいのが、外での当たり前の生活なのですね。
それに比べると学園では自分の担当をしてくれるシスターは、いつも同じではありません。多分意図的にそうなっているのでしょうが、修道院中のシスターが全員がローテーションになっていて、なおかつ修道院のシスターも勉強を教える先生のシスターはともかくも、寮にいるシスターたちは同じ修道会の中でいろいろな修道院をめぐっていらっしゃるらしく、何年もずっといらっしゃるのは学園長先生だけ。あとは15年の間に知っている先生やシスターが出たり入ったり…という感じでした。
ティーンになってから、私が幼児だった時のシスターが戻っていらっしゃったなんていうことも起きます。まあ、なんて大きくなって、と涙ぐんで喜んでくださったりするので愛情は確かにあったと思います。一人だけに注がれるものではありませんでしたが、みんなで共有するものとして。きっと姉妹が20人もあるとしたらこんな感じでしょうか。どんな種類の愛情でも、それでなんとか子どもは育つことが出来て。それでも…。
自分に欠けたものがあるような気分はどうしても拭い切れませんでした。




