はじめてのときめき
パシャ、パシャ、と海の波が弾ける音がする。
俺は、一人船室に取り残されていた。
「……諦めるんじゃないぞ、俺。どこか逃げる場所が……」
そう呟きながら、俺は丸い窓を使って、偵察することにした。おそるおそる、外を覗く。
「こっちは海……こっちは隣の船か。……あった!桟橋!げっ、でも見張りがいやがるな」
俺は、窓を覗きながら、逃げる算段を企てた。
「陸に逃げられるルートは2人の見張りがいやがる。隣の船の乗組員に合図して助けて貰うって手段もあるが……海賊の船から逃げる女ってことは、あんまり関わりたくないだろうし、無視されるだろうな。となると、残りは……」
俺は戦慄した。残る手段は、海しかない。
俺だって、カナヅチではない。週に一回、ジムに通って、肉体を仕上げているのだ。スイミングというのは、効率的に体を締められる全身運動だ。
だが、今の俺はオリヴィエの体なのだ。少女の細い肢体では、とてもじゃないが海に飛び込んで泳いで逃げる、なんてことはできそうもない。
できそうもないが――やるしかないのだ。
俺は、心を決めて、海へと続くルートの扉を開けた。
海は凪いでいて、ちょうど太陽の光が海面まで沈み、一本のオレンジ色の光を海の上に描いていた。
俺は、船首まで進み出る。両手を胸の前で組み、これっぽっちも信じていなかった「神様」に願った。
これしかないんです。助けてください。
俺は、船首につかまりながら、できるだけ足を伸ばして水面に近づけ、そして、手を放した。
――ざぶん。
そんな音と共に、俺は海に放り出された。
なんとか、泳ごうとしたが、俺は、小学校の体育の授業を思い出していた。
……「今日は、着衣泳をやります!どう?服が重くて泳げないでしょ?緊急時には、服を脱いでから泳ぐようにしましょうね」
……思い出すの遅せーよ!!
俺は、自然に沈みそうになる体をなんとか上に持ち上げた。しかし、鼻や口から海水がどんどん浸入してくる。
水死エンドとかあるのかよ!そんなエグいルートがあってたまるか!!
あれだろ?ゲーム上では「汚されてしまったオリヴィエは、海に飛び込んで死んでしまいました」で終わりだろ?そういうあっさり死ぬんじゃねーから!マジで苦しいんだから!
――そのときだった。
「馬鹿!!」
そう声がしたかと思うと、ざぶん、と俺の横辺りに何かが飛び込んできた。
そのまま、俺を抱きかかえて、船の方へと運んでいく。
「ぷはっ!」
俺は、今まで生きてきた中で一番美味い空気を吸うことができた。
飛び込んできた男と一緒に、ごほごほと咳をし、俺は海水を吐き出す。鼻にツーンとした刺激が通った。
「……ばっか野郎!何も死ぬことねーだろが!!」
そう言って、こっちに向き直ったのは、あのグランドだった。この海賊船のキャプテンだ。
そして、俺の出会った、2人目の攻略対象でもある。
「……ごほっ、死のうとなんて、思ってねーよ」
俺は、「全部お前のせいだろ!!」と思っていたので、ムッとした口調で言った。
「じゃあ、泳いで逃げようとしたとでも言うのかよ?そんなん無理だって、ガキでもわかるぜ!」
グランドがそう言うので、俺は、「ガキでもわかることがわからなかったのか……」と、俺自身の脳みそを軽く疑った。
「……なあ、オリヴィエ様。お嬢様。あいつらにむちゃくちゃされて、世をはかなむのもわかるがな。生きろよ。どんなことしても生きろ。俺たち海賊は生きるために、そうしてきたんだ」
そう熱く言われたが、俺はそもそも生きるつもりで動いたのだ。……まあ、その判断が、間違っていたわけだが。それに、少しの違和感を覚えた。
「なあ、グランド。あいつらの言う『味見』って意味わかるか?」
そう聞くと、グランドはきょとんとして、
「あれだろ……米俵を背負わせるとか、筋トレさせるとかだろ?」
と言った。……俺は、何度目かの「こいつマジか」と思った。
「そもそも、俺を借金のカタにして、何をさせるつもりだったんだよ?」
そう聞くとグランドは、
「何って、建築現場でのアルバイトだ。あれって結構良い金になるんだぜ?」
と言った。
「じゃあ、俺って、無駄におっぱい揉まれてちんちん擦りつけられたってことかよ!!」
そう俺が叫ぶと、グランドは
「お、おっぱい!?それは……それは、未成年淫行だろ?それに、そういうエッチなことは、結婚するまでしちゃいけないって神様が……」
と、おろおろし始めた。ホントに、マジなのか、こいつ。
「……あ」
そこで俺は、グランドの前で女の子らしい言葉遣いではなく、元の俺の言葉遣いで喋っていたことに気がついた。
「……ごめんなさい。つい乱暴な言葉遣いを……」
そう俺が謝罪すると、グランドは、
「いや、構わない。すっげー意地悪で高飛車なお嬢様って聞いてたが、なんだ、わりとフランクなところあるんだな」
と、笑みを見せた。
……どきんと、俺は心臓が高鳴るのを感じた。
なんだこれ!?俺、グランドの笑顔が、「かわいい」って思っちまった!いやいや、吊り橋効果、吊り橋効果!
ちなみに、「吊り橋効果」とは、メンタリズム用語で「吊り橋を渡らせた男女は、吊り橋が危険なドキドキを、恋のドキドキだと勘違いする、という現象のことだ。
――そこで、桟橋の辺りがざわざわし始めた。
「何だ?」
グランドがそう言うと、桟橋の見張り番が倒されている。
「グランド!見張りが倒れてる!」
俺がそう言うと、グランドは「ちっ」と舌を鳴らし、俺を自分の背中にぴったりとくっつけさせた。
「背中から離れるな!」
そう、グランドが言うので、俺はこくんとうなずく。
するとやがて、ぞろぞろと背後に大勢の男達を連れた一人の男がやってきた。
俺は、はっとする。その先頭の男こそ、キラキラをまとった「攻略対象」だったからだ。
「グランドォ!お前ら、女の子を連れて行ったって本当みたいだな!」
そういう先頭の男は、栗色の髪を短く切った、ハシバミ色の目をした、若い男だった――。




