キラ。
――その夜。
俺は、天使に出会った。
「おやすみなさいませ、オリヴィエ様」
そう、執事とメイドに告げられ、俺は仕方なく眠ることにした。
……だが、いくら照明を落として目を閉じていても、眠気は全くやってこない。
ホストやキャバ嬢は夜型だと言ったが、その習慣はまだ有効のようだ。まあ、俺は、ホストを辞めるか、他の店に飛ぼうとは思っていたのだが。
「……相談……してえな……」
枕元の、唯一の現代日本への繋がりである、スマホを見ながらつぶやく。桃は、このゲームの中の世界を知っている。それに、俺には憧れ続けたうちの店のナンバーワンホストもいるのだ。
その人は、眠そうな二重の目と、金髪のウルフカットに肩まで付く髪といった特徴を持った、実に温厚で人間的に器のでかい人なのだ。
俺は、この人に出会って、自分がナンバーワンになることを即座に諦めたくらいだ。
「武くん、ちょっとお休み取ったら?疲れてるでしょ?」
その人――ロウさんは、俺の枕営業バレをした際に、気遣わしげに俺の顔をのぞき込みながら、ぽんぽんと肩を叩いてくれた。もう、ロウさんが「ムラムラしたから抱かせて」と言ったら、俺は喜んで尻を貸すくらいに感動した。
桃や、ロウさんと話したい。しかし、今はホストもキャバ嬢も仕事の真っ最中なのだ。今、俺が繋がれる人は、誰もいない。
目を閉じると、嫌な感覚が襲ってきた。俺の、ガキの頃からよく感じていたもので、夜になると酷く落ち込み、悲しくなるのだ。
誰かに側にいて欲しい。たまらなく寂しい。夜なんか嫌いだ。
夜も皓々と明かりが付いた、賑やかなホストクラブ。眠らない街。そういうものに惹かれたのは、この静かな暗闇が何よりも大嫌いだったからだ。
ふと、気がつくと、音が聞こえた。
それは、人の声のようであったが、ひどくか細く、下手をすると夜の闇にかき消されるほどの音だ。
……いや。これは歌だ。
俺は、眠れない夜を振り払うために、その歌声の聞こえる場所を探すことにした。
よくよく部屋を見回すと、天井の一部が不自然に出っ張っている。しかし、今の俺の体では、ぴょんぴょん跳ねても全く届きはしない。
仕方なく、俺は何か使える物はないか調べてみた。すると、部屋に入った時は絶対になかったはずの、脚立が目に入る。俺は、都合の良い展開は気にすることなく、その脚立を使って、天井の出っ張りに手をかけた。
出っ張りは、下に引くと、あっさりと外れるようになっていた。その穴からは、はしごが下ろせるようにできていた。
そこからは、ほの明るい、人間のいる気配が漂っている。
俺の他にも起きている人間がいる。それは、俺にとってなによりもの癒やしであった。
「え……誰……?」
そんな声が聞こえたが、俺は構わず脚立から天井から生えたはしごを登った。
――そこにいたのは、美少女だった。
ぺたんと足を崩して座っており、栗色の肩まである髪を、雑にまとめてくくっている。
身なりも、俺とは大違いで、つぎはぎの付いた粗末なワンピース状の服を着ている。
目は大きく、ブルーの澄んだ色は外国人のようだ。
ほっそりとした肢体も、小さな顔も、実にバランスの取れた体だ。
しかし、居場所が少々良くない。俺はムッとした。こんな美少女が、屋根裏にいるのだ。
俺があんなに広い部屋に一人でいるのに、この子は狭い屋根裏でネズミと共に生活しているようだった。
「オリヴィエ……様?あの、つい2日ほど前にお世話になることになった、キラです」
その美少女は、俺の姿を見ると、警戒をといてそう名乗った。
「キラ……あなた、歌は好きなの?」
俺は、できるだけ俺の今の姿に合いそうな口調を作って、そう聞いた。
「えっ……え、ええと、ごめんなさい、うるさくて。起こしてしまいましたか?」
「寝てなかったから大丈夫。ねえ、歌を歌って?」
「き、聞かせるほどのものでは……」
そこで、キラの腹から、キュルルルと可愛らしい音が聞こえた。キラは、「あ……」と声を出して、恥ずかしそうに腹を撫でる。
「もしかして、キラ、ご飯食べてないの?」
「い、いえ。頂きました。白いパンを2つも……あは。私って結構大食いなんですね」
キラは、そう言ったが、年頃の娘っていうのはパン2つで足りる物なのだろうか?少なくとも、俺の夕食に出たのは、シチューと、パンがバスケットに山盛りと、ミディアムレアのローストビーフだった。しかも、おかわりは自由で、俺が「もっと食べたい」と言えば調理場からすぐにおかわりが出てくる仕組みだった。
「待ってて」
俺はそう言うと、廊下を駆け抜け。階段を降り、位置を覚えたダイニングまで走った。
そこから調理場のドアをくぐると、タマネギの皮を剥いていたメイドが気づいて、「オリヴィエ様、何か……?」と聞いてきた。
「腹が減ったんだ。何かすぐに食べられるものが欲しい」
「はあ。しかし、オリヴィエ様はシチューを3皿もおかわりなさっていたではないですか?」
メイドが眉をひそめるので、俺は
「あ、あはは!成長期なんだよ、成長期!」
と誤魔化した。正直、シチューが美味すぎて3皿もおかわりしてしまったことは否めない。
「まあ、今すぐにとおっしゃっても、軽く炙ったパンにチーズをかけたものくらいしかお出しできませんが」
「うん、それで良い。早く出してくれ」
俺がそう言うと、メイドはどうにも腑に落ちなさそうな顔をしつつ、食事を準備してくれた。
「俺、自分の部屋で食うから!」
そう言い残すと、俺は来たときと同じく、風のように駆けて、部屋まで戻った。
はしごを登って、屋根裏に登る。
「お待たせ!こんなのしかなかったんだけど……」
そう言って、俺はチーズのかかったパンを差し出した。
「ご、ごめんなさい、私のせいでオリヴィエ様が自ら……」
そう、キラが言うので、俺はキラのしなやかな手を取り、
「そんなことない。それに、『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』の方が、私は、嬉しい」
と告げた。これも、ホストの手腕の一つだったが、キラはようやく微笑んでくれた。
――キラがパンを食べ終わると、俺は「ねえ」と声をかけた。
「女の子がこんな場所に住むなんて、やっぱり変だよ。私が父に言えば、きっと――」
「いえ……」
キラはそのとき、とても悲しそうな顔をした。
「……借金が、あるんです。とても大きい額が」
「……」
俺は、沈黙した。キャバ嬢含む水商売の女の中には、借金のある女は多数いる。買い物が止められないことが多く、あとは彼氏や旦那の借金を返していたり、事情は様々だ。
しかし、キラは、少なくともそういった借金ではなさそうだ。
「でも、私、夢があるんです。いつか、自分で万能薬を作って、病気の人たちを助けたいんです」
キラが言うと、俺は少々がっかりした。このタイプは、いわゆる「ビジネス詐欺」の被害者によくいる。俺は、今まで詐欺に引っかかった経験がないので、正直に言うと、キラを少し馬鹿にした目で見た。
「そう。で、借金はいくらなの?」
俺が聞くと、キラは
「3億です」
と答えた。
「キラ。その借金の他に、薬剤師を目指すなら、原料の仕入れやラボを作ったりもしなきゃいけないでしょ?そのお金はどうするの?」
俺が聞くと、キラは少ししょんぼりして
「……ラボは3億でなんとか用意できましたが、原料を買うほどのお金が……」
と小さな声で告げた。俺は、この女マジか、と思った。薬剤師やるなら材料費くらい残しとけよ、と、後先考えないキラをやはり、軽蔑してしまった。
「あっそ。頑張ってね。じゃあ、私はこれで」
キラから利益を引っ張れない以上、深入りするのはごめんだったので、俺はそう言って天井裏の抜け穴の縁に手をかけた。
「あ、あの、オリヴィエ様」
キラから声をかけられたので振り向くと、キラは胸の前で手を合わせ、
「では、また……」
と言った。
「またの機会に」というのは、遠回しな断りの合図だが、俺は「うん、またね」と返事をした。
少々頭が悪いとはいえ、キラは美少女だし、仲良くなっておくのも悪くはないと思ったのだ。
俺は、不思議と、今夜はぐっすり眠れそうな気がしていた。




