002_久しぶりの来客
「見えてきました。柏木博士の個人研究所です。」
一行は、ローテンベルクの小高い丘を目指していた。
そこに柏木博士の研究所兼邸宅がある。
話しているのは、日本屈指の近衛財閥の幹部たち。
社長の近衛信之は九〇歳にもなり、老衰によって以前の活気は失われていた。
そこで、大戦中の友人でもあった柏木修の元を訪ねてきたという訳だ。
「え?博士ですかぁ?今はちょっと家を空けてまして…」
柏木邸のドアをノックすると、栗毛色の髪で背の高い、細っそりとした女性が出迎えた。
あまり装飾品は付けず、強いて言うなら首に巻かれたリボンだけだった。
「私、シャルルと申します。話があるなら中でお伺いしますわ」
案内された応接室に、コーヒーカップを持ったシャルルが現れた。
屋敷の内装は確かに綺麗なのだが、同時に若干の不気味さも兼ね備えていた。
「お待たせしました〜」
「どうも…」
財閥の関係者たちは、その何処と無く漂う雰囲気に、少々怖気付いていた。
「それで、どういったご用件で?」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「まぁ!社長さんが」
「はぁ、そうなんです。近衛財閥では、代々長男が次期の社長を務める決まりなのですが」
「なんでも、息子さんが不良でして…」
「あら」
「そして社長自らが、ずっと社長を務めていきたいとおっしゃったものですから…」
「不老不死を手に入れたいと、そうゆーことですね?」
「はぁ…」
「…なんとか!柏木先生に頼めないでしょうか!」
財閥関係者が一斉に頭を下げる。
シャルルは普段されない立場に置かれ、少し動揺した。
「あの…」
「そこをなんとか!」
「あ、違うんです。柏木博士はメスは持てません」
「え?」
「柏木博士は病気にかかり、遠くの湖畔で療養中です」
「カルテ見ます?私が診断した結果ですが」
そう言ってシャルルは、奥の棚から茶封筒を引っ張ってきた。
カルテには「筋萎縮性側索硬化症」と書かれている。
もちろん、関係者たちには分からない。
「重篤な筋肉の萎縮と筋力低下をきたす神経変性疾患で、運動ニューロン病の一種です」
「はぁ…」
幹部たちは遠く離れたドイツに来たのに、柏木博士が執刀しない事を知って半ば無気力になっていた。
「あ、私が執刀しましょうか?」
「遥々ドイツまで来たのですから」
関係者達は、コソコソと何やら話を始めた。
シャルルはコーヒーでもすすりながら、それを眺める。
「…ところで、貴女は?」
「私はローテンベルクで生まれ、医学学校を出たあとずっと柏木博士の助手を務めてきました」
「もう、八十年も前の話ですけどね」
「八十年!?」
「ええ、私も博士の手術を受けたんです」
「ほう」
財閥関係者の目の色が変わる。
またチャンスが到来してきたという感じだ。
「私は博士に教育されてきました。生物工学は熟知しております」
「この件は是非、私に」
幹部たちはまたコソコソと話を始めた。
「貴女を日本にお連れして、社長に諦めてもらうのも手だ。分かりました、お願いします。」
「諦めるなんて、そんな…(笑)」
「私、やりますよ」
ふわふわした表情から一気に真剣な顔になる。
「……東京までは飛行機でお連れします」
「あー…。少し周りに見られたくないので、専用の飛行機とかないです…かね?」
シャルルが俯いて幹部にお願いをする。
「……いえ、送迎用のプライベートジェット機が有りますから、お使い下さい。」
「ありがとうございます!」
「…ええ。それではっ!」
幹部たちが足早に屋敷を出る。
「あぁ!ちょっと待って!」
・ ・ ・ ・ ・ ・
「…」
「…行っちゃいましたねぇ……」
柏木シャルルの傍らで低い男性の声が聞こえた。
この声の主は、アヌビス。
この屋敷の執事兼シャルルの助手でもある。
アヌビスは顔が黒狼で、体は三十歳程度の高身長な男性だ。
そんな風貌からシャルルが勝手に名付けた。
彼は柏木修によって死から救われた数多い人物の一人である。
元々、柏木修の元に仕えていたが、原因不明の病によって昏睡状態に陥いり、体の一部をオオカミに移植する事で、死の淵から救われた。
それでも、彼の記憶、性格、雰囲気などは変わらず、強いて言えば声が極端に低くなっただけだった。
「ね、行っちゃったわ。」
シャルルはぽつりと答えた。
アヌビスはシャルルの身に万が一の事が起きた時に備えて、部屋の裏で来客を見張っていた。
「アヌビス、私東京に行くみたい。貴方の顔、どうやって隠そうかしら」
「む…。それは大変ですねぇ…」
「まぁ、考えるわ。貴方は身支度の準備を進めて」
「…かしこまりました……。」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
熟慮に熟慮を重ねた結果、アヌビスと私は空港まで、近衛財閥に車で送ってもらえることになった。
窓は強化偏向ガラスで出来ていて、中の人の顔は見えない様になっている。
顔が黒狼のアヌビスならもっともだ。
車でアウクスブルク国際空港まで八時間ほど、またドイツから日本までの直行便でざっと十二時間。
計二十時間ほどの旅だった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
さぁ、シャルルは近衛財閥の診療を行う為、いざ東京へ!
次回もお楽しみに〜!