黒いバッグ ⅵ
僕は部屋に戻った。すると琴美は目をつぶり、耳を手でふさいでいた。僕は部屋に入った。するとそれまでドアの陰に入っていて見えなかった部分が見えてきた。
その床のところに一人の人間が血まみれで倒れていた。その人間とは純であった。純の腹の上で黒い物体がうごめいていた。それは黒いボストンバッグのように見えた。そして「Churchill」と書かれているのが見えた。
しかしうごめいているそれはもはやバッグなどではなかった。そのバッグは咀嚼することのできる大きな口を持ち、黄ばんだ鋭い牙を生やしていた。その口でそれは純の腹を食っていた。純の腹はピンク色の食いかけの内臓をさらけ出していた。そして周りは傷口から噴き出した鮮血で赤く色づいていた。
「琴美、僕の声が聞こえるか?」
「お兄ちゃん?」
琴美はつぶっていた目を開けた。そして僕を見た。
「今、ここでおこっていることはすべて幻覚だ。僕はついさっき、純が外へ出て行くのを見た。彼は無事だ」
僕自身、ここで起こっていることが本当に起こっている出来事なのではないか、という疑いを持っていたがそんなことはおくびにも出さなかった。そんな疑いは持ちたくなかったのだけれど、それを疑いたくなるくらい、今起こっている出来事はリアルだった。
僕は琴美の手を握った。
「僕の手の感触がわかるか?」
「うん」
琴美が僕の顔に目を向けた。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「あそこで清水さんを食べてるバッグなんだけど」
「うん」
「あれが私たちにかみついてきたら、痛いかな?」
「さあ、どうだろう」
僕は琴美に言われてみてそのことに気付き、そしてぞっとした。視覚も聴覚も嗅覚も触覚も感じる。そしたら痛覚だって感じさせられてしまうと考えるのが筋ではないだろうか?
そしてもし痛みを感じるのだとするならば、僕ら二人は果たして、それに耐えられるのだろうか?
バッグが純を食うのをやめたようだ。そしてこちらを向いた。それは静かにこちらをにらみつけていた。
そういえば僕はあのバッグの中身を見ていないはずだ。それなのにどうして、琴美と同じように幻覚を見ているのだろう?後でこの疑問のことを純に言わねばなるまい。あるいは純はそんな疑問の答えなどとうに見つけてしまっているかも知れないが。




