黒いバッグ Ⅱ
「ねえ、中身を見たらいけないバッグのうわさ、知ってる?」
「うん、あれでしょ、中身を見たら必ず死ぬってやつ」
琴美はクラスメイトの友達と、そのバッグのことで噂話を楽しんでいた。それはこういう噂だった。そのバッグというのは黒いボストンバッグで、「Churchill」というロゴがついているらしい。
バッグを持っている分には何もない。しかしバッグを見たものは必ず死ぬというのだ。そのバッグに何があるかというのは定かではない。バラバラ死体が入っているとか、人の手が入っているとか、梵字のびっしり書かれた紙が入っているなど、さまざまな説があった。
「中身って何なんだろうねー?」
「見た人がなんか書き残したりとかしてくれればいいのに。すっごい気になる」
琴美は言った。
「ねえ、面白そうに話してるじゃん」
彼女たちが会話しているところへ、川原なのはという女子が声をかけてきた。
「川原さん」
「中身を見たら死ぬボストンバッグだって?すっごいじゃん。琴美、それの中身が気になるの?」
「うん、まあ」
「だったらさ、私が手に入れてあんたに見せてやるよ」
「いや、それは……」
「楽しみにしてな、絶対に持ってきてやるから」
川原は親指を立てて見せた。そしてその親指を下に向けた。川原の口には獰猛な、力のこもった笑みが浮かんでいた。
川原が立ち去ると、再び会話が始まった。
「川原さん、ひどくない?いくら自分の好きな人が琴美にとられたからって……」
「とったなんて、別にそんなんじゃ」
とった、というのは城之内佐助のことだった。城之内は琴美にデートを申し込んできたことがあった。しかしその時、琴美は断った。城之内自身は断った琴美に付きまとったりもせず、あっさりと諦めてくれた。
しかし城之内のことが好きだった川原は、琴美が告白されたという噂が出回った時期から、琴美にきつく当たり始めた。それ以来、さっきのように琴美は川原に不快な思いをさせられていた。
琴美はこのことについて、我慢する、という選択肢をとっていた。今のところ、嫌みを言われるぐらいでそれ以外に実害はなかった。それにこんなくだらない恨みなどはそのうち忘れられてしまうに違いないと思っていた。忘れられないにしても、いつまでもこんなことが続くとは思っていなかった。
それから一か月が過ぎた。帰ろうとしていた琴美の腕を、川原が掴んだ。
「ちょっと来てよ」
そういって川原は琴美を引っ張っていった。川原は学校指定のバッグのほかにもう一つ、黒いボストンバッグを持っていた。琴美は川原に抵抗しようとして体を後ろに引いた。すると後ろから押された。見ると、川原といつもつるんでいる人間が三人ばかり、後ろにいた。
琴美は四人に囲まれながら、女子トイレに連れていかれた。
「なに?」
「ほら、手に入れてきてやったよ、あんたが中身が気になってしょうがないっていうバッグをさ」
そういって川原はトイレの床にボストンバッグを放り出した。バッグには「Churchill」というロゴが入っている。
琴美は背筋に寒気を感じた。身を引こうとするが、後ろから二人に羽交い締めにされた。膝かっくんをくらわされ、琴美は床に膝をついてしまった。
川原が琴美の瞼に指をかけ、無理やり目が閉じられないようにした。そしてもう一人がボストンバッグのチャックに手をかけた。
「みんな、目を閉じて」
川原が言った。
「目、閉じた?宇佐美、チャック開けて」
宇佐美と呼ばれた女子の腕がゆっくりとボストンバッグのチャックを開いていく。琴美はチャックが開いていく様子を見てることしかできなかった。
琴美は心の中でこれは何かのいたずらだと思った。川原が琴美を脅かすためにそっくりのバッグを手に入れてきて、それが今開かれようとしているだけなのだと。まさか本当に、あのバッグの中身を琴美に見せるはずはない。クラスメイトを、たとえ冗談でも殺すような真似をするはずはない。琴美はそう信じようとした。しかしその一方で、偽物を見るためにどうしてみんなわざわざ目を閉じているのだろう、という疑問を考えたりしていた。偽物だとわかっているなら、目なんか閉じないで、怯えている私の姿を見ていればいいのに。そのほうがよっぽど楽しいのに。
バッグの口がすべて開かれた。バッグの中身は闇だった。ただ暗い、というのではない。差し込んでくる光でバッグの布地が見えるべきはずなのに、それさえ見えない。バッグの中には何もなかった。
そう思っていた時だった。ぼんやりと、白いものが闇の向こうから近づいてきた。ある程度近づいてきたところで、琴美にはそれが人の顔であるとわかった。それは男の顔であった。頭ははげており、眉毛もない。唇は薄い。目は真っ黒に見えた。白目があるのに、普通の目のようにも見えるのに、しかしその目の色はやはり暗闇の色であった。
急に、琴美は自分が本当にあのバッグの中身を見てしまったのだということ、自分が顔を突き合わせている、非現実的なもののことを考えて、恐ろしくなった。その恐ろしさに耐えかねて、琴美は悲鳴を発した。
その拍子に拘束が緩んだ。琴美はその隙に腕を振りほどいた。そして逃げだした。その後ろで、
「チャック閉めろ、チャック!」
と川原が叫んでいる声が聞こえた。




