その弐
袁傪は、家臣一同を一堂に集めた。
「劉暁は、誰かに殺された可能性が高い。お前たちを疑いたくはないが、別の誰かが殺したとも考えにくい」
と、始めた。袁傪と死体の確認をしなかった家臣達はさぞ驚いたであろう。周りからざわめきが聞こえる。
「この辺りには、我ら以外に劉暁に接触できる人はいなかったからだ。お前らの中に必ず犯人はいる。早速、誰がこのようなむごい真似をしたのか考えたいと思う」
そして袁傪は、張謂と呂祖と共に、殺人であると断定した理由を皆に話した。
「昨日はかなり激しい雨だったな。そのような夜になってわざわざ人を殺めるのか?」
家臣の一人が口にした。
「そうだ。あの雨の中でも、夜に谷底まで動けた人にしか殺せぬ。夜、誰かが居なかったのを知っている者はおらぬか?」
一同は、困った顔で黙り込んだ。
「まあ、こう一つ一つ聞いていっても埒が開かぬ。劉暁の部屋は、離れの中央の部屋だな。祖よ、お前は離れの手前の部屋だったであろう。誰か劉暁の部屋に向かう者を見ておらぬか?」
袁傪が呂祖に向かって聞いた。
「いえ、殿が私の部屋に来る前も、来た後も、誰も私の部屋の前の廊下は通っておりませぬ。殿がいらっしゃっていた間も廊下に人は通らなかったでしょう?」
呂祖は袁傪に確認した。袁傪は、右手で扇子をいじっている。
「そうだったな。廊下に人が通れば、人影は障子に映るから、すぐに分かるはずだ」
そして、皆の方に向き直り、
「周遷殿。確か、周遷殿の部屋は母屋で、一番離れに近い部屋であったろう?誰か外に出たものはおらぬか?」
と、一番後ろの列に座っていた宿主、周遷に話を振った。
母屋と離れは道を隔てて少しばかり離れている。離れは五つの部屋がある細長い建物で、一番母屋に近いのが呂祖の部屋であった。母屋の方には、母屋の玄関近く、つまり離れに近い側に周遷の部屋があった。そして、離れの背後には、劉暁の遺体が見つかった谷がある。
「はい、私共、宿の者達はその部屋におりまして、玄関の鍵をの管理もしております。玄関から、外に出た者は誰も居なかったと言ってよろしいかと思います。皆さまの部屋の窓も、昨日の荒天のために施錠させていただいております。窓からの出入りも不可能でしょう」
「なるほど。そうすると、谷底へは離れからしか行けぬから、犯人は、離れにいた者と考えて良いだろう」
袁傪と大多数の家臣は、母屋に泊まっていた。しかし、袁傪一行が大人数だっため、何人かの家臣が離れに泊まることになっていたのだった。これで、早々と容疑者を絞ることが出来た。
袁傪は、母屋にいた家臣達を各々の部屋に待機するように言って、彼らを戻した。離れに泊まっていたのは、手前の部屋から順に呂祖、陳文、劉暁、史朝天、張謂で、袁傪は、劉暁以外の四人のみを部屋に残した。
「お前達の中に劉暁殺しの犯人がいることとなった。異論はないな?」
皆、口々に返事をする。やはり、容疑者が絞り込まれたことで、彼らはかなり緊張した表情を見せている。
「すまないが、一人ずつ、昨晩何をしていたか、出来るだけ詳しく教えてほしい。何刻の頃かもだ」
まず袁傪は、陳文に尋ねた。
「はい、ええ、私共が宿に到着したのは何刻でございましたか?」
「およそ戌四つ時だ」
袁傪が答える。
「分かりました。すると、亥一つ時の頃にございますかな。着いてすぐに厠へ行きました。そのあとは部屋に戻り、濡れた服と体を丁寧に拭いておりました。そして、書を読んでみると、谷の方から何か大きな音がしたので、気になったので、窓の外を見てみますと、微かに白い人影が谷の方へ歩いて行っていたのでございます。よく見えなかったので、はっきり誰とは分かりませぬが。私も気になって後を付けようしたのですが、雨が先ほどよりも強くなっていたので、諦めてそのまま床につきました。子の刻くらいであったかと思います」
「その大きな音というのはいつ頃でありましたか?」
張謂が気になったそぶりで聞く。
「申し訳ありませぬが、その音があった時刻は正確には把握しておりませぬ。ただ、音と白い人影のことが結構気になってはいたのですが、すぐに寝てしまいました。その事から考えて、音があった時刻は子の刻の頃であったとは思います」
「子の刻でございますか…」
張謂は独り言のように呟いた。
「その音なら、私と祖も聞いたはずだ。何かがぶつかったような音だったな。確かに、窓の方から聞こえて来た」
袁傪もその音について思い出したようだ。離れの全ての部屋の窓は、背後の谷の側に付いている。昨夜は開閉できなかったようだが。
「陳文、白い人影以外に、他の者の見ておらぬか?」
袁傪が尋ねた。
「いえ、私はずっと部屋におりましたので、誰も見ておりませぬ」
「そうか。次は、朝天、お前はどうだ?」
そして今度は、隅の方で話を聞いていた朝天に振る。
「俺も、着いて暫くしてから厠へ行った。厠へ行く途中、笠が無かったのを思い出して、張謂に笠を借りに行った。大体亥二つ時だ。その後は、三味線を少しばかり弾いたが、雨の音で聞こえなかったから、すぐにやめた。そして、厠に寄ってからすぐに寝た。以上だ」
落ち着いた口調で語った。厠は、離れのさらに奥にあり、そこまでは屋根が付いていないので、昨日のような雨の日には笠をかぶって行く必要がある。また、張謂の部屋から直接は、厠を見ることは出来ない。
「お前は大きな音には気づいたのか?」
袁傪が問う。
「寝ようと思っていた時に聞こえはしたな。ただ、この雨のことだ。何かが流されてぶつかった音だろうと思って寝たな。」
朝天は尚も淡々と答えた。そして、
「あと一つ、俺が厠に行く少し前に、誰かが部屋の前を通った。陳文が厠へ言ったというからおそらくそれだろう」
と、付け加えた。
「よく分かった。では、張謂はどうだ?」
「私は、宿に到着してから、ずっと書を読んでいたり、李徴殿の詩を読み返しておりました。そうしている間に、朝天殿が笠を借りに来たのです。笠を返してもらった後は、疲れていたのですぐ床につきました。しかし、朝天殿に厠に行くので、もう一度笠を貸して欲しいと起こされました。そのあと、大きな音が聞こえたので、様子を見に障子を開けたのですが、特に誰がしていた様子はありませんでした。そして、またすぐに寝ました」
と、張謂は言う。実は、昨日李徴の詩を書き取っていたのは張謂だったのだ。
「そう言えば朝天殿。何故、厠へ行く時に笠を借りたのかな?昼は、袁傪殿が貸すと仰られた時には断っていたではありませぬか」
呂祖は、朝天に目線を移して、探るように聞いた。
「昼は小降りだったから、笠など要らぬと思っただけのことだ。ただ、夜は寝間着を濡らす訳にらいかぬから、張謂に借りた。それだけだ」
視線に動じることなく答える。
「なるほどな。張謂も朝天のほかに誰か見ておらぬか?」
袁傪が尋ねる。
「いえ、誰もおりませぬ」
張謂は首を振った。
「祖よ、お前が犯人だとは思ってはおらぬが、一応聞いておきたい。他の者と比べ、不公平になってしまう故な。昨晩はどうしておった?」
最後は、呂祖が話す番だ。
「私は、袁傪殿がいらっしゃるまでは部屋におりまして、他に誰も見ておりませぬ。袁傪殿と長い間語りあっていた時、私も同じく大きな音を聞きました。袁傪殿がお帰りになった後、陳文殿と同じく白い服の人が、窓に映ったのでございます。雨で顔まで見えなかったのですが、あの白い服はおそらく劉暁殿ではないかと」
「つまり、劉暁が自分で谷に向かったと?」
「私はそう思っております」
「そうすると、劉暁殿が殺されたのは、子の刻以降ということになりますなあ」
呂祖が右手で顎をさすって言った。
「では、私は違いますな。私は部屋で劉暁殿が谷へ降りて行くのを見ていたのですから」
陳文が言った。
「それならば、私も部屋におりましたで、関係ありませぬ」
「俺も部屋にいた」
張謂と朝天が続く。
「しかし、嘘をつけば誤魔化せるであろう。困ったな、これでは誰が犯人か分からぬ」
袁傪は顔をしかめている。そして、
「しかし、なぜ谷底で殺す必要があるのだ?犯人はわざわざ劉暁を呼んだのか?」
「谷ならば、誰にも見られずに殺すことができますし、なおかつ死体が見つかりにくくなるからではないでしょうか」
「それなら、計画的なものだな」
陳文、朝天も下を向いて考え込んでいる。
「とりあえず、もう一度川辺まで行ってみぬか?何か分かるかもしれぬ」
袁傪が立ち上がった。
事件現場となった川辺には、鮮血の乾いた石が何個か転がっている。
「この辺りか…」
袁傪ら五人が周りを調べ始めた。
「特に何も残されているものはありませぬな。劉暁殿の無くなった腕は恐らく、川に流されてしまったのでしょう」
呂祖が、ようやく流れが収まってきた川の方に歩き、下流を眺めた。
「ここから見上げると、厠と張謂の部屋が見えるな」
一方袁傪は、離れのある小高い丘を見上げていた。
「つまり、張謂が一番ここに来やすいな」
朝天は、張謂を訝しげに睨む。
「しかし、私ではございませぬ!私はその時間、朝天に起こされるまでは、眠っておりましたし、そもそも、私に劉暁殿を殺す理由があるございませぬ!」
「理由ならある」
張謂の必死の弁解も、朝天が跳ね返した。そして、張謂の元に歩み寄っていく。
「お前、大勢の人と何か秘密の関係とやらがあるのであろう?」
「なっ…!」
張謂は大きく目を見開き、硬直している。朝天は、背の低い張謂を見下ろして、さらに追い討ちをかける。
「お前は、役人共と体の関係を結び、それでのし上がろうとしていたな。違うか?役人共のお気に入りとやらになって、早く出世しようってか?ふっ、下らない」
朝天は吐き捨てるように言った。周りの皆は唖然として、二人を見つめていた。
「どこで、それを…」
頭上から刺さる冷徹な視線に、張謂は縮み上がっていた。
「さあな、俺も最初は風の噂で聞いていたから、あまり相手にはしなかったが、確証は既に得ている。劉暁も同じ事を言っていたからな。それで脅されていたとすれば、充分な動機になるだろう?」
朝天は尚も張謂を責め立てる。
「しかも、脅し立てる恰好の種もあいつは持っていた。なあ、あんたもこいつの相手の一人なんだよなあ、殿?」
全員が一斉に振り向いて、袁傪を見た。
「き、聞いてくれ、朝天」
と、袁傪は口を開いたが、息が切れ切れだった。息を整え、深刻な顔で続ける。
「ここまで知られていたら、認めざるを得ないが、確かに私と張謂は体の関係を持ったことがある。だが、それまでだ。私が張謂を近くに置いているのは、決してその関係によるものではない」
袁傪の弁解はさらに続く。
「さらに、張謂は私に話してくれたのだ。今までどうやって役人の元で生きてきたのかも。妻を持つ身でありながら、自分の犯したことを、私の前ではしっかりと語ってくれた。私は張謂を信頼しているし、張謂も私を信頼してくれているだろう。私は張謂が犯人ではないと思っている」
と締めくくった。しかし、朝天はまだ腑に落ちないようで、不機嫌そうに袁傪と、張謂を見ている。
「しかし、張謂殿がここに一番来やすいのは事実でございまする」
今まで黙って様子を見ていた呂祖が、ようやく口を開いた。
「祖よ、信じてくれぬか?」
袁傪は手を合わせ、呂祖の方を向いた。
「そこまで殿が言うなら、張謂殿ではないのかも知れませぬ。しかし、もし、犯人が張謂ではないとすると、真犯人はどう谷に降りたのかと言うことになりますな」
呂祖は言う。その時、袁傪があっ と声を上げた。
「そう言えば、劉暁殿はどうやって谷まで行ったのだろう?」
袁傪が思いついた事を述べた。
「白い服を着た男がいたと言う話をしたではございませぬか、袁傪殿。離れの裏から谷へ降りたのです」
と、呂祖。しかし袁傪は、
「いや、その前の話だ。朝天と張謂の話では、劉暁は厠へは立っていない。もちろん、私と呂祖も劉暁の姿は見てないな。どうやって離れの裏まで行ったんだ?外に出るには、呂祖のの前の玄関か、張謂の部屋の前の玄関を通らなければならないはずだ」
と、言う。
「しかし、朝天と張謂は早く寝ていたのでしょう?それなら、気付かれずに通る事も可能かと思います」
様子を伺っていた陳文がやっと喋り出した。そして早口で
「あっ、もしかすると、厠か何かで外に出た劉暁か、そのまま足を滑らせ、谷まで落ちてしまったということはあり得ませぬか?」
と言ったものの、
「刀傷があると先ほど言ったであろう?事故の可能性はないだろうな」
呂祖が否定すると、そうか…と言いながら、陳文はまた黙って考え込んでしまった。
「やはりそうすると、朝天、張謂が寝ている間にこっそり抜け出したと言うのが一番考えられるな」
袁傪は頷いた。
「朝天、張謂は寝ていて、陳文は谷に向かう劉暁を見ている。そうすると、誰も劉暁を殺すことは出来ぬではないか」
しばらく俯いて考えていた袁傪が、言った。
「それこそ、朝天、お前が一番怪しいだろう!」
張謂は、朝天に向かってかなりきつい口調で怒鳴る。
「お前のそんな性格では、皆と軋轢を生むのは当たり前だ。お前、口は悪い分、意外と心は脆いからな。かっとなって殺しちまったのではないか?寝ていたなど、嘘に決まっているだろう!」
感情的に叫んでいる。先ほど、犯人扱いされた上に、秘密を暴露され、責め立てられたのがよっぽど許せないのだろう。
「八つ当たりか、下らぬ」
朝天はさらに冷たい視線を張謂に送る。
「俺が殺したと?馬鹿言え、俺は文官だ。刀で劉暁に勝てると思うのか?ああ見えて、劉暁は剣の名手だ。俺があいつの正面から戦って殺せる訳がないだろう」
確かに、劉暁はまな板の上の刃に限らず、刀の扱いに長けていた。この中で劉暁に勝てる人間はいないだろう。
「しかも、俺は笠の持ち合わせがない。あの雨の中わざわざ殺しをしようとは思わない」
とも言った。
「しかも、俺は大きな音の直前にも厠に寄って、その時に借りた笠も、張謂に返したはずだ。なあ、そうだよな?」
朝天は、張謂の肩を掴んで、高圧的に聞く。その勢いで、張謂は体制を崩して、河原の上に尻をついてしまった。張謂は唇を噛みながら、頷いた。
「はい、確かに笠を受け取りました」
「なら、俺が殺せる訳がないだろう」
そして、張謂は立ち上がって、
「陳文、ならばお前しかいないだろう!」
今度は、陳文を指差した。陳文は突然指名され、慌てている。張謂は、さらに凄んで
「白い服の男など、お前が犯人から外れる為の嘘ではないのか?そうすれば、お前は私が寝ている間に、殺しができるだろう!」
と勢いづいて話すが、
「それは、無理ではないか」
と呂祖が言う。
「私と袁傪殿が白い服の男を見たと言う前に、陳文殿は言っていた。離れに居ないものではないと分からぬ事だ」と。
「だったら、誰が殺したんだよ!李徴殿の仕業に見せかけて殺したなど到底許せぬ!私もこれ以上責められるのはもううんざりだ!早く名乗り出てくれ!」
張謂はかなり荒ぶって、地団駄を踏んだ。結局犯人は誰か分からず、皆途方に暮れて、黙り込んでいる。袁傪が、その状況に耐えかね、一言。
「そういえば、凶器はどこだ?」
「確か、刀だったはずにございます…」
呂祖も小さな声で答える。
「誰の刀か分かれば、犯人が分かるのではないか?何故こんな簡単な事を先に気がつかなかったのだ?」
袁傪は頭を抱えあ。
「取り敢えず、皆さま、一旦戻りましょう。」
彼らはまた劉暁の遺体の周りに集まっていた。
「やはり、傷跡が酷いな」
袁傪が呟く。
「脇腹まで傷跡が伸びているな。少し見てみよう」
袁傪が言うと、呂祖が、見やすいように腕をどけようとする。だが、遺体は既に硬くなっており、関節がうまく曲がらない。
「死後の硬直がかなり進んできていますな。腕はこれまでしか曲がりませぬ。これでは傷が見にくいですな」
呂祖が困った顔で袁傪をみる。しかし、
「いや、これでいい」
袁傪は何かを確信したように、にやっとした。そして、陳文、朝天、張謂が座っているところに歩いて行った。
「犯人は、お前だな」
場の空気が緊張する。
「陳文」




