34.終極『師匠』
………………。
――……う、ん…………?
閉じ掛けた意識が戻る。視力や聴力といった、遠くなっていた感覚も回復している。
現実世界に強制的に帰されたのでもない。まだここはゲームの中だ。
攻撃を食らったはず――なのに、生きてる……? それどころか――力が漲ってくるような……。
(これ……は……?)
ふと手に熱を感じる。そこには握っていた師匠のアミュレットがあり――より一層鮮やかな群青色の煌めきを放っていた。
急激な身体機能の回復と、正体不明の凄まじいまでの力を感じるのは――これの効果なのだろうか。
しかし、なぜ突然発動したのか。さっぱり訳が分からず戸惑っていると、何やら声がした。
「――『きさま、なにをした?』……」
「――『なんだ、そのちからは』……」
アズリーさんの声だ。……けれど、様子が明らかにおかしい。
文字だけ見れば、言葉だけ取れば――不可解なアイテムにより戦況を持ち直され、焦っている。そのような状況に相応しい台詞だったかもしれない。
しかし私がおかしいと感じたのは、その喋り方だ。凛々しく、はきはきとした口調だったはずなのに――今の口調は。
(なに、その……まるで抑揚のない――)
――棒読……み……?
はっと息を呑み顔を上げ、アズリーさんを見つめる。
(まさか……いや、そんな……)
とある可能性が浮かぶ。だが同時に否定もする。
有り得ない。だって、あの人は――
アズリーさんの顔を熟視すればするほど動悸が激しくなる。私の内なる葛藤を嘲笑うかのように、その可能性が信憑性を帯びて迫ってくる。
(あぁ……。間違い、ない……)
なんで……今まで、ずぅっと……気づかなかったんだろう。
以前ベッドの上で見つめ合った時。この人の瞳も、紫色だった。
紫水晶のように綺麗だと思った――あの人の瞳と、同じ色。
目深に被ったフードを脱いだだけで。声色や口調が違うだけで。
本当に……なんで、私は――。
……相変わらず、演技は下手っぴなんですね――……
「……――師匠」
◇ ◇
私は呆然と呟く。
「どうして……?」
「……貴様こそ、どうした? 何を悩むことがある。今が好機だろう?」
こちらが気づいたことを察しているだろうに、何事も無かったかのようにそんな台詞を返してくる。
「私から何かを聞き出したいのなら、力づくで、だ。こちらはまだ敗北を認めてなどいないが?」
確かに私はどう見ても勝ってなどいない。
一撃たりとも攻撃を食らわせてない。したことと言えば、無様にも自滅しかけただけだ。
けれど――あなたは今、この戦いを……放棄したんじゃないの……?
なぜ私を助けるような真似をしたの? それもおそらく、あなたを倒せるだけの力を分け与えたりもして。
この湧き上がる力の根源と思われるアミュレットは、あなたに貰った物だ。効果だって発動条件だって、全部知ってるはずだ。
それを今この場面で発動させたりして――本当に何がしたいの……?
一向に何の行動にも移さない私に業を切らしたのか、再び戦闘を再開しようとアズリーさんが手の平をこちらへ向ける。
「来ないのなら、こちらから――」
「――……まって」
冷静に考えれば、そんな要求が通るはずなんてないのに。
私の惑乱は極限に達していて――こうするしかなかった。
「わかんない……っ、わっかんないよっ! ねえっ!?」
突如声を荒げる。
認めたくなかった。この人と争わなきゃいけないことを。
信じたくなかった。この人が――世界の脅威、『魔王』と呼ばれる存在であることを。
「どうして? なんでこんなことしなきゃいけないの!?」
ひたすらに、聞き分けのない幼子のように駄々をこねた。煩わしく見苦しく、癇癪を起こした。
様々な感情がせめぎ合い、目に涙が滲む。
「……少し、ぐらい……答えてよ…………」
ひとしきり叫び終えれば、打って変わったように蚊の鳴くような声でねだる。
全てを知る覚悟は出来たつもりでいた。その上で受け入れる心づもりでいた。
ちゃんと理知的に、建設的に、"これから"を話し合えるつもりでいた。
いざ明かされた真実を前にしては、自分はこんなにも脆い。それが酷くもどかしくて、甚だ情けなくて。俯き、肩を震わせて、ぽろぽろと大粒の涙を零し続ける他なかった。
「――……貴様にとって、大事なものとは……何だ?」
……だいじな――もの……?
「誓ったのではなかったのか?」
……誓いましたよ。他ならぬ、師匠に。
この世界を守ると。
――魔王を救ってみせると。
「どのような誓いを立てて、この地へ赴いた。――リリィ?」
その口調も、表情も……柔らかくて、優しい。
私を何度も助け、導いてくれた――懐かしい、あの人のものだった。
そしてこの期に及んでもまた、私は再びこの人に導かれる。
……それは、私にとって――この上なく非情なことだった。
「あなたを倒すことが……『世界を救うこと』、なんですか……?」
師匠は自分《魔王》のことを"脅威"と言い、魔王《自分》を倒すようにと私を導いていた。
「それがあなたの……『望み』、なんですか……?」
微笑み、微かに頷く。よく辿り着いてくれたと。そう仕草だけで伝えてくる。
思えば、師匠はどこか焦っていた。
『この世界の脅威はすぐ傍まで迫ってます』と、早急に戦えるよう私へスパルタ教育を施した。
自分《師匠》が殺されたように見せかけ、魔王《自分》へと怒りの矛先を向けさせようとしていたのだろう。
事あるごとに兄の話を持ち出したりして、意図して私を煽っていたのも、きっとそういうことだろう。
この人が今日まで私にしてきたことの全ては、今この時のためにあったんだ。
――私のことを、魔王を倒す『勇者』に仕立て上げるために。
散々、悩んだんでしょうね。聡明なあなたが。それでも、そうするしかないって……結論、出しちゃったんでしょうね。
あなたの抱えていた闇は――もうどうすることもできないほど、深かったんですか……?
尚も対話を試みようとすれば『力づくで聞け』と、にべもなく戦闘が再開されるだろう。
私がこの人に勝つには、『これ』を解放するしかない。先ほどからアミュレットに蓄えられ、溢れ出しそうなほど激しく迸り続けていた魔法を。
しかし『これ』を解放してしまえば、たぶんこの人とは二度と口を利けなくなる。
……どうあっても手詰まりだ。
ズルいよ――こんなの。
師匠との約束と、この世界を守る。魔王を倒し、救う。
それらの問題に対し、この人が用意した『答え』――それを私が成し遂げること。全部がその一手に纏まっちゃってる。呪いたいほど綺麗な盤面だ。これじゃ、もう……覆らない。
本当に――ズルい……。
余りに残酷で、胸が張り裂けそうになる。
けれど涙を拭い、顔を上げ……真っ直ぐに見つめる。
――"倒すべき、『魔王』を"。
「……覚悟は、決まったか」
無言で、こくりと頷く。
『これ』を解き放つこと――それが、この人の弟子としての……最後の務め。
――さあ、唱えよ。
――私からの……最後の贈り物だ。
「……《アイン・ソフ・オウル》――!」
辺りが燦然たる光に包まれた。自分が目を閉じているのか、開いているのかすら分からない。
放ってみるとわかる。この魔法は本来、対象を瞬時に跡形もなく浄化させてしまう程の、恐ろしい力のはずだ。
でも――私が扱えているんだ。初歩的な攻撃魔法ですら倒れてしまうような、この私が。
この光を通じて、あなたの想いが流れ込んでくる。
どこか温かく、優しく。どのような想いでこの魔法を用いてきたか、胸に溶け込むよう伝わってくる。
あなたは――この世界の全てを、誰よりも愛していた。
この光は――あなたが愛したこの世界を、守るための光。……そしてあなた自身をも、救うための光。
……ちゃんと、受け取りました。あなたの、想い。
……さようなら。
師匠――。