30.暴走『不倶戴天』
ゲームからログアウトした私は、乱暴にギアを剥ぎ取る。
頭には血が上り、心臓も激しく暴れている。そんな冷静さなど欠片もない状態で、慌ただしくも兄の部屋へと向かった。
大至急問い質さなければならない。
あってはならないんだ。ゲーム内のキャラクターに、記憶を消されてしまうだなんて……そんなこと――っ!
「お兄ちゃん!」
「……なんだ、どした?」
私の異常な様相に目を見張っているが、意に介さず性急に切り出した。
「『アズリー』って人の名前。知らない? 覚えてない?」
その問いに、少し戸惑った様子を見せる。
そしてこの後に続く言葉はどうせ決まっている。だが今度は絶対に食い下がったりはしない――そう心に決めてきた。
「……前にも一度、聞いてきたよな。だから俺は知らな――」
「知ってるはずなんだよっ、お兄ちゃんは! あのゲーム――『ティファレシア』の世界で、アズリーって人と会ってるはずなの!」
「…………」
「その人に絶対に何かされてるはずなのっ! ――ねぇ……本当に、何も……覚えてないの……?」
一頻り叫び終わった私は、肩で息をしながら兄の顔をじっと見つめる。
これでもまだ惚けるようだったら――完全に怒りに我を忘れた私は、物騒な発想に至り掛ける。……しかし、それには及ばなかった。
「…………すまん」
思わず、息を呑んだ。頭まで上りきっていた血が、音を立てて急激に引いていく。
あの兄が――私に頭を下げてきた。
「本当に、何も……わからないんだ……」
あの兄が――今にも泣きだしてしまいそうだった。
「――――っ」
「だっ……大丈夫……!?」
唐突に兄が片手で頭を抑えた。こんなにも苦し気な表情は、初めて見る。
それほどまで痛むのだろうか……わからないことが、思い出せないことが、歯がゆくて辛いのだろうか。
「ごめん……ごめん、ね……お兄ちゃん……」
「……いや、いい。悪い……少し、休む」
「…………うん」
落ち着いたら……ちゃんと、謝ろう。今はこれ以上いても、邪魔でしかないだろうから。
強引に聞き出そうとしたことを酷く後悔した。私のせいで……あんなにも苦しめてしまった、傷つけてしまった――……
……――いや、違う。
兄の記憶を、命を弄んだ――魔王が、全て悪い。
もう疑いようもない。
兄は――このゲームで、魔王に負けたんだ。
そしてそれはつまり――尊敬し、崇めてすらいる兄が、クリアできなかったゲームだということだった。
私にとってその事実は……とてつもなく、大きい――。
◇ ◇ ◇
とんぼ返りに再度ゲームに繋いだ私は、急ぎ国王様宅へと向かった。
「久しいな、リリィ殿」
「…………」
「……? 何かあったか?」
伏し目がちに、言葉を発さない私を訝しむオルグイユ様。
この言葉を耳にした時、この人はどんな顔をするのだろう……?
この街の長である人物が、あの人と面識があるだなんて思いたくなかった。だがどうしても確かめねばならない。ぐっと奥歯を噛み締め、言葉を振り絞った。
「『魔王』と……会いました」
僅かに眼を見張った。そして大きく溜め息をつかれる。
「……そうか」
どうやら察したようだ。このたったの一言で。
"とうとうこの時が来てしまったか。"……そんな憂いを帯びた表情をされている。
ならばこの後、私がこう聞くことも織り込み済みなのだろうか。
「魔王は言ってました。『私の居場所は国王に聞け』と。……教えてください、魔王はどこにいますか?」
意図せず睥睨してしまう。……この人も『魔王の仲間』であり、『敵』かもしれないから。
「それには……承服しかねる。まだ君を魔王と戦わせる事はできない」
「……そうですか」
「今の君には……迷いが見えるからだ。君が、本当に成したい事は――何か。己と向き合い、しかと見極めてから、挑んで貰いたい」
――この人も魔王の仲間だから、戦わせようとしないのか?
そんな風に邪推もしてしまうが、仮にそうだったとしても今はどうでもよかった。
今の私では、挑んだところで勝てるだなんて思っていないから。
情報や道具、装備に、能力。その何れかが足りてないからこその、"ゲームのNPCとして"の台詞かもしれないから。
探しに行かなきゃならない。必要な『何か』を。
あの人を……アズリーさんを倒すために。
……不倶戴天の敵――『魔王』を討伐するために。