26.幕間『登校日』
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
世間は現在、夏休み。それでも新学期が始まるまで全く学校に来ないわけでもなく、登校日というものが存在する。
「ごきげんよう、春風さん。またね」
「はい。ごきげんよう」
宿題はちゃんとやる、交通ルールを守る、羽目を外し過ぎない。ショートホームルームにてお決まりの注意事項を受け、皆が方方へと散っていく。
その中で仲が良さげな四名のグループさんが、私の席へと近づき声を掛けてきた。
「春風さん、少々お時間頂いても?」
「ええ、構いませんわ。どのようなご用向きでしょうか?」
「私たち、近々小旅行へ行こうかと企画しておりますの」
「もしご都合が合えば、春風さんもご一緒致しませんか?」
「まあ。よろしいのですか?」
「もちろんですわ。かねがねお近づきになりたいと思ってましたから」
「日程等の詳細がまとまり次第、ご連絡差し上げますね」
「心待ちにしております。ふふっ」
私にOKを貰えたことが嬉しかったのか、弾んだ声を上げきゃっきゃしている皆様。こちらも胸に温かいものが灯り、自然と頬が緩む。
――……ところで、おわかり頂けただろうか。
先ほどから繰り広げていた会話。どれが、私の――『春風悠莉子の発言だったか』を。
私の通っている学校は、決してお嬢様学校などではない。ごくごくふっつーの、私立の高等学校だ。
当然皆さんも、普段からこんな言葉遣いばかりするわけではない。
私に対してだけ、こうなのだ……――。
「…………(ばたり。)」
誰もいなくなった教室で、私は死んだように机に突っ伏した。
こんな姿を誰かに見られたりしたら、幻滅されてしまうだろう。これまでの頑張りが水の泡になるだろう。
でも、でもっ――精神的疲労感でズタボロなのです、ちょっとだけこうさせて……。
「――……アンタもようやるわ」
声の主が誰だかは分かっていたので、安心してそのまま死んでおく。
「アタシとしては、早急に諦めて素直に白状するのをオススメしとくけど」
「うっ、うっ……。だってぇ~……雅ちゃんん~……」
半べそをかいて顔をあげ、縋るような眼差しを向けた。
手厳しくも至極最もな助言をくれた、ちょっぴり気の強そうな子は、雅ちゃん。中学の頃からの同級生なので、素の私を知っている貴重な友人だ。
「にしても、あれはほんっとーに……ぷっ……くくっ……」
かれこれ何度目かも分からない思い出し笑いを始める雅ちゃん。
傷口に塩と醤油とハバネロを重ね重ね塗りこんでくださる、とーってもありがたいご友人様である。嬉しさのあまり涙がちょちょぎれてしまうので、そろそろ勘弁して欲しい。
私としては二度と思い出したくも無いのに、釣られて回想に入ってしまう――……
◇
……――――四月、入学式。
ほとんどが初顔合わせ同士のクラスメイトが一堂に会し、担任の先生による挨拶が行われる。その後は恒例の『自己紹介タイム』が始まった。
皆が無難に当たり障りない発言をする中、私は思いを巡らせる。『どういう"掴み"が一番いいか』、と。
ちゃんと他の人の自己紹介に耳を傾けながら、"ネタ"が被らないように。どうすればインパクトある第一印象になるか、を考えることに全力を注いだ。
やがて回ってきた、私の番。
よっし、これでいこう! 脳内シミュレーション上での手応えはバッチリだ。心の中でそう意気込みつつ、すっと静かに立ち上がり――
――そして、私は……やらかした。
「ご機嫌麗しゅう、皆様。春風悠莉子、と申します。
今日まで私宅からほぼ外に出ておらず、学校というものも初めてお目に掛かりました。
そんな浮世から離れた生活を送っておりましたので、諸々のご迷惑をお掛けしてしまうかと思いますが、何卒よろしくお願い致します」
ゆっくりと、優雅に見えてくれそうな動作で頭を下げる。
訪れる、少しの静寂。……うんっ、ここまでは予定通り。かんぺき。
一呼吸を置いてから、発言を再開する。
「な――」
"なーんちゃって、冗談です。"――そんな風におちゃらけて続けようとした私の声は……皆の耳には届かなかった。
「すっ……ごーい!」「私、リアル箱入りお嬢様って初めて見たかもー!」「見た目から気品あるもんね~」「まさに大和撫子って感じ?」「なんかうちら一般人とオーラが違うよね!」
それぞれの好き勝手な発言により掻き消されてしまう。私の『なんちゃってお嬢様』に誰一人として疑いを持っていないご様子で、黄色い声が上がってしまっている。
あっ……、あれれ~? おっかしいぞぉ……? た、確かに我ながら上手く演技できたと思うけど! どうしよう、ここまでの盛り上がりは全くの想定外です……!
「あ、あの――っ!」
「はい。ありがとうございました、春風さん。では、次の人――」
今度は無情にも先生により遮られ……次の順番の人が立ち上がり、喋り始めてしまった。
しおしおと座り、上の空で視線を彷徨わせていると……偶然にも雅ちゃんと目が合った。
心なしか、その目に涙が滲んでいるような――と思ったら、すぐに目を逸らして俯き、ぷるっぷる震えている。
あぁ、吹き出してしまいそうなのを必死に堪えているのね……なんて分かりやすい友人なのでしょう。
私の演技があまりにも達者すぎたのか。悪ふざけをしようとした私への天罰なのか。
何にせよ……そう、私は……高校デビューにて大失態を犯したのだ――……
◇
……――この回想の間、雅ちゃんは飽きもせずにずっと思い出し笑いをしていた。
「いやあ、あれは傑作だったわ。アタシの人生のベストスリーに間違いなく入るわね」
「やめてぇ……そんな不名誉なランキングに載せないでぇ~……」
いつぞや取得したいと願った忘却魔法さんが、こちらの世界でもいと恋しい。どうすれば使えるようになりますかね。
「で、悠莉子。どうするの? これから三年間、ずっとそのキャラで通すつもり?」
「うう~……そ、それは……」
「さっさとカミングアウトしちゃえばぁ?」
「でっ、でも――」
「――あっ、いたいた~。みーちゃん、ゆりちゃん」
そこに新たな声が混じる。見た目も性格もふわっとした印象の、これまた同じく中学からの同級生の子。
「やっほ、亜美」
「ごきげんよーぅ……」
よぼよぼのお爺ちゃんばりに、小刻みに震えた手を振る。
「あ~……。ゆりちゃんってば、また? 大変だねぇ。よしよし~」
亜美ちゃんが頭をナデナデしてくれる。この子の慈愛の深さは女神級だ。あぁ、癒されるぅ……。
「この子のコレは、かんっぜんに自業自得だから。同情とか一切いらないから」
「っ……う、うわぁぁぁああんっ!」
せっかく癒されたのに、それまで以上の一撃をお見舞いしてくださりやがる雅ちゃん。内心概ね同意なのだろう、亜美ちゃんも撫でてくれてたその手を退けてしまった。
「んー。クラスメイトさん、悪い人たちじゃないんでしょ~? 正直に言った方が良いと思うけどな~」
「でしょ。そう言ってるんだけどねぇ」
「う゛っ……」
二対一になってしまった。なんとも分が悪い上に、二人の意見の方がきっと正しいこともわかってるから、余計に小さくなってしまう。……なんだけど。
「でもー……つい考えちゃうんだよねぇ……。みんなをガッカリさせちゃわないかなぁとか……今まで騙してたのね! って嫌われたりしないかとか……」
どちらかといえば、後者の思いの方が強い。「騙して嘲笑っていたんだろう」「信じてたのに裏切られた」……そんな風に怒りや憎しみに発展するケースだって多々あるハズだろうからと。
「別にそんな気にするもんじゃなくない? アンタも悪気があって、騙そうと思ってやったわけじゃないんだし」
「そうそう。事情をきちんと話せば、みんな分かってくれるよ~。ゆりちゃん、良い子だもん」
「ホントのことを隠し続けられてる方が、よっぽど嫌かな。アタシは」
「無理して自分を偽ってまでするものじゃないよね~。人付き合い、って~」
「雅ちゃん、亜美ちゃん……」
二人の言葉に、はっとする。
私も今、何かを隠されてる側として、嫌な思いをしている真っ最中だったはずだと。
あの人も……アズリーさんも、おそらく何らかの事情を抱えているのだろう。
根っからの悪人には見えなかった。残虐無比な魔王なんかには思えなかった。
話し合えれば、きっと分かり合える。そう信じていたはずだ。
なのに、私が隠す側でいてはダメでしょう。
話せば分かり合える――私だってそれを体現しなきゃ、説得力や信念が薄れちゃうってもんでしょう。
「うん……そだ、ね。ありがと、ふたりとも。……今度、ちゃんと話してみる」
手間のかかる子だと言わんばかりに微笑む雅ちゃん。
にっこりと褒め称えるように頷きを見せる亜美ちゃん。
「それでもハブられたりしたら、骨ぐらい拾ってあげるわ」
「いやいや。そこはクラスメイトとして、ちゃんと守ってあげてよ~?」
話してたら、いつの間にやら元気になっちゃう。全然関係ない別の場所での悩みまで解決してくれちゃう。
感謝の気持ちが溢れてくる。この素敵な繋がりに。
「持つべき者は、友達……だねぇ、うんうん……」
しみじみと呟きながら、雅ちゃんへと抱き付く。
「なっ……、く、くっつかないでよ! 暑っ苦しい……!」
「私も~、むぎぅ。……んふふ~♪」
亜美ちゃんが雅ちゃんの背後から抱き付く。この三人の内では稀によくある、"サンドイッチの刑"に処した。
「あ、亜美まで……っ!? は……、離れなさいよっ、バカぁーっ!!」
真っ赤になってあたふたする雅ちゃん。
この愛らしいご尊顔が拝めるのであれば、その後どれほど手痛い一撃を貰おうと構わんのです――。
「――で。アタシはこれから部活の方に顔を出すけど、アンタたちは?」
同じポーズで頭を押さえる私と亜美ちゃん。今日は脳天にグーパン頂きました、痛い。
「私たちもちょこっと行っておこうかぁ」
「だね~。"幽霊さん"になるのも悪いし~」
雅ちゃんは陸上部。私と亜美ちゃんはソフトテニス部。
なので終わったら適当にどっか寄りながら一緒に帰ろう、って約束をしてから別れた。
◇ ◇
ぱこーん。ぱこーん。
ボールを打ち合う、小気味いい音が響き渡っている。私はコート外に立って見学をしつつ、考え事に勤しんでいた。
(話せば、分かる……とはいっても)
アズリーさんは、『力づくで聞き出してみせろ』と言っていた。
『ゲームではなく、魔王と勇者として』――その言葉の意味が『純粋な戦闘行為』という認識であっているのであれば、事情を聞き出すためにも結局戦う必要がある。
『力を示して、認めて貰うこと』。それが当面の勝利条件だろう。
どうすれば、あの人に認められるだろうか。超初歩級な魔法すらまともに扱えない、この私が。
(――……あっ、攻撃をしない方向性なら……? 身を守るだけ……弾くだけ。そう、例えば――)
――などと、こんなところでボーっとしていてはいけないのです。
…………ぱっこーん。
「だっ……、だいじょうぶ!? ゆりちゃん!」
亜美ちゃんが放った特大ホームランの打球が、私のおでこにダイレクトでクリーンヒットした。幸いソフトテニスの柔らかいボールなので、それによる痛みはほぼ無い。けれどその衝撃で仰向けに倒れ込んでしまった。
まさか現実世界でも、この大の字の体勢を取ることになろうとは……。あぁ、空の青さはどこでも同じなのね……とても綺麗でした。
「ほんとにごめんね~……? わざとじゃないの、へたっぴなだけなの……」
「あぁ、うん。わかってるよー。大丈夫だから、気にしないで」
打ち返した球が誰かに当たってしまうようなことは、ままあることだ。
もし仮に試合中、戦略として相手の正面を狙うことがあっても、その相手を攻撃しようなどとは思っていないはずだし――
――そこまで考えて、目を見開く。
(……『コレ』だっ――!)
この時の私は、電撃のように降りてきた秀逸なアイディアにとらわれてしまっていた。
もしかしたら、不気味にもニヤついてしまっていたのかもしれない。『あはは、うふふ』……そんな奇声すら発していたのかもしれない。……私には永遠に知る由もないが。
「や、やっぱり打ち所が……!? うわーん、ごめんねぇ~! 帰ってきてぇ、ゆりちゃーん!」
心配してくれる亜美ちゃんの悲痛な叫びが、辺りに木霊していた。