11.苦衷『それでも。』
――ピピピピピッ……
脳内に鳴り響いた電子音に起こされる。
不明瞭な意識のなか「ログアウトしなきゃ」と、なぜか酷く重い身体を奮い起こす。
片手を頭の高さまで上げるのも億劫なほどで……やっとの思いで耳に手を当てて目を閉じ、ログアウトの手順を踏む。
そうしていくうちに、徐々に脳が機能を取り戻し始めた。
(私は……なんで、寝ていたんだろう……?)
再び目を開けば、そこは現実世界。自室の天井が目に飛び込んでくる。
まだ頭がぼーっとしていた。そのまま楽な姿勢で――妙にしっくりくる、大の字の体勢で物思いにふける。
(なんだろう……何か、すごく大事な……)
――突如、全身の血が音を立てて凍った。
瞬く間に頭に流れ込んできた。ゲーム内で起こったことの全てが。
(そう……、だ……――)
――しんだ。師匠が。
意図せず反芻してしまうと、先ほど凍ったはずの血流が急激に覚醒する。
身体が……頭が、融けてしまいそうに熱い。爆発しそうなほど荒れ狂う心臓の鼓動に、呼吸がうまくできない。
(落ち……つい、て……。だって……、だって………)
――ゲームなんだから。リスポーンとか。蘇生の魔法とか、アイテムとか。何かしら、ある……だろうし……?
そんな希望的観測を、懸命に自身へ言い聞かせる。そして這うように、縋るように……手を伸ばした先は、これまで目を通すことのなかった説明書だった。
――『想いが力になる物語』。冒頭にてそう謳っている説明書をじっと見据え、焦る気持ちを堪えつつ、決死の想いで斜め読みを開始する。
魔法の使い方。街への行き方。ログアウトの仕方。世界観、ゲームの設定・目的……魔王の討伐。
載ってることのほとんどが、師匠が教えてくれたことばかりだ。
……私はまだ、あの人に何も返せていない。
あの人に貰った全てをもって……魔王を倒し、世界を救うって決めた。
それが一番の恩返しになると思って、あの人のためにがんばろうと決めた。
終わったら、一緒に色んなことするって……約束、したんだ――。
やがて、探していた項目を――見つけた。
そこには、こう記されている。
【復活の魔法やアイテムの類は存在せず、一度失われた命は二度と戻りません。】
目立つようにと、他の文と違う色……赤字で、はっきりと。
畳みかけるように、絶望を叩きつけるように……私の一縷の望みすら打ち砕くよう、続く。
【プレイヤー、NPC、モンスター、動物や樹木、その他オブジェクト類、例外なく全て――】……。
未だかつて、あっただろうか。たかが説明書の一文を、ここまで激しく呪ったことが。
「――――あ……」
ゲームの中の、架空の存在だとか。
物語の中の、必要な過程《死》だったとか。
そんなの関係ない、どうでもいい。
私にとっては……大切な存在だった。
「ぁ……、ぁっ…………」
ぽたり。目から零れ落ちた、一雫。
ひとたび零れてしまえば……あとは堰を切ったように、止めどなく――
「ぅ……っく……ぁ、ぅ…………ぁあぁぁぁぁ………ッ!」
嗚咽が漏れる。
堪えようもなく、悲痛な声を上げる。
遣り場のない苦衷の想いは、一体何を慰めとすればいいのか。
こたえて。おしえて。たすけて。
だれか――
◇ ◇ ◇
どれくらい……泣いただろう。
身体が怠く、頭がガンガンと痛む。気持ち悪い、何もしたくない……何も考えたく無い。この上ない無気力感に侵されている。
「――入るぞ?」
そんな中、予期せぬノックと共に聞こえてきた兄の声に泡を食った。
ドア越しに声を掛けてくることなら珍しくもないが、あろうことか室内へ踏み入ろうとしている。
なんで……よりによってこんな時に。おそらく今の私は酷い顔をしている。見られたくない……無駄に心配かけたくない。
「そろそろ落ち着いたか?」
「……気づいてた、の……?」
私が泣いてることを――そう言外に含ませて問うと、兄は頷いた。
「まあ、な。母さんには『悠莉子のヤツ寝てた』って言ってあるから、そのつもりで口裏合わせとけよ」
「……ん。ありがと」
時計を確認するまでもなく、晩御飯の時間はとうに過ぎていた。お母さんに怒られたり、泣いてる姿を見られるよりかは……兄のこの対応は大分助かる。
「で。どうしたんだ? 話したく無きゃ別にいいが」
「……まぁ、その……。ちょっとばっかし、悲しいことがありまして……あはは」
「……ゲームで、か?」
「はい。さようでございまする」
十二分に泣いたからか、兄のお陰か、心が平静を取り戻してきた。すると今度は恥ずかしさが込み上げてきて、ついつい紛らわそうと普段通りのおちゃらけた口調になってしまう。
「お前は昔っから、ゲームの内容に感情移入しまくるからなあ……」
「あっはっは……面目ない」
兄はそのことにあまり理解を示してくれない質だ。ストーリー自体をそこまで重視していないタイプらしく、キャラクターはゲームを成り立たせる駒程度にしか……『創られた世界の、創られた存在』としか思ってないのだろう。
なので古くからゲームの内容で私が号泣していると、『泣くほどのことかぁ?』なんてしょっちゅう呆れられてしまっていた。
だから、今回も――と思っていたのに。
「……いっそ羨ましいな、お前が」
「…………ふぇ?」
……今なんと仰いましたかお兄様。
「いや。なんでも、ない……」
自分で口にしておいて、苦虫を噛み潰したようなお顔をしていらっしゃる。
ゲームをタダで譲渡してくれたことといい、最近の兄はどうも少しおかしい。何なんだろう、本当に……さっぱり解せません。
はぐらかすようにか、兄が質問を投げかけてくる。
「お前の言う『悲しいこと』って……誰かが、殺された……とかか?」
「……ん。そだよ」
「なんで殺されたんだ?」
「ん~……理性のないモンスターに、理不尽に……?」
「もしかして、『お前を庇って』……か?」
「…………」
こくり、頷く。
師匠は――私を逃がそうとしてくれた。
師匠一人だったら、たぶん……命を落とすこともなかったんだろうと思う。
私を逃がすまでの時間稼ぎを行う必要もなく。私に無駄に注意力を削がれることもなく。あの人ならば、逃げ出すことぐらいは容易だったはずだ。
尚更に無力感に苛まれてしまう。私なんかのために、なんであの人が死ななきゃ――
「だったらソイツは、お前に何かを託したんだろう?」
「……あっ」
――『この世界を……頼みました、よ……』
脳裏を掠めた、師匠の最期の願い。
本当にその人のことを想うなら、その人の願いのために在るべきだ。
託された願いさえも、亡きものにしちゃいけない。
「お前にしか成せない何かがあるんだろ」
「……うん。そう、だね」
こんな私を、師匠が信じてくれたんだ。命を擲ってまで託してくれたんだ。ここで全てを放棄してしまえば、それこそ顔向けできない。
これから私が成すべきこと、それは――
「私、ちょっくら世界救ってくるね!」
ばっと元気よく立ち上がり、晴れやかに笑ってみせた。すると兄は苦笑しながら私を諫めてくる。
「想像以上にスケールでっけぇこと言い出したな……。まあ勇み立つのはいいが、さっさと顔洗って飯食ってこい」
「うん! いまきづいた、おなかめっちゃすいてた!」
「当たり前だドアホう。何時だと思ってやがる」
「にゃっはは~。ごめんなさぁーいっ」
逃げるようにドタバタと階段を駆け下りる。……心の中で、『ありがとね、お兄ちゃん。』――そう呟いて。
顔を洗って、ご飯を食べて。
俯くのを止めて、面を上げて。
戦おう。
想いを……力に変えて。
――みてて。……師匠。