10.異義『Re: 蒲公英《タンポポ》』
「――……『ケルベロス』ッ!?」
こちらの思考を先読みしたかのように、師匠が声を張り上げる。
現れたのは、もし私が名をつけるとしたら、間違いなくそう名付けるであろう犬型のモンスターだった。惜しむべくは、三つ首ではない点だろうか。
「そんなっ……なぜこんな場所に魔王直属の魔獣が!?」
あの師匠が……酷く焦っている……?
ファンタジー世界らしい敵キャラをやっとお目に掛かれた――などと喜んでる場合じゃないみたいだ。
改めてモンスターを見やる。冷静な分析をするまでもなく、一目でわかる。これは明らかに今の私では勝てない。
ゲーム的なことを言えば、こんな序盤で出現していいビジュアルをしてない。更にゲーム的に踏み込んでしまえば、これは……『イベント戦闘』だろうか。
だとすればどんなイベントなのだろう。この場にいたのが私一人だったならば、間違いなく『逃げる』一択だ。その能否はともかくとして。
――けど、師匠なら……?
「……逃げてください」
「師匠は……?」
「ここで、食い止めます」
『討伐』か『撃退』あたりのイベントかと予想したが、それに反した指令が下る。師匠の本気が拝めるのかなぁ、と心を躍らせかけていたのに……ざんねん。
しかしそれは些末なことだった。……それ以上に何か、どこか引っかかる。嫌な胸騒ぎがする。
「早く! 今のあなたでは足手まといです!」
師匠が声を荒げ、その剣幕にビクっと後ずさりする。
至極もっともだろう。『足手まとい』ですら優しい表現かもしれない。共に戦えるだけの力量が無いどころか……このモンスターを相手取っても、私は『戦闘行為への拒絶反応』が出てしまう恐れがあるのだから。
この場から即座に離れることが、私にできる最善だ。そう頭ではわかってるのに、足が動かない。看過できない胸騒ぎが収まらない。
――なんだろう……私は、何に恐怖している……?
その正体が一向に見えてこない。そんな私の逡巡を推し量ったかのように、モンスターを見据えてた師匠が表情を崩し、こちらを振り向く。
「あなたには……成すべきことがあります。そうでしょう……?」
私を安堵させてくれる、魔法のような師匠の微笑み。たったそれだけで、正体不明の胸騒ぎという枷が綺麗に外れた。
頷き、踵を返して……駆け出す。
――師匠なら、大丈夫。師匠が、負けるはずがない。
そんな、根拠なんてない思い込みを抱いていた。心のどこかで、この人を神格化すらしてしまっていたんだ。
だから、胸騒ぎの理由になかなか気づけなかったんだ。
『食い止める』とは、どういう相手に使う言葉だ……?
そう――今しがたの師匠とのやり取りは、台詞は……まるで――。
「――……ッ!?」
突然背後で轟音が鳴り響き、反射的に振り返ってしまう。
つい先ほどまで、そこに在ったはずの姿が――無い。
代わりに何か地面を引きずったような、抉れた跡がある。その先を視線で追うと……目の当たりにしてしまった。
横たわって、ぴくりとも動かない……師匠の体を。
「…………師匠?」
我が目を疑った。何をされたのかさっぱりわからない。
しかしさっきの音は……師匠が、吹き飛ばされた音……だったのだろうか。
無意識にそちらへと足が向く。よろよろ、ふらふら……覚束ない足取りで。
「ねえ……? 起きてよ……、師匠……! やだ……、やだぁっ……!」
師匠の傍まで辿りつくと、膝から崩れ落ち……悲壮感漂う声を上げながら、必死に肩を揺さぶる。
服の汚れはあるが、外傷らしきものは一切見当たらない。けど――
「――っ……ぅ」
「師匠……? よかった、生きて――」
「…………しくじり……ました、ね……」
息も絶え絶えで……苦しそうに言葉を紡いでいる。
鼓動が暴れる。全身が心臓と化したかのように、激しく、五月蠅く。
浮かばないで欲しいと願えば願うほど、その最悪の予感で頭が埋め尽くされる。
「や……、だめ……しなないで……っ」
――……だめ。ダメ、駄目……。
「……約束、しましたから……ね。次に、会えたら――」
「っ……何でも……する、って……!」
力なく師匠が笑いかけてくる。困ったように、申し訳なさそうに。
その体が、ぱぁぁ……っと光り始めた。
――…………だめぇっ……だめだよ、そんなの……。ぜったい……嫌……ッ!
「――この世界を……頼みました、よ……」
さらさらと、輝きを放つ砂のようになって……散った。
………………。
魔獣の足音が聞こえる。
悠然とした、余裕の足取り。
『逃げなきゃ……!』
『どこへ? どうやって?』
『怖い、誰か助けて……!』
――ちがう。
『これはきっと"負けイベント"なんだから。』
『たとえ死んだとしても、蘇るから。』
『だって、"ゲーム"なんだから。』
――――ちがう。
師匠が、しんだ。
たいせつな人だったのに。やくそく、したのに。
あのモンスターが、ころした。
あいつが……。あいつ、が。アイツがっ。アイツが……ッ。
…………私は、アイツを――
すぅー……はぁー……。深呼吸を、二度三度。
ゆったりとした動作で、しっかりと大地を踏みしめ……立ち上がり、対峙する。
ふぅぅぅっ……と。深く、深く……息を吐き出す。
肺の中を空っぽにしてから……再度、大きく吸い込む。
「――――ッ!」
ギリィッ……と歯噛みし、憎悪に満ちた眼差しで睨み付ける。
剥き出しの感情のままに。眼前にいる魔獣を、ただ滅するためだけに。
想いが、炸裂した――。
「あああぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
放たれるは、魔獣の巨躯を覆うまでの膨大な炎――黒い炎。
いつもの疲労感はなかった。代わりに頭が割れるように痛み、灼けるように熱かった。
しかしそれも――すぐに消える。
アドレナリンかエンドルフィンか。自己治癒の魔法でも無意識に発動したか。……単に、限界を超えただけか。
――どうでもいい。今ここで、アイツを倒せる力が得られるならば。
これは……身に余る想いの代償か。
師匠を死なせてしまった、無力な自分へと向けられた……怒りか、呪いか。
私の激情のままを象った純黒色の炎は、自らをも覆う劫火と――己にさえ襲い来る、破滅の力と成り果てた。
――……『強すぎる想いは、身を滅ぼします。』
いつぞやの師匠の言葉がリフレインする。その信憑性を身に染みて実感していた。
――こんな戦い方、きっと叱られるな。……叱って欲しかった、な。
互いの生命が削り取られていく。双方を灼き尽くさんとして、尚轟轟と激しさを増す想い。
しかしここにきて――私は、嗤う。
なんて、わかりやすい。勝利条件が実にシンプルだ。
これは……ただの我慢比べ、根競べ。『どっちが先に力尽きるか』の……
――『ゲーム』だ。
「ガァアアアアアァァァァァッ!!」
耳に響くは、獣の叫び。
これはアイツの声なのか……はたまた、私自身の声なのか。
どちらが叫んでるのかさえも、わからなくなる。
今際の声を……断末魔の叫びを上げているのは……?
……――わたし。……の、勝ち。
「――ッ……グル…ゥ…………」
魔獣の体が光の砂となり、風に散っていく。
それは奇しくも……師匠の時と同じ、綺麗な光だった――。
◇ ◇ ◇
力尽き、倒れこむ。
疲れも、痛みも……身体の感覚すら、何も感じられない。
薄れゆく意識のなか……視界に映ったものがあった。
この世界へ初めて訪れた際には、まだ黄色だった花。
白い綿毛と化したそれは、風に吹かれて空へと飛び立っていく。
時が流れ、姿を変えた花……タンポポ。その花言葉は――
――――『別離』。