09.約束『未熟な勇者の想い』
「リリィはなぜ、『魔王』と戦おうと思ったのですか?」
「…………まおう?」
無論その単語の意味がわからなかったわけではない。
なぜその単語が師匠の口から出てきたのか。それがわからなかった。
「あなたは『魔王』を倒すために、この世界へ訪れた冒険者……『勇者』、だったのでは……?」
(……そうだったんですか?)
首を傾げつつそう言いたげな目で、きょとんと師匠を見つめ返す。
そっか。このゲームの目的は、『魔王討伐』だったのか。以前に言っていた『脅威』っていうのも、そういうあれでしたか。
魔王に支配されてるような、殺伐とした世界設定には全くもって見えなかったから、予想だにしなかった。
「……なるほど。これで全ての合点がいきました」
得心したような師匠。混乱しっぱなしな私。
「脅威と言われてピンときていない様子なのも、強くなることにあまり積極的でない様子なのも。攻撃手段としての魔法取得が難航しているのも、『私に見せる為だけ』の魔法が成功するのも、全て。
リリィは他の冒険者の方と違い、戦うことを目的としていない……それどころか、『戦うという行為自体』に抵抗すらあるように見受けます。だから攻撃手段としての魔法を、無自覚に抑え込んでしまっている……そういったところでしょうか」
「あの、その……つまり、もしかして……?」
そこまで言われれば私でも薄々勘づいてしまう。困り顔で小さく首を振った師匠は、なんとも言いづらそうに口を開いた。
「……魔法には、向き・不向きというものがあります。未だかつてそのような方をお目にかかったことがなかったので、気付くのが遅れてしまいましたが……リリィには『攻撃用途の魔法の全てに適性が無い』――ということでしょう。少なくとも今の段階では、ですが……残念ながら」
努力が足りないとか、才能が無いとか、そういう問題じゃなく。
私の、意識の問題。戦闘行為への、無意識な拒絶――。
はっきりと原因を提示されてしまえば、確かにと把捉してしまった。だって思い当たる節が無いわけでもないから。
それにしても、そんな深層意識まで見透かして反映してくるとは……最近のゲーム、恐るべし。
「……そっか。なら、しょうがないっかなぁ」
残念な気もするけど、ショックというほどでもない。師匠に言われた通り『戦う』のは私にとってさほど重要じゃないから。
……あっ。でもそれだと、このゲームの目的が――『魔王討伐』とかが達成不可能なような……? そっちは困ったどうしよう。
「意外とすんなり受け入れるのですね……? もっと落ち込んでしまうものかと……」
「そりゃー残念っちゃ残念ですけど……ただまぁなんというか、私らしいなぁと思って」
「リリィらしい……とは?」
「んん~……。他の世界での話、なんですが」
メタな話……現実世界での、他のゲームでの話になるので、話すべきか迷った。
けど、この人には聞いてもらいたいと思った。ほんの僅かでも理解してくれればいいと思った。
「幼い頃、お兄ちゃん――兄に、『なんでこの世界の人たちは、こんな悪いことするの?』って。聞いたことがあるんです」
「その時……お兄様は何と?」
「『世界の設定だから、あんまり野暮なことは聞くな。必要悪なんだよ、悪人や魔王なんてのも』……そう言われたかなぁ。
要は創られた世界の、創られた存在だから……最初っから『そういうものだ』って、割り切ってるのかなぁと。兄に限らず多くの冒険者さんは、そんな感じだと思うんです」
言葉選びも難しく、内容はあまり通じていないだろうと思う。
それでもこちらをじっと見つめ、先を促してくれる師匠。
「でも……私は、悩んじゃうんです。その人にも背景が――人生があって。そうせざるを得ない状況で、その人なりの葛藤や正義があって。ほんの小さなすれ違いや、ちょっとタイミングが悪かっただけで。歩み寄れていれば、話し合うことができていれば……ほんの少しでも違う未来があったんじゃないか、って。そんな物語も、あったと思うんです」
ゲームは楽しい。けど、ストーリーに納得がいかないようなことは多々あった。なんでこうなってくれなかったのって、もどかしい想いを抱いたこともある。
敵でさえ……悪でさえ、救われて欲しいと願う私は――『偽善者』なのだろう。
それでも――。
「……こちらの話に一切耳を貸す気が無く、自らを正義、それ以外は悪だと決めつける。そのような存在もいるのでは? 例えば、そう――」
こほん。と咳ばらいを一つしてから……鹿爪らしい様相で、
「――『おれはつよい。ゆえにせかいを支配する』……であったり」
「――『にんげんなど生きているだけでめざわりだ。ほろべ』……や」
「――『われは神。すべてよ、われにひざまずけ』……などと」
師匠の思う、『悪の化身の像』……なのだろうか。
真面目で一生懸命なのは伝わる。が――
「――ぷっ……ふ、ふ……あははははっ」
堪えようとしたけど、だめでした。
お腹を抱えて思いっきり声を上げてしまう。
「な、なぜ笑うのです!?」
「だ、だってっ、ものすっごい、棒読みで~……」
「そっ……そんなに、変……でしたか……? おかしいですね……」
ぶつぶつと納得いってないご様子なお師匠さま。
隙なんてなさそうなこの人にも、弱点はあったみたい。
演技が絶望的に下手っぴだ。意外な一面もあったものです。
「確かにそういう……本当にどうしようもない相手も、いるのはわかってるんです。だけど――」
寂しく、悲しいけれど。『悪』は存在する。それは真理だ。
私も……幼い頃のまま、純粋なままではないから。これから口にする想いは、『夢物語』なんだと思う。
それでも――。
「戦うことだけで解決なんてしたくないんです。理解しようとすることを諦めたくない。和解できないか、共存できないか。改善案はないか、打開策はないか。許される限り足掻いてみたい。
そうして、できることなら――皆が笑っていられる、幸せな結末にしたいから……」
今更ながら恥ずかしさがこみあげてきた。誤魔化そうとやや早口で、おどけたように続ける。
「……なんて。邪魔でしかない想いですよね。あははっ、そんなだから魔法もろくに扱えな――」
「良い、答えです」
私の言葉を遮り、大きく頷いた師匠から向けられた、思わずドキっとしてしまう慈愛に満ち溢れた眼差し。
それにくすぐったさを覚えていると、師匠は懐から取り出した何かを私の首へとかけてくる。
なんだろうと視線を下へ向ければ……金属のフレームに、群青色の丸い宝石――瑠璃石のような宝石がはめ込まれた物が、胸元で輝いていた。
これは――『アミュレット』……?
「師匠……?」
「私から教えることは、もうありません」
「えっ――」
つまり……師匠による講義が終了した、ってこと?
このアミュレットが、いわゆる――『チュートリアルクエスト、遂行報酬』……ということだろうか。
「そんな……! 私はまだまだ師匠に教えて欲しいことがたくさん……!」
「大事なことは、もう全部詰まってますよ。『ここ』に」
『ここ』と示された胸が、ほんのりと温かくなる。
その熱の在処を噛みしめるよう、半ば無意識にぎゅっと掴んだ。
「リリィなら、魔王に打ち勝つ力を手にできます。そして、叶うことなら……この世界を導いて下さい」
それができると、師匠は信じてくれている。
こんな私が、一体全体どうやって? 何を根拠に、どんな力を手にできると言うの?
そんな疑問ももちろんある。しかし私には、それ以上に沸き立つ感情があった。
「……まだフードを外した姿も拝めてないのに」
「次に会えた時、お見せします」
「のんびりお茶したいし、他愛のないお喋りしたいし……遊びたい。ゲーム、したい」
「ええ。全てが終わった暁には、おとも致しますよ。何でも」
こんなにも早く別れの時を迎えてしまうとは、思ってもいなかった。……まだ、離れたくなかった。
だからこれは――ただ子供のように駄々をこねているだけ。そんな私に師匠は柔らかく宥めてくれる。
「全てが終わったら、って……魔王を倒し……世界を、平和にしたら……?」
「……ええ。その通り、です」
依然として、実感は沸かない。本当にこの世界が脅威にさらされているのかと、未だに半信半疑だ。
仮に魔王と相対したとしても、おそらく私は……戦うことを躊躇ってしまうことだろう。
けれど、この世界に住む人々が……この人が。『魔王』を討つ『勇者』の存在を望んでいるなら、求めているなら。
「約束……です、よ……?」
「はい。約束、です」
――頑張ってみようか。少しだけ。
約束のために。……この人のために。
「……良い表情になりましたね」
真っ直ぐに見つめ、深く頷く。
悪の討ち方は、きっと一つじゃない。私なりのやり方で、私の望む結末を求めて。
その想いで――戦ってみせるから。
「あなたの旅路に、幸多からんことを。リリィ……あなたなら、きっと――」
――――師匠の言葉が、不意に途切れる。
空気が、変わった。
ざわつく。風が、草が……胸が。得も言われぬ不安感が募っていく。
唐突に何かに気づいたように、師匠が剣呑とした形相で振り向いた。
つられてそちらに視線を移すと……空間に面妖な渦ができている。
やがてその渦へと亀裂が走り……裂け目より、顕現する――。
「グルルアァァァァッ!!」
耳を劈くほどの咆哮と共に、突如現れた……モンスター。
簡潔に言い表すならば――巨大な犬、だ。
四本足で立っているのにも関わらず、その高さは私たちの二倍……いや、三倍はあるだろうか。
完全な漆黒ではなくダークパープルの毛に全身が覆われ、それは敵意を剥き出しにするよう残らず逆立っている。
体躯に見合ったサイズの牙や爪が、見るからに禍々しく鋭い。ほんの僅かでも掠めてしまえば、ひとたまりもないだろう。
そしてそれ以上に鋭い光を放っている、血のように赤い眼……その視線が、私たちを捉えた。
その容貌は――そう、あれはまさに――
「――……『ケルベロス』ッ!?」