00.序文『風信子《ヒヤシンス》』
『ヒヤシンス』、というお花を知っていますか?
春先に咲く、甘く強い香りを放つお花。色は紫や青に始まったらしいけど、今では改良が進んで、すっかりカラフルになりました。
たったそれだけでは、いまいちピンとこない方が大多数だと思います。
もしよければ少しだけ、小学生ぐらいの頃の記憶を思い起こしてみてください。もしかしたら教科書の写真で見たり、実際に育てたりしてるかもしれません。
水で満たした、透明なプラスチック製のポット。その上に手のひらサイズの球根を、根の先だけが水に触れるように乗せて。土に植えない、水栽培。
やがて球根から、白くて細い根っこ――そうめんや乳麺みたいな――それが無数に伸びていき、水中を揺らいで……足のやたら多い、タコだか火星人だかのような姿に。
そこまで育った際の、見た目のインパクトはとにかく凄いと思います。おそらく、咲いた花のそれよりも。
そんな成長過程の姿だけでも、記憶の片隅に引っかかってくれてたら嬉しい限り。
キモい? 滑稽? シュール? ……そんな感想を持ち、記憶に留めた人もいるかもしれません。
綺麗。優雅。神秘的。……できればそんな風に感じてくれてたら、なおいいのだけど。
咲いた花の、艶やかな姿。芳しい香り。そこまで覚えててくれたら、思い出してくれたら、本当に何よりです。
話は少し変わりますが――『ヒヤシンス』は、漢字では『風信子』と書き、その花言葉には『ゲーム』というものがあります。
そして、私――『春風 悠莉子』には、『信哉』という兄がいます。
強引な、と笑われてしまいそうですが……苗字の『風』、兄の『信』、私の『子』。
そう――二人の名を併せれば、見事に『風信子』が完成するんです!
ヒヤシンスという花の存在を知り、そのことに気付いた時の感動は、今でも忘れません。
興奮して、嬉しくて。飽きもせず事典の同じページに何度も視線を這わせ、幾度となく反芻して。自身の表情など確認するまでもなく、当時の私は目をきらっきら輝かせていたに違いないです。
大げさな、とこれまた笑われてしまいそうですが……その花は私にとって、運命のお花だと思ったんです。
だって私たちは、『ゲーム』を通じて繋がっている兄妹だったから――。
お兄ちゃんは、幼い頃からゲームが大好きでした。
ゲームと呼べるものはアナログの物も、もちろんデジタルの物も、多岐に渡り網羅していて。一つ屋根の下にそんな物が大量に存在していては、否応なく目についてしまいました。
子供特有の好奇心に、私個人の性格も相まって――私も、遊んでみたい。そんな風に感化されてしまうのも、致し方ないことだと思うんです。
見るために。借りるために。一緒に遊ぶために。お兄ちゃんの部屋に入り浸ってしまったのも、必然の流れだったんです。
家の手伝いを自ら進んで行い、両親の心証を良くして、抜け目なくおねだりの成功率を上げていたお兄ちゃん。
購入する資金のためにバイトをして、親に咎められぬよう良い成績を保ち、許される限りの時間をゲームへと捧げたお兄ちゃん。
もはや狂気の沙汰ともいえるゲームへの執念に、呆れたり軽蔑したりもせず。むしろ尊敬すらしていた私もまた、どこか変だったのかもしれません。
ゲームのことを嬉しそうに語る姿が、好きでした。
ゲームを楽しそうにプレイしてる姿が、好きでした。
例えどんな進路になろうとも、どんな仕事に就こうとも。お兄ちゃんは生涯ゲームと共に在り続けると、信じて疑いませんでした。
そんなお兄ちゃんが、二年前のある日。
ゲームを、やめました。