一雫
雨が上がり、だが蛙がまだ鳴いている。僕はそんな合唱の様な鳴き声を聴きながら一階の自室で夏休みの宿題に取り組んでいた。どうせやる事などほとんどないし、それにもう一区切りで充分な休憩が取られそうだから、もう少しだけ辛抱する事にした。
「相変わらず勉強が好きなんだね? お兄ちゃんて」
妹が僕を半ば茶化す様にそう言ってきた。僕は「うるさい」とだけ言ってガン無視を決め込んでおいた。
そんな僕から相手にして貰えない妹は表面的には不貞腐れたふうを装い、「もういいもんね」と言って僕のベッドに座り、
「お兄ちゃんがそのつもりなら、私にだって考えがあるんだから」と言ってしばらく時間が過ぎていった。
あれから二時間くらい経っただろうか? 僕の宿題も予定通り一段落がつき、昼寝でもしようかと思い、ベッドの方を向くと、
「……お前が言う『考え』ってのはそういう事かよ」
妹は僕のベッドに横になり、それでこそ気持ちよさそうに熟睡していた。そんな妹の姿を眺めつつ、僕は生唾を飲み込んだ。
童顔のクセにデカい胸をもち、細い腰とスラリとした長い手足はどこぞの物好き共ならほいほいと寄ってきそうである。
――いくら相手が妹だからって、年頃である僕らが同じ部屋でこれは流石にないだろ?
などと思っている時点で馬鹿というものだ。そう思った僕は一旦部屋を後にし、散歩にでも出掛ける事にした。
――後一週間で夏休みも終わりか。
雨上がりの青空を仰ぎながら、僕は内心でそう呟いた。
――この一ヶ月半、ほとんど何もしてなかった気がするな?
そんなふうに思い出してみて、僕は思わず吹き出しそうになった。自虐もいいところである。
――ま、今更後悔したところでどうの仕様もないんだけどさ?
そんな結論を出して、再び歩みを刻んだ。
しばらくして帰宅すると、妹はまだ僕のベッドで眠っていた。僕は半ばやれやれとした気持ちで妹の肩をゆすり、起きるように促した。だが全く目醒める様子はなく、その綺麗な寝顔と先程も口にした様な大きな胸と真っ白な身体が視界に映った。鼓動が高ぶり、変な気分になり、僕の手が妹の頬に触れた。
――妹のクセに、こんなに色気づきやがって。
その気になればいくらだって手を出す事は出来る。それでも、僕はそうはしなかった。何故ならこの妹は今更だが僕の本当の妹ではないからだ。実のところ、僕の両親は過去に離婚し、現在の新しい父親の娘が、この妹という訳で、正直当初は余り馴染む事が出来ず、きつく当たってしまった事もあり、それ以来、僕は妹に対して上手く接する事が出来なくなっていた。
――僕がこの子の本当の兄貴だったら、もう少し何かしらの対応が出来たはずなのにな?
それでこそ後悔先に立たずというもので、今になってどれだけそのような事を口にしても無駄というものである。だがそれでも、今の僕はそうやって悔いる事しか出来ないというのが本音だ。
「……ま、仕方がないか」
下手をすればすぐに傷ついてしまいそうなその頬からそっと手を放し、妹のサラサラな髪を撫でた。
――本当は寝込みを襲うような真似をするなんて屑のやり方だけど、実際問題僕は屑だし、もういいよね?
「悪かったな? ゆっくり休んでくれ」
そう言ってその場から離れようとした時、
くいっ。
僕の服の袖を何かが掴んだようで、思わず後ろに転んでしまいそうになった。何事かと思い振り返ると、
「お兄ちゃん」
妹がぽつりと寝言を漏らしていた。そして僕の服の袖を掴んでいたのは妹だった。
「……何がお兄ちゃんだよ」
その時ばかりは本当に鬱陶しく思った。だってこいつ、
「そんな表情されたら、何も出来なくなるだろうが」
卑怯なくらい優しい表情のクセにそのうえでどういう訳か涙流してやがるんだから。そんなもんを間近で見せられたこっちの身にもなりやがれってんだ。
「だから僕はお前が嫌いなんだよ」
そう言い捨てて、再び頭を撫でてやり、今度こそ部屋を後にした。
――妹の、その一言を耳にして。
「大好きだよ?」