旅立ちの日 -終-
次第に、空気が冷たくなっていく。
『聖剣 終わらせる嵐』
将軍の右手に握られている細身の聖剣のは、水氷を司る中でも最強と謳われている。彼女の戦意に応じて静かにそよぎ始めたのだろうが、一度逆巻き始めれば周囲を氷獄に変えるその力を、僕も何度か目にしている。
……つまり、将軍はマジでガチである。
「唐突……っていうか、餞別? 僕にじゃなくて貴女に?」
普通は餞別って出て行く方にやるんじゃないのカナー?
「そうだっ!」
いや……、そうだっ!って言われてもなぁ……。
「君には前々から興味を抱いていたからな。是非手合わせしたいと思っていたのだ。だが、こちらも立場があるからな……おいそれと手合わせを申し込む事はできなかったんだ!」
……まあ、貴女は将軍だし、『聖騎士』だしなぁ……。
簡単に喧嘩を売られては……っていうか、絶対買うやつなんていない!
セシリディア・リオアクア
帝国大貴族『リオアクア』家の当主であり、帝国近衛将軍という座に50年以上君臨する聖騎士。帝国最高の騎士とも東大陸中で謳われている、恐らく有史に残る屈指の剣士だろう。
そんな人が……、
「……だが、今なら誰も見ていない、誰も止めない! ふふふ……こんな好機を……私はずっと待っていた!!」
何故、ただの騎士に喧嘩を売ってくるのか……いや、本当迷惑……迷惑なんだけど、
「……その様子じゃ、断っても斬り掛かってきそうですね。分かりました、その代わりルールを決めますよ」
彼女には本当に御世話になったし、正直僕も興味はあった。
「ルールか……よかろう、言ってくれ」
「時短のために先手はそちらから、放つのは互いに一撃のみ……」
先手決めは駆け引きによる無駄な時間を無くすためで、一撃のみも同様の理由だ。
「……最後に、相手を殺す気で挑む」
「……相分かった。そのルールで"殺ろう"!!」
一撃限りの手合わせなんだ……これくらいの意気込みでいかなければ意味はない。
「「これは公正でも、公平でもない、なんの益も債もない……けれど、互いにとって尋常な決闘であると誓わん!」」
帝国式決闘の誓いが終わったその時、将軍の身体がフッと沈むと水のように滑らかな動きで踏み込んで来た。
決して速くもなく、決して遅くもない。だが、その緩急の無さ故に攻撃を絞り辛い……と、そんな事を考えていた僅かな俊巡の間に、
「凍れおわれ、風は過ぎ去った」
将軍の詠唱と共に、聖剣の切っ先が下から跳ね上がるように迫ってくる。
狙いは頭部。
一撃ルールを汲んだ、正当且つ必殺の魔法剣による刺突攻撃。
……かわせない。
緩やかな動きによって生まれた俊巡の一瞬を見事に攻められてしまった。この状態で下手にかわせば、頭が凍って砕け散るか、左右かわした方の肩くらいは失ってしまう。
なので、かわせない。
だから、かわさない。
そう判断した僕は、右腕に"封じて"ある長剣を呼び出した。
狙うは迫る聖剣の切っ先。
「僕を貫くには……その"高さ"は正しくない!」
そここそが、彼女の太刀筋に"視えた"軌道の違い。
『剣術に限らず、あらゆる動きには正しい"道"が存在する』
それが、聖剣に選ばれなかった自分が辿り着いた、聖騎士に太刀打ちする術の一つだ。
彼女の聖剣の"道"は、流水の如く滑らかでタイミングも読み辛いが、相手に命中させる直前の狙いが荒過ぎる。
だから、僕はその場で右足を引き、身体を沈めると同時に眼前に寝かせた長剣の"腹"で切っ先を受け止め左腕で長剣を支え上げる。
すると、頭上で金属が金属を滑る音が聞こえると同時に刺突の軌道が上へと反れた。
……ぐうう、それでも重い!
ついでに剣と腕が冷てぇぇぇーーーー!!
頭上を凍てつく冷気が吹き抜け、背後からビシビシという異音が聞こえる。……恐らく、天井や背後の階段、壁に至る物が氷漬けになっている事だろう。
しかし、当然それを確認している暇はない。
僕は引いた右足で踏み込みながら寝かせた剣を翻し、その勢いを使って上段から振り下ろした。
刺突を受け流した直後の反撃に流石の将軍も反応が遅れ、そのまま、彼女の肩口に……命中する事はなかった。
見れば、僕の剣は突如現れた氷の塊に阻まれている。
……これが、普通の騎士と聖騎士の違いだ。
聖剣の加護は使い手の意思とは別に常時展開し、その身を護り続けている。なので、例え剣術で勝ろうと、聖剣の加護が在る限り聖騎士を傷付ける事はできない。
故に勝機は永遠に無く、勝利は永劫に来ない。
……って、そんな事があってたまるか!!
「我が剣に紅き灼熱の輝きを……」
聖騎士に太刀打ちする術・その2『魔法剣』
加護があるのなら、それ以上の力で打ち破るまで……。
何故か僕と相性が良い"炎熱系"の最高位魔法『プロミネンス』を長剣に叩き込む。
シュウウゥゥという気化の音、ビキビキと響く亀裂の音……。
そして、僕の魔法剣はついに聖剣の氷を砕く事が出来た……のだが、時すでに遅し。
「おおっと、危ない危ない……」
将軍は身を捻り、外れた僕の剣は彼女に掠りもせず、重い音と共に床に刺さり炎熱が斬り口を焦がし灼く。
つまりは大外れ。
と、同時に互いに一撃を放ったので、手合わせはここで終了となった。
「……うむ、良い一刀だった。これなら、安心して見送れる」
うむうむと満足気に頷きながら聖剣を仕舞う将軍を確認して、僕も剣に籠める力を解いた。
「それはどうも……って、髪が凍ってる! んー……ま、まあ、いいか。歩いてればすぐ溶けるでしょ」
まあ、砕け散って禿になっていないだけましである。
「ったく、散々な餞別だったな……ていうか、僕は疲れただけだった……ような……ブチブチ……」
なんてぶちぶち言っていると、
「まぁそう言ってくれるな。ほらっ、こっちが本当の餞別だ」
愚痴を言う僕に、苦笑しながら将軍が丸いチェーンの付いた物を投げて寄越した。
「よっ……とと! 時計……ですか?」
手の平サイズで少し大きめの懐中時計……のようだ。
「方位コンパスと試作中の御守り機能付き懐中時計だ。中々の逸品だろう?」
おお、確かに凄い!
動力が魔力みたいなので、肌身離さず着けていれば止まることもないだろう。
「御守り機能は"闇獣"から生態反応と気配を察知されにくくしてくれるぞ。地上で結界を張れない時や、短い休憩時に活用するといい」
おおおおお、やったーーー!!!!!
な、なんて餞別なんだ!!
「ありがとうございます! ぶっちゃけさっきまで、このおばさんまじ喧嘩売ってきただけかよ!とか思ってたっす!!」
「はっはっは、そんなわけないだろーって、んん? 今、おばさんって……」
「いやいや、本当感謝感謝です! それじゃ、貰う物貰ったんで、そろそろ失礼しまー……っと、その前に……」
口が滑った……逃げろや逃げろーーー!!
と、そんなその場の勢いでとっとと出立しようと思ったのだけれども、、
「……殿下」
「え? は、はいっ!」
僕なんかにここまでして下さったこの人には、少しだけ恩を返しておこう。
「僕を聖剣に導く……その言葉は本気ですか?」
「……は、はい、本気ですっ! 今は無理でも……いつか絶対に、貴方を聖剣へと導いてみせます!!」
それが殿下のやりたい事……やり遂げたい事。
正直、僕にはそのいつかが来るとは思えない。
今の僕は、殿下に頼る気は毛頭ないし、それ以上に赦さない者達がいるだろう。けれど、殿下の想いに感謝がないわけではないし、申し訳なくも思っている。
……なので、これを置いていこう。
僕は、まだ熱さの残るそれを床に刺突き立て、
「じゃあ、その剣を預けます」
そう言って、自らの剣から手を離す。
「僕は貴女以外に剣を授からない……帝国騎士として最期の誓いを捧げます」
そして、僕は殿下の前に跪き、そう誓いの言葉を捧げた。
漆黒の刀身に白金を用いた装飾を施したその長剣は、僕が造った世界で一つの剣。
聖剣と互角に打ち合い、打ち破る力を秘めた執念の剣だ。
この剣には、帝国で得た全てが詰まっている。
善くも、悪くも……、
この剣こそが、僕の『騎士』であった証だから……。
『聖騎士』への夢を諦め、『騎士』の終わりまで見届けたこの人にこそ預けたい。
その突然の誓いに流石の殿下も少し驚いたようだったけれど、
「その誓いと剣、確かに……。では、私も貴方に誓いましょう」
直ぐに皇女の顔を取り戻し、威厳と尊厳を以て誓いを述べる。
「私はどれほどの時間と犠牲を払ったとしても……貴方の正義を取り戻し、必ず聖剣の元へと導いてみせる……」
力強く、信頼に満ちた誓いは、確かに僕の心に刻まれた。
「また会う日まで、どうぞ御元気で……私の、私達の騎士ソルハート」
「はい……では、殿下も将軍もお元気で!」
うん、これで心置きなく旅立てる。
そんな晴れやかな気分で、僕はアパートを後にした。
「よーーしっ! まずは地上を目指しますかっ!!」
「行ってしまいましたね……」
「ええ、まったく……惜しい事だ」
「貴女にそう言われれば兄様も……って、セシルそれ!」
「儀礼用とはいえ、聖剣の加護で護られた鎧をこうまで焦がすとは……。曲者揃いで有名な第3師団の連中が口を揃えて『自分達よりも強い!』と言うはずだよ」
「ふふん♪ そうでしょう、そうでしょう!」
「……なんで殿下が威張ってるか知らないが、まあいい。私は着替えに帰るけど、殿下はどうする?」
「うーん……私も1度城に帰ります。忘れない内に、今日の誓いを記録せねば……」
「では、途中までご一緒しよう」
「はい、お願いします」